ダイエットと自重の意外な共通点
皆様、こんばんわ~^^
本日も当ブログへお越しいただき
ありがとうございます<(_ _)>
よろしければ、ポチっと応援!
お願いします<(_ _)>
個人的には納得のいってない
18イグジストFC LT1000S-Pですが
ドノーマルで使うのもアレなので
ちょっとだけカスタマイズしてみました^^
まずはハンドル関係
手持の、1000番クラスのリールには
DRIVEさんのエアーステアという
僅か10gほどの超軽量ハンドルを装着してるので
18イグジストにもと思いましたが
もともとついてるハンドルが
13.7gと、軽いので
2万円近いハンドルを購入しても
僅か3gほどしか変わらないので
コスパ悪すぎ~^^
今回は、ノブだけ変えて済ましちゃおうと
ちょっと気に入ったノブがあったので
フレンドさんで、取り付けしてもらいました^^
そのノブとはコレ~
夢屋 ハンドルノブ IタイプSS
そう、18ステラ1000SSSPGに標準装備されてるノブです^^
ステラ使ったときに、このノブイイ感じやな~と思ったら
夢屋からすでに販売してましたw
取り付けは、いつもお願いしてる
D副店長がいなかったので
U主任に、作業していただきました^^
こんな真剣な、U主任初めて見ましたw
初めてやるノブだったので
ちょっと悩んでましたが
無事取付完了~♪
このノブの自重は
2.2gしかないんですよ~^^
ちなみに、18イグに着いてたノブは
なんと、3.8g!
3000円の出費で
1.6g軽量化できました^^
コスパは・・・・・・まぁまぁかな?w
このノブ、握り心地も良いので
おススメですよ~^^
|
|
ついでに、リールスタンドも
家にあったレッドのリールスタンド ライトから
リールに似合うシルバーの
ZPI リールスタンド ライトに交換^^
なかなか、ええ感じになったわ~♪
5日の夜は、この2タックルもって
実釣に出かけたいとおもいます^^
上 17スーパーコルトGSRCS-612L-T+18ステラ1000SSSPG
下 ジャッカル スキャッドウォール58T+18イグジストFC LT1000S-P
では、本日は、ここまで~
最後にポチっと!
よろしくお願いします<(_ _)>
|
|
春はあけぼの、夏は自重
幸せなくらしの
バージョンアップをサポート
整理収納アドバイザーのEmilyです
鉄アレー3kgを
鉄アレーの形の
半分以下の軽さ♬
や
踏み台なしで
使用頻度の高い
空っぽのお弁当箱を入れても折りたためるファイルは多少歪みますので
穴の下にツメが見えている右側が
参考になりましたら
こちらの画像を
ポチっとお願いします
↓↓↓
自重が激安で買えるお店を紹介します
第477話/ウシジマくん63
梶尾の死に巳池がかかわってるっぽいということを知った滑皮は、なんのためか、鳶田に武器をとりにいかせた。しかしそこはからっぽ。滑皮は、それが梶尾を殺すのにつかわれたということを直感で理解する。そのあとに、なぜか丑嶋のところに向かったのである。
丑嶋はホテル暮らしをしているみたい。どこかからもどってきて、帰ってきたところなのか、手になにかぶらさげている。丑嶋がどこまで滑皮サイドの展開を知っているかは不明だが、ふつうに想像して、甲児や潜舵は丑嶋と強盗に出かけたときから行方不明になっている。少なくとも、丑嶋は事情を知っているはずで、シシックの残りの幹部がそのために探すにちがいないのだ。
しかし、滑皮は何号室に泊まっているかまで把握しているようだ。ひとをつかってテメエらを24時間監視しているのだと。テメエらということは、柄崎もそうなのだろう。高田や小百合はどうだろう。甲児から情報がいっていないといいが・・・。
鳶田を待たせて部屋に入り、滑皮が丑嶋を正座させる。丑嶋が手にもっていたのは手作りのお弁当だった。滑皮は、丑嶋が柄崎と会っていて外出していた、ということも知っている。たぶん、柄崎のお母さんがもたせたのだろう。滑皮は、ホテル暮らしで外食ばかりじゃ身体に悪い、というつもりでそうしたにちがいない、柄崎母の言い分も、おそらく言い当てている。
滑皮は、ふたをあけておかれたお弁当をテーブルから落として、人殺しが、じぶんだけ長生きする気かと、いつものよくわからない表情でいう。何の用かと問われて、滑皮はコインロッカーの鍵を置く。そして、豹堂を殺せと。
