いい自重が好きだ。男ですから。

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こちらを とお願い申し上げます。

ねずさんのブログよりの転載です。

「頑固一徹」という言葉は、現代日本では最早死語であるかのようです。
しかしかつての日本にはそういう人がたくさんいたし、その中でも司令となるような人は、まさに信念の人であったわけです。もちろん、そうでなければ人はついていきません。
アメリカでも、ただ人のいいなりになったり、ペコペコと頭を下げるだけの男は、「腰抜け・チキン」と呼ばれて、嘘つきや、卑怯卑劣よりも軽蔑されます。
みなさんは、以下のお話をどのようにお感じになるでしょうか。

小園安名(こそのやすな)氏は、元大日本帝国海軍航空隊の大佐で、本土防衛にあたって帝都上空を守る日本海軍史上最強最精鋭の航空部隊であった海軍厚木三〇二航空隊の司令です。
昭和20(1945)年8月15日の正午に玉音放送が流された後、小園安名司令は総員集合を命じました。
このときの小園司令の訓示です。

「降伏の勅命は、真の勅命ではない。
 ついに軍統帥部は敵の軍門に降った。
 日本政府はポツダム宣言を受諾した。
 ゆらい皇軍には必勝の信念があって、
 降伏の文字はない。
 よって敵司令官のもとに屈した降伏軍は、
 皇軍とみなすことはできない。
 日本の軍隊は解体したものと認める。
 ここにわれわれは部隊の独立を宣言し、
 徹底抗戦の火蓋を切る。
 今後は各自の自由な意志によって、
 国土を防衛する
 新たな国民的自衛戦争に移ったわけである。
 ゆえに諸君が小園と行動を共にするもしないも
 諸君の自由である。
 小園と共にあくまで戦わんとする者はとどまれ。
 しからざる者は自由に隊を離れて帰郷せよ。
 私は必勝を信じて最後まで戦う。」

そして小園司令は、全員に向かって、
「帰郷せんとする者、離れてよしっ!」
と声をかけました。

全員に自己の判断で行動しなさいと言ったわけです。
そして戦いの継続を望まない者は、その場を離れなさいと、命じたのです。
けれど、誰一人その場を立ち去る隊員はいませんでした。

翌、8月16日、小園司令は厚木航空部隊の独立宣言を、海軍の各部隊宛に緊急電報で発信し、陸軍や国民に向けて檄文のビラを用意しました。
そのビラの文章です。

「国民諸子に告ぐ。
 神州不滅、終戦放送は偽勅、
 だまされるな。
 いまや敵撃滅の好機、
 われら厚木航空隊は健在なり。
 必勝国体を護持せん。
 勤皇護国。
 皇軍なくして皇国の護持なし。
 国民諸君、
 皇軍厳として此処にあり。
 重臣の世迷言に迷わざることなく
 吾等と共に戦へ。
 之真の忠なり。
 之必勝なり。」

このビラは、零戦が首都圏に散布し、月光が関東東北に、彩雲が中部に、銀河が北海道・中四国に散布しました。

同日、厚木の小園司令のもとには、米内海軍大臣から翻意をうながす意向が伝えられました。
小園司令はこれを拒絶しました。

米内海軍大臣は、横須賀鎮守府三航艦司令長官である寺岡謹平海軍中将に小園司令の説得を命じました。
寺岡中将は、厚木基地に向かいました。
寺岡中将と小園司令は、30分ほど会見しました。
そして会見は「決裂」しました。

8月17日、小園司令の問題は、深刻な事態となりました。
米国から「マッカーサーが8月30日に厚木基地に降り立つ」と連絡があったからです。

ところが厚木基地には、小園司令らが徹底抗戦を主張して立て籠っているわけです。
武装も解いていません。
いまだ戦時体制のままです。

やむをえず海軍上層部は、陛下にこれを上奏し、陛下に直々に「隠忍自重の勅語」を発していただくことにしました。
同時に米内海相は、横須賀鎮守府に厚木基地の「強硬鎮圧」を命じました。

命じられた横須賀鎮守府の寺岡中将は、断固としてこれに抵抗しました。
寺岡中将の心は、むしろ小園司令とともにあったからです。

しかしこの時点で、日本に原爆が落とされています。
米国は、無辜の市民の虐殺に走りました。
すでにこれはルールのある国際戦争ではなく、ただの場外乱闘へと変化しています。
そして陛下の大御心も、国民の心も、亡くなられた英霊の心も、場外乱闘を望むものではありません。

気持ちは小園司令と同じです。
断固戦えば、最後には確実に勝利できることは、後のベトナム戦争がこれを証明しています。
しかも、あと2ヶ月持ちこたえれば、日本の空を襲ったB-29は、ただの的(まと)になるのです。

