ホームシックがいま一つブレイクできないたった一つの理由
ちょっくら年初から早くもブログアップをサボり気味なキリギリスです。
だってさー。12/14から大晦日まで17日のアメリカ行き。その後も、日本の実家で寝正月。
やっと1/9に仕事復帰するも、年明け早々に今度はミシガンで世話になっていた親友が日本に来たり・・・と、イベント目白押しで、なかなかバケーション気分が抜けないんだもーん。
そうこうするうち、なーーーーーんと、やられました。
インフル。
先週あたりは全くもって笑えない状況になったわけですが、やっと回復して元気になっている今日このこの頃。今週から完全に復帰してますが・・・
ふと見たら、もう今日は1月30日じゃありませんか!
アメリカから帰国してから早くも1ヶ月!!!
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え?!
なんか、私だけ時空をワープでもした?!
って感じになっています。ほんとに早いー。
もう1年が12分の1は終わったんだね。きゃーーーー!
そして現在、キリギリスの通うオフィスでは、インフルが蔓延し、日々バタバタと犠牲者が出ています・・・。みなさまもお気をつけください。
ところで、今回3年ぶりにアメリカのホストファミリーのところへ里帰りしたわけですが、日本に帰国してから、自分でも驚くほど落ち込みました。
ちょっとねじれ現象ですが、いわゆるホームシック みたいな感じ。
いや、確かに、
日本出身だし。日本人だし。日本にずっと住んでるし。自宅も実家も日本だけど・・・。
なんだか、アメリカのファミリーのこと、ティーンから30代頭までを過ごしたアメリカでの生活、当時の思い出、アメリカにステイしていたら得られたであろう未来像、アメリカ時代の思い出・・・
いろいろなものが、ぐるぐる頭を回って、何だか非常に切ない。
なかなか気分が上げられないでいます。
いろいろ考えても、合理的な理由も意味もわからない憂鬱に襲われていて、なかなか浮上できない。アメリカの生活 vs 日本ってことで、あっちが良いと思っているわけでもない。どっちもどっちだし、どっちも好き。
でも、根本にはね、もっと時間的なものがある気がします。
ミッドライフクライシスってやつかもしれません。遅ればせながら。
キリギリスのアメリカ時代というのは、自分にとっては子供から大人になるティーンから30代始まりくらいの期間。
その後の人生や自分の大人としてのアイデンティティを造る時期だったと思います。
その後、30代40代は、日本で通訳として生活してきて、短期間はシンガポールに出稼ぎに行ったりしたわけですけどね。
なんか、アメリカ時代を懐かしむこと、それはすなわち青春時代を振り返る感傷とも同義なのかもしれません。
私というやつは、ほんの最近まで、過去を振り返ることはほとんどなかった。いつも前ばかり、次のことばかり考えていた。3年前にも、同じようにクリスマスをアメリカのホストファミリーと過ごしたけど、こんなに感傷を感じたり、ホームシックにもならなかったのですがね。
何が変わったんだろう?たったの3年で?
そう考えて、結局思い当たるのは2年前の冬に受けた、乳がんの診断ですかね。やっぱり。
2017年2月1日に手術。今度の2月で2周年になる・・・
そういうもろもろの現実が、2年をかけて、紙に染み込む水のように、ジワジワっと自分の中で広がっていっているのかも。
アメリカのファミリーも歳をとっていた。
驚くほど体が衰えていたし、精神的にも弱くなっていました。
そして、自分にも気持ちの変化があったのだと思います。
いろいろなもの。家族にも、人間にも、終わりがある。
そんな普遍で単純な真理を、今までは本当には実感したことがなかったんだと思う。
自分ごととして、引き寄せて感じることがなかった。
だから、今になってホームシックになっています。アメリカに。ミシガンに。アメリカのファミリーや友人に会いたくて、ホームシック。限りある時間だと気づいてしまったんで、もっと一緒に過ごしたくて、ホームシックです。
こういう気持ちって、乗り越えられるのかな?慣れるもの?