丑嶋はいつものように即答で嫌ですというが、お前は断れないと滑皮はいう。丑嶋は熊倉を殺し、獅子谷甲児も殺した。滑皮にはそれがわかっている。なぜなら、甲児が、今夜丑嶋を殺すといっていたからだ。その夜、甲児は死体で発見され、丑嶋はこうして生きているのだ。その甲児の死体を片付けたのも滑皮で、それも気に食わない。「殺しても殺し足りねェ」と滑皮はいう。まだなにかいおうとする丑嶋だが、それを黙らせて、丑嶋の生死はじぶんが預かっているのだから、生きたいのであるなら、黙って命令にしたがえと滑皮はいうのである。
滑皮が去ったあと、正座したまま、丑嶋は険しい表情で崩れたお弁当をみていたが、やがて、あしをほどいてあぐらを組み、弁当を食べるのだった。
車の中で鳶田は、丑嶋なんかを鉄砲玉にして大丈夫かと心配している。いうことを聞いて、指示にしたがうことにかんして疑いなく実行されるものでは、だいたい丑嶋は危険人物である。その心配も当然だが、滑皮は、感情をぬきにしたらあんな最適な鉄砲玉はいないとする。まず、キレ者で強者だから失敗が考えにくいし、失敗して殺されたり逮捕されたりしても、滑皮たちからすれば当然の報いだし、ということだろうか。
その足でふたりはシシックの連中と合流、甲児が那奈に任せるつもりだったキャバクラの敷地にやってくる。はなしは流れてしまったけど、続きをやってみては?というふうにシシックのほかの連中にすすめている。彼らのあしもとにはぐるぐる巻きになった巳池がいる。このシシックのものふたりが、ひとりでいるところを盗難車で轢いて捕まえてきたのだという。
ふたりきりになったところで、滑皮が巳池の口からガムテをはずす。この状態でも巳池は決まり文句を並べるが、滑皮は本気だ。丁寧な口調で、ごじぶんの心配をされては、などといいながら、なんか電動ノコギリみたいなものを持ち出す。梶尾のことを洗いざらいはなしていただくと、滑皮は巳池のどこかを切り始めるのだった。
わたされた鍵をもって、丑嶋がコインロッカーにやってきている。ただたんに丑嶋をハメるためだけにやらないとも限らないし、あたりに気を配りつつ、なかを開ける。そこには、案の定拳銃が入っていたのだった。
つづく。
ほんとに丑嶋と滑皮は肝心なことをなにもしゃべらないな。
武器庫といっても、たぶんすべての武器をおさめているわけではないのだろう。突然の襲撃にも対応できないといけないから、特に鳶田とかはふつうに持ってるだろうし、そうでなくても多少の備えは事務所とかにあるにちがいない。あの武器庫は、たんに武器を置いてあるということではなくて、こういうときのためにとってあるもの、くらいのことなのだろう。最悪捕まってしまったときのために、身に帯びるものはさすがに未使用のものにするだろうから、使用して多少の工作はしたがとってあるものとか、あるいはちょっと大きめの銃であるとか、まあくわしくはないのでそこらへんはわからないが、そんなことかもしれない。
滑皮は、竹腹が死んだビルに巳池の嫁の店があると聴いて、この判断に進んでいる。その直後に、鳶田に武器をとりにやらせているからだ。そのすぐあと、シシックが巳池を拉致しているわけだから、このあたりの時間加減はまったく信用できない。丑嶋が銃を受け取ったのがどういうタイミングなのかは、わからないということだ。そして、指示も、今後あるのか、銃だけわたしてあとは任せたという感じなのか、そのあたりも不明だ。だが、とにかく滑皮が、ヤクザやヤクザの思考がわかるということか、テナントの件と武器庫の件で豹堂が黒幕であることを断定したことはまちがいない。そして、梶尾の件の詳細を引き出して、巳池と豹堂を消すつもりなのである。
この描写は、単行本になると露骨だとおもうが、鳩山に鹿島殺しを疑われて、身内殺しの外道は生かしておけない、といわれた直後になる。豹堂も滑皮も組長候補なのに、どちらもルール守ってなくてさすがアウトローという感じだけど、まあヤクザは、カタギよりもよっぼど建前が大切で、そことの整合性を考えるときに矛盾が生じてくる世界なので、まあこんなものかもしれない。前回、巳池の「アイス買ってきて」と熊倉の「迎えにこい」をそれぞれ「法律」「良心」というふうに言い換えて、この対立について分析したけど、これは、「建前」「本音」というふうにも言い換えることができそうだ。というかこっちのほうがいいかな。