しかし、それまでの間、原爆という名の場外乱闘によって無辜の国民が受ける被害は甚大です。
だからこそ陛下は、終戦の御聖断を下されたのです。

8月18日、小園司令は、突然40度もの高熱を出してしまいます。
南方戦線在任中に感染したマラリアが再発したのです。
しかし高熱を発していても帝国軍人です。
彼は床に伏せたりしませんでした。

8月の酷暑の中を、軍服をしっかりと着たまま、床にも伏せず満々とした闘志を揺るがせませんでした。
これだけでも常人には真似のできないことです。
いかに小園司令が気迫の人であったかがわかります。

8月20日、海軍兵学校で、小園司令の一期後輩であった高松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう)海軍大佐、 第三航艦参謀長山澄忠三郎大佐らが厚木基地にやってこられました。
小園司令を説得するためです。
そして小園以下、厚木基地に立て篭もる隊員たち全員を集め、「陛下の大御心」を伝え、抗戦体制を終結するよう説得しました。

厚木基地の隊員たちはどうしたでしょうか。

誰も説得に応じなかったのです。
彼らは猛暑の中を正装して滑走路に整然と整列し、親王殿下と参謀長の話に聞き入ったうえで、誰ひとり、その闘志を迷わせることはなかったのです。

8月21日、さしもの豪傑の小園司令も、高熱のために意識が混濁していました。
このままでは司令の命が危ないと、山澄参謀長らは、軍医長の少佐に命じて、小園司令に解熱のための鎮静剤を打つことにしました。
けれど、小園司令は、これを拒みました。
みんなで小園司令を押さえ込んで、注射しようとするのだけれど、そうすると小園司令は、暴れるのです。
ようやく全員で取り押さえて注射をしました。
ただで
え40度を超える高熱です。
そこに鎮静剤を打たれたら、普通はぐったりして身動きさえとれません。
ところが小園司令は、注射後も軍刀を抜いて抵抗しています。
その気迫、まさに鬼気迫るものがあります。

やむなく付近にいた全員で小園司令を取り押さえ、革手錠まではめて、海軍病院に搬送しました。
基地にいた誰もが、司令の療養のためと思いました。

ところが小園司令が搬送された先は、野比にある海軍の精神病院(現・独立行政法人国立病院機構久里浜アルコール症センター)でした。
しかも収容先は、精神科病棟です。

司令が連れ去られた厚着基地では、三〇二空の航空隊員たちが、一部の仲間たちの制止を振り切って、零戦・彗星・彩雲など32機に分乗し、基地から脱出しました。
このうち零戦18機は陸軍狭山飛行場へ、彗星など13機は、陸軍児玉飛行場へ降り立っています。

残る一機は、消息不明となりました。
おそらく単機、敵艦船を求めて太平洋をさまよい、ひとり太平洋に散って行かれたのだと思います。
その心情を思うと、私などは泣けて泣けて・・・。

小園司令がいなくなり、航空兵が飛び立ったあとの厚木基地は、8月22日、軍の命令によって、残る士官全員が、強制退去させられました。

8月23日、厚木基地に山澄大佐率いる大本営厚木連絡委員会が入り、飛行場の片付けと整頓が行われました。
こうして8月26日、米軍先遣隊の輸送機13機が厚木に着陸し、8月30日連合軍最高司令官マッカーサーが厚木に降り立っています。

以上が、終戦直後の厚木事件の顛末です。
小園司令はその後どうなったのでしょうか。

司令はそのとき、精神病棟にいました。
病院内での小園司令に対する処置は、それは酷くて苛烈なものだったそうです。
なお闘志をあきらめない小園に、最重要危険人物に対するもっとも峻烈な後ろ手を十字に組ませた手錠をかけ、食事さえも与えられませんでした。
というより、小園司令は、病院が用意する食事を拒否したのです。

司令は病院が与える水さえも拒否しました。
けれど猛暑です。
小園司令は、喉の渇きを潤すために、床を転げて自分の小便をすすられたそうです。

10月15日、巣鴨拘置所で厚木航空隊騒擾事件の横須賀鎮守府臨時軍法会議が開かれました。
軍法会議出席のため、小園司令は巣鴨に移送されました。
そこは、つい二ヵ月前までは、鎮守府参謀として執務した、懐かしい司令部の建物です。
この日、小園司令の目には、感慨めいた光が宿っていたと伝えられています。

小園司令が巣鴨に到着したとき、遠巻きに小園を取り囲んだ輪の中から「小園参謀!」と声をかけた者がいました。
それは若い、情報係の山梨少尉でした。
山梨少尉は、8月11日の朝、日本がポツダム宣言を受諾したとの海外放送を、小園司令に伝えた男でした。