↓ミシガンのホームを出発する朝に、Dadがパンケーキを焼いてくれました。
驚くほど背中が曲がっていました。それが切なかった。でも、高校生のころから数えきれないくらい見てきた光景。
週末やお休みには、Dadがパンケーキを焼いてくれる。それがMomが焼くのより、自分で焼くのより、随分と美味しくて、パンケーキはDadが焼く決まりでした。
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↑得意そうにニヤリ
↓焦げているのはご愛嬌。
お別れの日の朝の、特別なパンケーキ
↓飛行機の中で食べてねって、Momはチョコチップクッキーを焼いて持たせてくれました。
あ〜〜〜あ。
1月も終わるというのに、なかなか気持ちが浮上できない今日この頃。
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なんだかめっちゃめちゃ暗いですね。センチメンタルです。sigh***
まぁ、ビジュアル的には確かにちょっとかる〜くうまうまネタでもあるわけですがね。ま、いくら能天気キリギリスでも落ち込むことはあるってことなんでござる。このセンチさにめげずに、この辺のボタンをクリックすると、キリギリスが喜ぶ仕組みになっております。よろしくおねがいしま〜す
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ホームシック大好き!
ずっと書きたいと思っていた出産記録の記事。
ようやく書く気になったので。
一年前の記録です。
高血圧合併妊娠の私が、臨月を迎える頃の話。
高血圧妊婦の事は前に少し書いていたけど〉
今回は時系列で。
の続き
インフル明けに北斎展に行ってしまったアホ妊婦。
その翌週の検診で。
血圧高すぎて、管理入院を言い渡されました。
この時の血圧、上が160超えたんですよね。
先生にそれ言った途端に、
「160?即入院です。」
って。
きっぱり言われました。
ただでさえ、高い血圧気をつけろと言われ続けていたので、
私も160超え見たときはやばい気がしていました。
前々から、
陣痛来る前に入院するかもって先生からは言われていました。
計画分娩の可能性が非常に高かったわけで。
でも、
正直、こんな早く?って感じでした。
予定日が2月13日だったから、せいぜい管理入院も2月頃だろうとタカをくくっていたのです。
その時点で週数は36週だったし、
まぁ、早いわけではないけど。
臨月何しようかなとか、
帰省の準備しよーとか、
考えていた矢先だったので、
唐突に感じたのでした。
旦那と、今日は、
美味しいものを。
子供が産まれたらしばらく行けないお店に行こう!と言って、
悩みに悩んで産前最後の晩餐の店を決めました。
行きつけのビストロで美味し〜い料理を食べ、翌日入院した。
(で記事にしていました)
入院先は検診から通っていた国立成育医療センター。
言わずと知れたハイリスク妊婦安心の大病院。
人生で初めての入院。
旅行ではどんな布団でもベッドでも寝れる私ですが、病院のベッドは初めて。
大丈夫かな?怖くないかな?と不安でした。
部屋は大部屋で4人入る部屋。
他は分からないけど、私は大部屋でも全然大丈夫でした。
そこそこ広さがあるし、カーテン閉めても閉塞感は無く過ごせました。
引き出しとか棚も色々入るし、
コンセントは個室じゃないと使えないけど、
充電器あればスマホは使えるし。
トイレと洗面は部屋の横で共用だけど、綺麗だったし。
入院って構えてたけど、適度に快適でした。私は。
入院中は雪も降りました。
成育の中からもわかるくらいの積雪で、
すぐそばの職場が窓からは見えていて、少し心配になったり。
面会に来てくれる旦那が車出せるのかなって心配してました。
他の日はよく晴れていて、
部屋からは富士山が綺麗に見えた。
成育があるのは、古くから景勝地だった多摩川沿い国分寺崖線の上。
この周辺には「富士見坂」とか、富士山を意識した邸宅とかもある。
特に成育の病棟は急坂の縁に階層がある建物ですので、
富士山が綺麗に見える部屋があります。
入院中この景色に何度元気付けられたか。
私にとっては職場に近く、
慣れた景色だったこともあり、
入院中でもさほどホームシックにならずに済みました。
そしてこの頃に
妊娠後期で行ける最後のマタニティクラスがあって、
旦那も連れ添うって事で外出を許可してくれました。
このクラスの最後に、
『私があなたを選びました』の動画を見るのよね。
まぁ、泣くよね。
成育って、ハイリスク妊婦さんばかりで、
周りの人達も何らかのリスク抱えていたんだろうと思う。