ヤクザ社会はダブルバインドの世界である。このことはずっと書いてきたが、なぜそうなのかということは、前回はじめて考えた。わかりやすいので、今回も巳池のハナクソのくだりを持ち出して考えてみる。滑皮には、ロールモデルというか、じぶんがヤクザであることの根源にかかわるものとして、熊倉への敬意がある。これをないがしろにすると、彼はヤクザとしての本質を見失うことになる。と同時に、ヤクザ社会には「先輩の命令は絶対」という、指示内容はあいまいなのにやたら強度の高い慣習もある。滑皮は、熊倉のむかえにいかなければならないのだが、それを巳池が、「アイス買ってきて」ととめることによって、この衝突が生じた。この場合、巳池の命令は「法」のようなもので、熊倉への敬意に基づく熊倉の命令は「良心」のようなものであると考えることができた。通常、法は例外を含んでいる。深夜に大声で住宅街を走り回っていたら通報されるが、泥棒や火事を見かけたばあいはその限りではない。わたしたちは、全力で大声をあげなければならないだろう。ところが、ヤクザ社会の「法」は、例外を許さない文体でいわれることがほとんどである。本来であるなら、巳池は直接の兄貴である熊倉の命令を滑皮に優先させてあげるべきだし、仮に「先輩の命令は絶対」を徹底するのだとしたら、熊倉と巳池のどちらが先輩で、どちらの命令が重要かを、個別に吟味しなくてはならない。しかし、そういうふうには、この慣習的な「法」はできていない。だから、ヤクザ社会はつねに矛盾を含むことになる。
そして、では、なぜこの「法」がここまで融通のきかないものになっているかというはなしで、「建前」という語が有効かもしれない、というはなしだ。ヤクザは、世界でもほかに例をみないアウトロー集団で、ふつうに看板を出して、アウトローであることを公的に示しながら存在を持続させているような集団は、ヤクザ以外にないのだという。この独特の環境が、おそらく「建前」を要求する。「仁義」の物語もおそらくその流れだ。仁義は、「正しさ」に突き動かされて、理性をこえて行動に出てしまうときの、人間のありようを指している。だが、法治国家では、犯罪者ではないものは原則的に「正しいもの」である。正しくなければ、彼は捕まっているからだ。したがって、この「正しさ」は、法的な意味ではない。きちんと信号が青にかわるのを待ってわたっている人物を「義侠」などとは呼ばないのである。ではその仁義的な正しさはなにに基づくかというと、法以前のものということになるの
、僕はここにルソーの「憐れみの情」を持ちこんだが、このはなしは超長くなるのでやめる。なにがいいたいかというと、「仁義」もまた物語なのである。かつて、それこそ花山薫のような侠客が存在したとか、そういうことは、また別のはなしだ。また、それが虚構だということでもない。ただ、「建前」を構築するにあたって、その物語を採用した、というだけのことだ。法がとりこぼすことがある、この世には例外がある、ということは、誰でも知っていることだ。そこにもし「仁義」によってコミットすることができれば、そのものは法治国家が人工物であるという前提のところに存在することになるのである。
この物語では、彼らは法以前の「正しき」をなすものなのであるから、法のない世界で「これはまちがっている」と判定する基準を抱えていることになる。だが、これは内なる叫び声であるから(法以前の世界という前提なので)、仁義は明文化することはできない。そういう、そのときどきで変わりうるものを、仁義は本質的に含んでいる。そのことによって、仁義は、法治国家における例外に対処し、微調整を果たす(ということになっている)。そういうあいまいな存在であるから、彼らは「建前」を必要とする。あいまいなままではただの無法者集団なのだ。そういう、ソリッドな、厳格さを含むものだということが提示され続けることで、彼らはようやく現状の特殊なポジションを得ているのだ。