山梨の方を見た小園の口元に、かすかな微笑みが浮かび上がりかけ、消えました。
一瞬のことでした。
小園司令は、MPにせかされて、建物の中に姿を消して行かれました。

山梨少尉は、拘束衣に縛られ、見る影もなく痩せた小園司令の姿に、「あの参謀長が・・・」と絶句し、涙がとまらなかったそうです。

小園司令は、かって横須賀鎮守府の名参謀として知略をふるい、戸塚長官や幕僚たちまで震え上がらせた猛将です。
厚木基地では、敵戦闘機や爆撃機をなんと120機も撃墜。
そのうち80余機は、あの空の要塞B29の撃墜です。
若い士官たちは、小園司令を心から尊敬していたのです。
その小園司令のあまりにも変わり果てた姿に、山梨少尉は、青年らしい怒りと、同時にその理不尽な姿に、悲憤の涙を流したのです。

小園司令に対する裁判は、その日のうちに判決が出されました。
判決は、「党与抗命罪」です。
司令は失官し、無期禁固刑が言い渡されました。

それから7年が経過しました。
昭和27年4月、サンフランシスコ講和条約が発効しました。
小園司令はどうなったでしょうか。
司令が刑務所から出所となったのは、昭和28(1953)年のことです。
日本政府は、主権回復後も、まる1年、米国に気を遣って小園司令を拘置したままにしたのです。

出所した小園司令は、生まれ故郷の鹿児島県加世田(かせだ)市に帰りました。
そこで農業をしながら、静かに余生を過ごされています。
そして昭和35(1960)年11月4日、家族にみとられながら、57歳の生涯を閉じられました。

中田整一さん書いた「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」という本があります。
いまは講談社文庫にもなっています。
その本の中に、淵田美津雄氏が戦後、小園司令に会われたときのことが書いてあります。
戦後のことですが、小園元司令は、
「あの時降伏などするのではなかった」
と、ひとこと、明るく笑って答えたそうです。

小園司令には確かな勝算があったのです。
当時、日本の空を悩まし、原爆まで投下したのは、B-29です。
それは、超空の要塞と呼ばれる、当時は世界最強の空の要塞でした。
B-29は、高度8000メートルで飛来します。
零戦などのプロペラ機は、どんなに頑張っても高度6000メートルがやっとです。
まるで勝負にならなかったのです。

ところが小園司令は、作戦をもってB-29の高度を下げさせ、さらに飛行機の銃頭を斜め上に向けることによって無理矢理弾を届かせるように工夫し、B-29を撃墜していたのです。
そして同じ頃、日本の長崎の工廟では、ジェットエンジンの開発が行われていました。
燃料は麻油です。

ちなみに麻油は、ほぼ無尽蔵に製造が可能であり、しかも石油のような公害を発生させません。
ある意味、究極のエコ燃料であり、この分野での研究は、戦中までは日本が世界の最先端を走っていました。
戦後、GHQは、日本のこの研究成果をすべて米国に持ち帰りましたが、石油資本のビジネスのため、麻は結果として麻薬の一部のような扱いにされることになっています。

また、当時世界最強だったB29は、朝鮮戦争(1950〜1953)の際にも大量に導入されましたが、その戦争中に一斉に軍の第一線から姿を消しています。
なぜかというと、1951年に、北朝鮮に味方した中共軍がソ連から貸与されたジェット戦闘機の「MIG(ミグ)-15」を導入したからです。
速度が早く、上昇高度の高いジェット戦闘機の強力な37mm機関砲の前に、B-29は、空に浮かぶ速度の遅い、ただの巨大な的(まと)でしかなくなったのです。

ソ連のMIGジェット戦闘機は、ソ連がドイツに勝利
たことによって、ドイツのBMWから奪った技術を用いたものでした。
日本では、中島飛行機が独自技術でジェット戦闘機を開発していました。
理由は簡単で、実はプロペラ機のエンジンよりも、噴進機関、タービンロケットを装備したジェットエンジンの方が、構成部品が少ないために、製造が簡易であったことによります。
このエンジンを搭載した戦闘機や爆撃機が登場していたら、おそらく戦況は一変していたことでしょう。

けれど陛下の大御心は、戦争の終結を望まれました。
なぜなら、日本が戦況を一変させる前に、もうあと2〜3発の原爆を日本は投下された危険があったからです。
そうなれば、何十万の無辜の民が死ぬ。
陛下は、戦いに勝つことよりも、無辜の民の命を守ることを選択されたのです。
そのおかげで、私達は生きている。
そのご恩を、やはり私達は、しっかりと感じ取る必要があるのではないかと思います。

それともうひとつ。
日本の社会では、実績があり誰からも慕われる偉人が、必ずしも幸運な晩年をすごすわけではない、ということです。

小園司令は、数々の武勲をたてた空の勇者であり、大東亜戦争末期には帝都上空を守る最精鋭航空隊の司令に任ぜられるという優秀さに加え、部下からもたいへんに慕われる、まさに「立派な帝国軍人」でした。
にもかかわらず小園司令は、戦争が終わると、こんどは逆に精神病患者という扱いを受け、拘束着を着せられ、刑務所に入れられ、日本がサンフランシスコ講和で独立を回復してもなお1年、刑務所から出してもらえず、晩年は細々と農業を営み、静かにこの世を去っていかれました。

歴史をたどれば、土佐藩の改革に見事な実績を残した野中兼山、治水事業で実績を残した水戸藩の松波勘十郎、関宿藩の船橋随庵も同様に、さみしい晩年を迎えています。
これはどういうことでしょうか。

人は魂が、より偉大な魂となる訓練のためにこの世に肉体を持って生まれてくるものだというのが、縄文以来の日本人の考え方です。
最近は、その考え方が、実は本当なのだとうことが、最先端の理論物理学の世界で、シミュレーション仮説として、有力になりつつあります。

そうであるとするならば、この世での名聞冥利が問題なのではなくて、いかに生きたか、どう生きたかにこそ、魂としての価値が有ることになります。
肉体に宿る魂は不滅なのです。

小園司令について、戦後は賛否両論、というより否定論の方が強かったし、昨今では、小園司令の名さえも、消された歴史になろうとしています。
けれど私は、小園安名という司令がこの日本にいて、国土防衛の柱として、見事その人生を捧げられたことに、最大の敬意と感謝を捧げたいと思うし、日本人として誇りに思います。

もちろん先日の「終戦の詔勅」の記事でご紹介しましたように、陛下のご決断と、そこに至る経緯は最も大切なことです。
その意味では、小園司令の行動は、必ずしも褒めた話ではないかもしれません。
しかし、褒める褒めないは、評価です。
その時代の人々にとっては、それぞれが真剣に人生を生きたのであって、それを我々後世の者が、あれこれと論評することは、それは傲慢というべきものです。
そうではなく、そこから何を学ぶか、こそが大切なのだと、私は思います。

そもそも、命をかけるわけでもない、当事者でもない、その時代を生きてもいない、その後の歴史の結果も承知している者が、弾も飛んでこないはるか未来から、あれこれと評価するということ自体が、腰抜けのすることであり、卑怯卑劣なことなのではないかと思います。

評価ではなく、学ぶこと。
そして、頑固一徹な男をこそ、私は最も尊敬する男としたいと思うのです。

お読み頂き有難うございます。

最後に、こちらを とお願い申し上げます。

自重 あなたと夢を、ごいっしょに。

こんにちは。
今回はフリーリグの話です。
2017年の出始めに書いた記事ですが、アクセスが非常に多く常に上位にランクインしてくるため、内容を見直してより分かりやすくまとめて書き直すことにしました。