しかし、内実は無法者たちである。「そういうことになっている」のだけど、なぜそういう建前を必要としたのかというと、「じっさいはそういうことではないから」なのだ。ただ、個別の景色というものもある。たとえばだけど、少年時代に読んだ花山薫の姿にあこがれて、そういう「古きよき(という物語のなかの)ヤクザ」たろうとするものもなかにはいるだろう。けれども、じっさいには、ほとんどのものがもっと複雑なうけとめかたをしているだろう。たとえば豹堂だって、仁義といいながら利用した女を売り飛ばすやからではあるのだが、彼が批判思想的に滑皮のリアリストっぷりに対して「仁義」を立てているのは、たしかにそうであろうとおもわれるし、また巳池は、そのようにくちにする豹堂を守ろうとしている。だから、竹腹かんれんの動きは、ほぼ指示なしで彼が動くことで、豹堂の「仁義のヤクザ」という像を維持しているのだ。
そして、いま問題なのは身内殺しである。豹堂は、どちらかというと地味なヤクザなので、派手な熊倉や、なんだかわからないが兄弟分だった鹿島などが組長になることにかんしては文句もないだろうし、たぶん疑問にもおもわないタイプだろう。だが、滑皮がなるのはがまんならない。では、なぜがまんならないのか。若いからだろうか。それもあるかもしれないが、やはり、「仁義もへったくれもねー」からなのではないか。あれは、そのままの意味だったのである。
つまりこうである。ヤクザは、カタギの世界にふわっと存在し続けるために、建前を必要とする。彼らは、法がとりこぼす「正しさ」をなすものであるが、ということはそれは違法行為であるので、それを前面に出すことはできない。だから、それは暗に示すにとどめ、物語として呈示し、彼らじしんは、たとえばカタギには手を出さないとか、ひとの役に立っていなければならないとか、先輩の命令は絶対だとか、厳格な「法」のもとに機能しているものであると示す必要がある。しかし、建前である以上、本音がある。女も売り飛ばすし、身内も殺す。それはそうなのだが、原則的には、「法」が彼らを束縛している。動きを制限しているとでもいえばいいだろうか。だから、滑皮に対して仁義云々ということばが出てくるのは、豹堂の認識では、滑皮はそれを巧妙にすりぬけている、というものがあるということなのだ。じぶんはだいたいのところ「法」を守っていて、守っていないとしてもばれないように努力しているのに、滑皮は、最低限のところは守りつつも、あまり触れられないところ、それこそ法がとりこぼす例外的なところで堂々とそれを破って、金と組長のご機嫌を買っていると。じっさい豹堂は、巳池の働きで、あくどいことをしても、表面的には仁義のヤクザとして一貫しているのである。そうした努力が、滑皮にはないじゃないかと、こういううらみなのである。
だから、理論的には、豹堂は梶尾を殺しても、仁義のヤクザでい続ける。では滑皮はどうなのだろう。彼も、仕返しと拷問を兼ねているとはいえ、いままさに身内を殺そうとしているのだ。
ただ、これから滑皮が巳池や豹堂を殺すのだとしても、それは梶尾殺しがなければたぶん起こらなかったことだ。また、もうひとつの身内殺しの鹿島にしても、これは、はなしでは熊倉の命令だという。つまり、どちらも、彼が信じるヤクザの姿の系譜にかんけいすることなのだ。「法」と「良心」のうち「良心」、「建前」と「本音」のうち「本音」に基づく行為なのである。滑皮としては、必然性もあって(仮にその気になったとしても熊倉に逆らえるわけはない)、「本音」を優先してきたのである。けれども、それは、明らかになっていいことではない。鹿島殺しがばれてしまったら、鳩山に殺されるし、「建前」がないことになるのだから、ヤクザとして存在していくことも不可能になる。だから、やはりこれは表面化してはならない。そこに、矛盾を飲み込むあのありかたが出てくる。彼は、鹿島を殺したかもしれないが、その死体はあとかたもなく、もはやなん
証拠もない。そもそも、彼が「良心」にあたる熊倉への敬意を優先させるのも、ヤクザ存続のためである(と僕は考えている)。彼は、豹堂がとらえるのよりさらに複雑に、ヤクザたろうとしている。豹堂のように、巳池を駆使して、「建前」を優先させるのもありかたとしては不思議でもないが、滑皮においては、「良心」、兄貴をかっこいいとおもうこと、弟分にかっこいいとおもわれることも、同様に大切なことであり、それだけが、ヤクザ社会をそのままに維持すると信じているにちがいないのである。だから、彼はその両方を満足させなければならないのである。