フリーリグ(フリリグ)です。

ご存知の方も多いとは思いますが、一応もう一度おさらいしておきましょう。

構造は見ての通り。

○フリーリグの作り方

ラインにスイベル付きのダウンショットシンカーを通してフリー状態にし、オフセットフックを結ぶだけ。

作り方自体は、説明するまでもないぐらい簡単です。

注意するのは、ダウンショットシンカーのアイのみ。

当然ですが、アイが輪っかになっているタイプじゃないとダメです。

ラインを挟み込むタイプではフリーにならないため、このリグは成立しません。

また、シンカーが結び目にダイレクトに当たるので、画像のようにシンカーとフックの間にストッパーを入れるのをおすすめします。

これだけでシンカーによる結び目へのダメージ、ラインブレイクのリスクをかなり減らせますよ。

私はキャロライナストッパーを使っていますが、普通のワームストッパーで大丈夫だと思います。

○シンカー

リングタイプのダウンショットシンカーを使用します。

まずは専用品である、

こちらのフィッシュアローさんから出ているもの。
これは特殊な凹凸が設けられており、ズル引き気味に使用した時でもボトムの変化を感じやすいです。
あと、アイがローリング式なのでラインがヨレにくいですね。
なかなか考えられている良い商品だと思います。
ただ、ちょっと単価が高いです。
最近出たリューギのリングダウンショットも良いけど、高い。
普通に使うなら手に入りやすく比較的安価なこちらがおすすめ。
レインズのスリムダウンショットタングステン。
ジャッカルのも良いですがあまり置いてないため、これが基本ですね。
最近はほとんどがレインズになりましたが、沈下スピードやすり抜け性能、強度など問題なく使用できます。
もちろん、鉛やナス型オモリでもできますが、できればより速く沈んでフリー状態を作りやすいタングステン、スティックタイプをおすすめします。
・ウェイトの使い分け
ある程度飛距離が必要なリザーバーや野池では7g、10g辺りが基準になります。
14g以上のヘビーウェイトは、好みで。
たぶん、遠投しすぎてもラインが寝るだけでフリーにならないからあまり意味がないとは思います。
クリークなど近距離撃ちをする時やワーム自体に自重がある場合なんかは、軽いシンカーを使うことが多いです。
私の場合は、Mクラスのベイトタックルに14lbラインで3.5gや5gまで使っています。
○特徴、誘い方
さて、このフリーリグの特徴ですが、
下側がボトムだと思ってください。
この図のように、シンカーがフリーなのでキャスト後は先にシンカーが着底します。
そして後から、このようにワームがフォールしてきます。
キャロライナリグと同じようにノーシンカー状態でのフォール時間が取れる、というのが特徴です。
よってキャロで釣れるワームはフリーリグでもかなり釣れると思います。
リザーバーでの初使用でバスを連発。
気を付けていたのは、アクション。
テキサスではズル引き気味に引いてきたり、少しバンプさせてリアクションを狙ったりと織り交ぜることが多いですが、フリーリグではほぼ全てリフト&フォールでバイトを取りました。
テキサスよりも上に跳ねる距離を多めに取る感じ。
要は跳ねさせてからのフォールでの間で喰わせるリグなので。
ズル引きにはあまり適していない印象。シンカーが寝てしまうため。
キャロだとほぼズル引きで何かに当たったところでフォール、というのが定番ですが、フリリグではほぼ跳ねさせて沈めて、少しポーズを取って、の繰り返し。
岩などを感知したところではステイを多めに取るなどを意識しています。
・テキサスやキャロとの違い
違いを感じたのは、感度と飛距離。
低重心でダイレクトにボトムに当たる分、感知能力が抜群で飛距離も凄く出ます。同じウェイトのシンカーを使用するなら、フリリグ>テキサス>キャロの順で飛びます。
特にキャロよりは圧倒的に投げやすく、キャロに近い使用法ができるという点は優れていると思います。
○おすすめのワーム
使用するワームについてですが、先述のようにテキサスやキャロに使うワームなら何でもいける感じです。
今のところクローやホッグ系の実績が高く、
派手に動かない系では
・ジャスターホッグ
・パワーホッグ
など
派手に動く系では
・ドライブビーバー
が特におすすめです。
同時期に使い始めたこともあり、ドライブビーバーとフリーリグのコンビネーションはかなり釣れています。
釣行記を読んでいただいている方は見ていただいている通り。
先日の50cmだけでなく、
49なども含め、クリークでは当然のように釣れています。
ピン撃ちにはまず間違いない。
去年使い始めたリザーバーでも、

早速連発していました。

これは日指ダムでしたね。
日指ダムではタフコンディションで苦戦した中でも1600のクオリティが出てくれました。

他にも既に、山間部リザーバー、野池、熊本河川などでも実績を上げており。
ほぼどのフィールドでも外さずに結果が出ているのが素晴らしいところ。
ビーバーはフリーリグのために、フリーリグはビーバーのために、というぐらいマッチした組み合わせです。
ほんと、反則的に釣れますよ(^^;
フリーリグにしか出ないアクションがあるので、明らかにテキサスとは違う喰わせ方ができると考えています。
私が語るまでもなく、ビーバーの初回アクションムービーでもフリーリグは紹介されていたし、最近になって並木さんがまた解説動画を出していたし。
並木さんがわざわざ時間が経ってから解説するってよっぽどですよね。
それだけご本人も釣れているのでは。
並木さん皆使うからあんまり詳しく語らないで〜と思ったぐらいです(笑)
こういうのにアンテナを張って、いち早く取り入れるのがメイユーというアングラーだったりします。
メーカーの好き嫌い問わず、情報はほとんど仕入れてますから…(^^)
釣りは行く前から始まっている説。
ただ、ビーバーはちょっと単価が高いしどうしても壊れやすいですからね。
めちゃくちゃ釣れるけど、代わりを探すのが今取り組みたいことのひとつ。
おそらく自重があって多少動くワームなら同程度に釣れるはず。
でも結局、そういうワームって塩が多いからやっぱり壊れやすかったりするか(笑)
UVSCとか、クエイククローとか、どうですかね。色々試してみたいところ。
フリービーバーが釣れる一番大きな理由って、あのフォール中のバサロアクションだと思いますよね。
実はそうじゃないんです。
やって、感じてみてください。
ちなみにまだ検証ができていませんが、カーリーテール系やストレート系なんかでも良いと思います。
要はテキサスの変則系と捉えれば、難しく考えずにどのワームでも使えるはずです。
フォール時に自発的に動くものは特に期待できますかね。
○タックル
最後にタックルですが、通常のテキサス、ライトテキサスに使用するようなML〜M程度で先調子のものがおすすめです。
MHまでいくとライトシンカーが扱いにくく、バイトを弾きやすくなるので個人的にはMぐらいまでがおすすめです。
スラックを用いるため、レングスは7フィート以上の長めの方が捌きやすいかと。
そこまで繊細な釣りではないので、ソリッドじゃなくても全然大丈夫です。
私が使用しているのは、
いつものワイルドサイド610M。
テキサスリグ、フリーリグ、メタルバイブなど7〜10g前後の掛ける釣りには最高ですね。
先調子ながら粘るので掛けてからもバラしにくい、良いロッドです。
リールはメタニウムXG。
なんでもいいけどハイギア以上がおすすめ。
ラインは感度と掛けの両立でフロロ一択。私はフロロリミテッドの14lbです。
リザーバーメインなら10か12のほうが飛ぶし食わせやすいからいいのですが、クリークでは最低14です。
ストラクチャーに巻かれるし、ライギョなど規格外の魚が来たりするので。
ナイロンは伸びてフックアップしにくいので、やめたほうがいいと思います。
というわけで、だいたい現時点でのフリーリグについてまとめるとこんな感じです。
ありがとうございました。

No 自重 No Life

「麻辣担担麺~赤銅~」(907円)

 池袋駅東口徒歩5分だが、有楽町線から通じる地下通路を歩き、39番出口を出ればすぐ。1・2階の「大阪王将」をはじめ、「イートアンド社」が展開する飲食店が複数入居している。地下1階のこちらは以前「よってこや」の担々麺専門店(その時のレビューは)だったが、その店長の名を冠した店名にリニューアル。山椒の痺れと唐辛子を活かした「SHIBIKARA担担麺」を名乗っている。

 痺れと辛さを活かした担々麺というベースは「よってこや」時代と同じだが、三段階あった辛さを変更し、最大のものを基本にして、スープなどの味付けも微調整を加えたとの事。「辛いものを食べに来られる方が多いので」との事で、更に辛さや痺れを増す注文も受け付けるそう。これでも十分に辛く、山椒の痺れも感じられる。ナッツのコクやザーサイの食感がアクセントに( ´ ▽ ` )ノ 

「麻辣汁無し担担麺~蘇芳~」(864円)

 こちらは汁無し担担麺バージョン。辛さや痺れの印象は同様だが、太麺と芝麻醤がダイレクトに絡む分、辛さや痺れもかなり強く、ライスを出してもらおうか悩んだが、連食なので自重しました。

→自重についてもっとタイトルを作る←

自分の船ではありません
なので真面目に作る
アンカー投入するのに重たいアンカーを揺れるバウスプリットの先端まで行って投入するのは危ないしめんどくさい。
なおかつ回収時もアンカーチェーンまでウインドラスで巻いたら手で上げないと行けないので他の船に付いてるアンカーシーソーを作って欲しいという事だったのでのんびりと納期もらってましたがすっかり忘れてふと思い出したので作り始めました
ヤンマーの漁船タイプのプレジャーボートなのでバウスプリットにニッコー機材のバウローラーのローラーの幅110mmのが付いてます
これに取り付けるシーソーのお手本は他の船に付いてるので段ボールで型取りさせて頂いて作ります
同じバウローラーが鐵工所にあったのでお借りしたので現物あわせも船まで行かなくても良くなったので工場でより正確な良い物作れそうです

シーソー自体はこんな感じで

真ん中の小さな青丸がシーソーの軸になり、投入も回収もバウスプリットの先端まで行かなくてもロープを安全な位置から送ったり引っ張るだけで投入出来たり回収時もガチャとアンカーロックするまで巻けばそのまま固定出来るという10kg超える重たいアンカー使う方や、ニッコー機材のアンカーマンを装着してる船ならアンカーまで行かなくても操舵室からスイッチ一つで投入や回収固定出来るという優れたシーソーです
(自分の船は船置場的に船首から乗り降りしたりするのでこれ付けると躓き転倒したり着岸時にこのシーソーぶつけるので搭載出来ない
そもそもアンカー軽いしね)

アンカーロープを張った状態だとシーソー先端のガイドにアンカーが掛かって水平に近い状態で固定され
ロープ緩めるとシーソーとアンカーの重さで傾きよっこらせとアンカー持ち上げなくても勝手に投入出来る優れもの
これ考えた人すごい

バウローラーの幅が110mmなのでアンカーシーソーの幅は最大108mm〜100mm位かな?
買ったSUSの鋼材の板厚が3mmあるのでローラーの幅は100mm前後だとぴったりになるけど、このサイズのローラーの既製品は見当たらなく特注になるので価格が高くなる
ただ見つかった既製品ローラーの100mmに近いサイズはニッコー機材のローラーで87mmなのでシーソー幅を狭くするか105幅でシーソー作ってアンカーロープが左右の隙間に入り込まないようにスペーサー代わりのリングとかかまさないといけなくなるのでやっぱローラーは100mm位欲しい
ヤフオク探すとちょうど良いポリペンコ製MCナイロンの100φ無垢円柱があったので加工出来るか未知でしたがダメ元で購入してみました 100φL=300 \3000×2+送料
ちなみに新品1mだと\25000
親戚の木工旋盤でどうにか出来ないかと試しますが、木工のバイト(画像はネットから拝借)