その象徴が丑嶋だ、ということをこれまで書いてきた。彼は、甲児殺しのことも知っている、ということを明かしながら、丑嶋を殺さず、鉄砲玉にしようとする。そして、弁当をひっくりかえす。人殺しのくせにと。それは、滑皮も人殺しなわけだが、むろん、両者のありようは異なる。滑皮が丑嶋に対してアウトローとして上であると考えるのは、まさにそこにおいてだ。覚悟を決めた生き方、ということだ。これは、イレズミや義指、また自重トレーニングなどを通じてこれまでも分析してきた。滑皮は、鹿島殺しを隠すが、そこから逃れるわけではない。ハブサンの記事で考えたことだが、重要なのは殺す覚悟よりも殺される覚悟である。自重トレーニングは、じしんの体重を負荷とする。その存在、あるということを重しとするのが、自重トレーニングなのであり、彼はその背に、彼がなしてきたこといっさいをそのまま背負っているのである。しかし、滑皮の認識では、丑嶋はそうではない。じぶんのことしか考えていない勝手な人間なのだ。それが、今回の弁当のようなくだりを呼び込むのである。
けれども、じっさいにはそのようなことはない。というか、なくなった。たしかに、丑嶋はどちらかといえば勝手な人間であるが、カウカウでのかかわりが、彼を「じぶんだけ、あとできたらうーたんだけ助かればそれでいい」という人間から変容させたのだ。
丑嶋は、あいだに金が入ると、超人になる。もうそういってしまってもいいだろう。だから、今回のようなパターンはわりとまずい。もう滑皮は金がどうとかいう感じのことはくちにしなさそうな雰囲気であるし、あとはもう、豹堂のほうがどう動くかということにかかってくるかもしれない。巳池がなにをいうかでもちがってくるかなあ。少しずつ登場人物が減っていっているな・・・。
638円
Amazon
|
596円
Amazon
|
Amazon
|
自重のなにからなにまでFANの人大集合♪
先日、我が広島の「広島東洋カープ」に次ぐ誇り、「宮島」に行ってまいりました!
いや…私にとっては、「行ってきた」というより「帰ってきた」と言う方がしっくりきますね。
というのも、短い間ですが宮島に住んでいたことがあるからです。
宮島に行くときはいつも第2の故郷に帰るような気持ちでフェリーに乗っています。
宮島に着くと、さっそく鹿がお迎えしてくれますが、私は観光客のように喜びません。これが元住民らしさ。
鹿はどこでもいるので珍しいものではありません。
ちなみに、ここの鹿たちは観光客のパンフレットも食べるので、初めての人はご注意ください。
今回は宮島の観光スポットをご紹介していきたいと思います。
宮島を歩くルートは大きく分けて3つ!!
・海沿いで瀬戸内海を眺めながら歩く
・商店街で買い物をしながら歩く
・ 商店街の裏道を歩く!
もちろん元住民の私は、人通りが少なくて歩きやすい、そして古い建物が立ち並び、歴史ある雰囲気を楽しめる、商店街の裏道を歩きます!
宮島にお越しの際は、ぜひ往復で2ルートは楽しんでください。
何度往復してもいいですからね♪
まずは宮島の最大の観光スポットである…。
\ドドーン!/
朱の大鳥居 (あけのおおとりい)!
こちらは過去に撮影した写真です。
実はこの鳥居、自重で立ってるだけで、地面に固定されてないんですよ!
鳥居を支えているのは笠木(屋根の部分)に詰められた合計7トンの石。
頑張って押せば倒れるかもしれませんね…。
広島には世界遺産が2つあります。
1つは原爆ドーム。
そして2つ目はこの鳥居……ではなく、厳島神社です。
鳥居を撮影するのがメインの方も多いですが、厳島神社もすごく綺麗ですからね。
ぜひこちらの写真も撮ってください。
宮島には水族館もあるので、子供を連れて行っても楽しめます!
これは広島名物の穴子。
半日もあれば宮島を堪能できるので、日帰りでもぜひ遊びに行ってみてください。
安芸の宮島、プレゼンし始めるとまだまだ長くなってしまうので、他の魅力はまたの機会に!!
まぁいっかいきてみんさいや!
自重を妻に先に買われたら、父として一生の不覚である。
自重 関連ツイート
正しくは
「自重の負荷上げた?」
が正しいのでよろしくお願いしますね。
途中死ぬほどエビスくんが来たんでちょっと自重して欲しい https://t.co/SPJkO50Pl7