で削ると慣れた持主ですら木工バイトが一気に食い込んでバイトが巻き込まれたりMCナイロン自体が吹っ飛びそうで非常に危険なのですが、親戚が色々と工夫してチップ式で飛び出し長の調整出来るバイトを食い込みにくいようにちょっとだけ出して削って見ると他のバイトよりガッとなることは少なくなり太めの糸のように削れるのですが、木とは違い削りカスが一本に繋がったまま旋盤やMCナイロン自体に巻き込むので削っては止めて切子回収をしなくてはならないし、やはり一旦食い込むとそこが癌になって何度も引っかかって危険です

それでも何とかベテランの技能でここまで削れました
その後スクレイバーというらしい厚さ0.5mm〜1mmほどの薄い鋼の板を低速で押し当てると丈夫なバイトとは違い薄いので曲がる=素材に引っかかってガッって食い込まないので削れる量は少ないけれどバイトよりは遥かに安全にとろろ昆布のように削れる事が分かり、見た目も綺麗なのでこれでやれば自分でも削れそうだという希望の光が見えてきました
(高速だと全く削れない)

これはまだ軸穴開けてないので最初に軸穴の貫通孔12.2φ開けてから旋盤で軸穴基準に外径削って芯出しした後にローラーの形に削ればどうにか出来そうです

(以前スクラップの中から激安で買った金属旋盤バイトやヤスリ、ドリルや打刻ポンチとかの中に良さげなドリルがあり、ちょうど12.2位のキリがあったのでローラーのシャフトは12の丸鋼にして軸穴を12.2にする事にした)

翌日は自分でローラー作ってみる

最初にMCナイロンを100mmでカットしてセンターを書きポンチを打ちます
んで4mmのロングドリルで両サイドから貫通孔開けたら1mmアップしながら穴を広げていきます
ボール版に固定出来るバイスがあればサクッと開けれるんだろうけどないので手で固定するしかない為、一気に穴径広げるとキリに喰いついてブレてぶっ飛んでいくので徐々に開けました ぶっ飛んでキリ3本折ったけど…
貫通孔が出来たので旋盤にセットして削りますが、MCナイロン用にRのついたバイトの刃を直角に落としたのを作っててくれました

これを使い絵の様に削ると一度もガッっと食い付く事なくサクサク削れました
(固定台と刃先までの距離が2cm以上離れるとビビリは発生するけど安全に削れる)

親戚の仕事道具を借りて何とか幅100mm耐久性の良いMCナイロン製ローラーが作れました

材料費\2000+準備作業試行錯誤片付けで8時間
ローラー一個削るだけでこの削りカスの量!
コンビニ弁当の袋にギリギリ収まるくらいの量が出ます

切って曲げてうぇるでぃんぐ

材料はALLSUS304 価格はこれ位だったという適当な記憶
①3mm板 量り売り 4kg使ったので1600円 
②板の外周に巻く10mm丸鋼 定尺4m X 2本 \2500?x2
③ローラーのシャフトに使う12mm丸鋼 2m(使うのはL=105が2本)\2000?
④シーソー前後に斜めに取り付けるアンカーの外れ止め 強度が必要なので16mm丸鋼 40cmと50cmのスクラップ材 量り売り
巻き上げ時にウィンチで巻き過ぎてアンカー吹っ飛んできて怪我しない為の安全ストッパー兼シーソーからアンカーやロープが外れない様にしたり、回収後テンション掛けてアンカー固定したり色んな意味がある大事なパーツ
⑤ニッコー機材のバウローラーのローラー軸穴を孔拡張してシーソーを固定する為のM20アンカーボルト+ナット2個+ワッシャ
4枚 新品だけどスクラップ量り売り
⑥バウローラーとシーソーを接続するM20アンカーボルトが通る25A位のパイプは自分の船の手摺作った時の余りなので\0 L=108
①\1600+①以外の鋼材の金額が確か8640円=鋼材代\10240

p

SUS切って曲げて溶接とか加工5時間

ちなみにシーソーのローラーとか交換するなら溶接で殺してあるのでシーソー自体を切断しないと交換出来ません

MCナイロン901ローラーつけたままSUS酸洗したのですが、ローラーに酸が付くと白化してしまいました フッ酸+硝酸には耐性無いようだ
酸洗には注意しよう
酸洗い+\1400 600番仕上げパフ掛けして焼けをなるべくとった 溶接焼けはすぐ取れるけどガスで炙って酸化した所は酸洗いでは綺麗にならないのでサンダーのペーパーの奴#240と#400で削り落として#600で磨いた
①アンカー固定状態

①アンカー固定状態

④何回か落としてから巻いて固定するまでロープ引っ張ってみたけど、唐人アンカーは爪が重たいのでこの向きで上がってきた

②投入時はロープ緩めるだけでシーソーが傾きアンカーの自重だけでスルスル落ちる

③いっぱいまで巻いたままロープをクリートに結べばアンカーの固定完了
シーソーの前後に輪っかがついてるのでシーソーからロープが外れたりウィンドラスでアンカー巻き過ぎて自分に吹っ飛んでくる事は無いので安全

③落ちて行くー

②ガラガラってチェーンが来たらウィンドラス止めてロープを手で手繰っていくと

④クリートに結べば投入終了

①ロープ解いてウィンドラスでぐーるぐーる巻き上げ

回収時はバウに上らなくても安全な手前で巻き上げ

投入中
完了

失われた自重を求めて

これの登場を待っておられた方多いのではないでしょうか

フルメタルボディ、大口径ドライブギヤ、ドラグMAX10kgでフルロックに近いパワースタックカーボンドラグ搭載のベイトリール

ギヤ比も8ギヤ、7ギヤと選択肢が広がり、ゲームの組み立てが可能となった

Abu Garcia

REVO BIGSHOOTER COMPACT 8/7が9月発売予定

REVO BIGSHOOTER COMPACT 8

自重(g)250、ギア比8.0:1、最大ライン巻取(cm)83、 最大ドラグ力(Kg)10、 ラインキャパシティ16lb-125m ,20lb-100m 85m、

ボール/ローラーベアリング7/1 、メーカー希望本体価格(税抜)36,000円

REVO BIGSHOOTER COMPACT 7

自重(g)250、ギア比7.3:1、最大ライン巻取(cm)76、 最大ドラグ力(Kg)10、 ラインキャパシティ16lb-125m ,20lb-100m 85m、

ボール/ローラーベアリング7/1 、メーカー希望本体価格(税抜)36,000円

デュラメタルフレーム

アルミニウム製のフレームは強度を落とさずに軽量化にポイントを絞りながら極限の設計。
ソルトでのタフユースも考慮した素材設定。

デュラメタルサイドプレート

サイドプレートはアルミにチタンコーティング。
メインフレームと合わせてフルメタルの構成になり、歪の無いフッキングやブレの無いリトリーブが可能となった。

マグトラックスIIIブレーキシステム

風の強いオープンウォーターでスピナーベイトやビッグクランクベイトなどの空気抵抗が大きいルアーをキャストする際は、

投げ始めからルアーが風に押し戻されてバックラッシュすることが多くなるので、
ルアーがリリースされた瞬間からブレーキが確実に効く、マグネット方式のMagtraxIIIブレーキシステムを搭載

パワースタックカーボンマトリックスドラグ

通常、ドラグワッシャーが2枚の場合、片面の2面しか効力が発揮しないのに対し、
ドラグワッシャー外径部の凹凸をつけることにより、通常より1面多い、3面の効力を発揮。
最大ドラグ力はもちろんのこと、優れた滑り性能を発揮する。

D2ギアデザイン大口径ブラスギア

強靭な大口径ブラスギヤを搭載、耐久性と強度がアップした、強靭なギアで安心した大物とのファイティングが行える.

デュラクラッチ

作動部を徹底的に見直し、切り易く、耐久性能のアップしたクラッチ構造となった。

φ33mmアルミマシンカットディープスプールインフィニスプールデザイン

20lb-100mをストックする余裕の糸巻き量。
大物を考慮した、極太ラインの収納で、糸巻き量を気にすることなくファイティングが可能となった。

リセスドリールフット


分割式のリールフットはスプールを下方に押し下げさらなるロープロ化が可能になった。
足からの高さが、約40mm。快適なパーミング性能を提供する。

95mm長4mm厚アルミクランクハンドル+軽量EVAミドルラウンドノブ

ハイパワーで頑丈な95mm長4mm厚のアルミハンドルに軽量で握りやすいEVA素材のミドルサイズノブを採用している。

Salt Shield TM ピニオンベアリング

撥水コートを内部外部全体に施した新開発ボールベアリングを採用することにより、回転異音の原因となる塩ガミ現象を激減。
回転フィール・耐久性を大幅に向上させることに成功しました。
両軸リールでは最も塩の結晶の残りやすい、ピニオンギア部に採用した。


自重 関連ツイート

RT @shisoyama: セクハラ犯はちゃんと相手と状況を理解した上でやっている、奴らは冷静です。「こいつは文句を言うぞ」という人がその場にいればセクハラも自重する。私がそれになってもいいが、私がいないときは誰も牽制できない。誰のときでもダメだと叩き込まないと、相手と状況を…
@r2cGH95n0evdFMq @tomo414_leaf @helloyuki31 たまには遊んでくださいね♪
生き餌準備して待っていますキ(自重)
@Fe2O3__ なお田島はいまのところ自重中w
久しぶりにどら焼き食べたけど生地がふわっと軽くて持ってるだけで自重で沈みこんでくる。
生地は軽いけど中の餡とクリームはずっしりで、甘すぎなくてすごく美味しい。また食べたいどら焼きでした。 https://t.co/4IJ7xlIzwU

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