みんな、みんな無事に産めるようにと、この時思っていた。
病棟の建物から出たのはこの時だけ。
連日規則正しく生活してたので、気持ちは比較的安定していた。
入院中は毎日6時前に起きて、
白湯を飲むためにコミュニティスペースに行き、朝焼け見てた。
7時にご飯だから、その前に血圧測定があった。
食べ終わってから、歯を磨いたりしてると大体先生の回診があって。
12時頃に昼食をとり、13時の面会開始頃に旦那が来て小1時間いてくれる。
旦那が帰った後、大体15時頃に昼寝をしていたかな。
午前も午後も空いた時間には、
シャワー浴びたり、NST(ノンストレステスト)したりで過ごしていた。
夕食を18時頃に食べて、
20時頃に夜勤の看護師さんに血圧とか測ってもらい、
21時消灯だったかな。
減塩食だったけど、上げ膳据え膳の有難さは身に染みた。
私が入った病棟は、短期の人の病棟のようで、
出産直前直後の人が結構いました。
出産して落ち着くとまた違う病棟に移るし、
長い管理入院の場合なんかにはまたそれも違う病棟らしい。
だから大部屋も入れ替わりが結構あって。
最初は病室に3人だった。
向かいの方は1週間くらい?は同じ部屋だった。
違う病棟でかなり長い間管理入院されていたみたい。
点滴もしてたようで、会えばご挨拶はしたけど、お話は特にせず。
でもすごく静かで、穏やかな方でした。
他は入れ替わり立ち替わりって感じでした。
向かいの人が産気づいて部屋を移り、私が病室に1人になった頃。
看護師さんに、
シャワーしかないからお風呂が恋しいって話をしたら、
足浴させてくださって。
すごく気持ちよかった。
アロマも入れてくれて。
これが出産前最後にリラックス出来た時間でした。
で、その後破水で入院された方がいて、
結構夜中に入院し、翌日ご挨拶にいらした。
律儀な方だなと思いました。
この方に先生が話しているのが聞こえてしまったのですが、
「長時間陣痛したのに結局帝王切開というのは、僕はすすめないです…」
というくだり。誘発や促進剤使うかどうか、破水したのに陣痛が来ない場合の対処についてお話していたようです。
翌日、2方入られて満床に。
いずれも無痛分娩の計画入院の様で、昼間に余裕を持って入室していました。
確か、これが金曜日。
私は管理入院中に、やりたい事を二つ病室に持ち込んでいて。
一つは、研究関連の寄贈本をなかなかじっくり読めずにいたのを、
読んで筆者の方にお手紙を書く事。
もう一つは、論文の書き直し。
者は何とかこの頃に手紙を書き終えて、
翌日面会に来た旦那に手紙の投函をお願いして終了しました。
ずっとやりたくても出来なかった事が一つ片付いてホッとした気がします。
後者は全くできずに終わりました。
日々の入院生活で唯一楽しみだったのが、
NST(ノンストレステスト)、赤ちゃんの心拍数見るやつです。
元気に動いているのは胎動で分かるけど、
心臓の音聞けるとすごく安心したなぁ。
産む直前のこの頃は、
時間だけがたくさんありすぎて、
人生やり残した事がないかって、
よく考えていました。
なんででしょうかね?
死期というか、自分の人生の長さについて考えていたのでした。
ホームシックがある
こんにちは〜!
今日もご覧下さり
ありがとうございます!
本題に入る前にお知らせです!
今回化粧品のご注文を下さった方で
フォームクレンザーのご注文を下さってる方。
お知らせメールを送らせて頂いてますので
一度メールのご確認をお願い致します
フォームクレンザー注文したけど
特にお知らせメール来てないって方は
恐れ入りますが、一度私までメールをお願い致します
お手数おかけいたしますが
どうぞ宜しくお願いします!
さてさて!本題ですが
タイトルの通り
韓国来て昨日で2年となりました
この二年間…
とくにホームシックになる事なく
なんと薄情な娘でしょうか
ちなみに、韓国来て2年。
父に電話した事なければ
電話が掛かってきたことも無く
親子揃って電話キライw
一回兄嫁様から
テレビ電話掛かってきたときかな?
その時、父がいて、一回喋ったくらいの感じ
何かあればもちろん電話するけど
とくに電話する程の話もなく
妊娠報告もお兄ちゃんからサラッと
ほら
普段電話とかしないから
逆に、電話したら何かあったんかと思って
ビックリするかなと思って
まだ産まれた訳でもないし
ただ発覚しただけやから
軽く伝える程度でいいよね〜的な
こんなスタンスな私なもんで
韓国の家族からしたら
きっと物足りない
最初は頑張ろうと思って
電話したりカカオしたりしてたけど
前に旦那さんから
どうしてハナは家族のカカオグループに返事しないの??
って聞かれたんですが
たぶんママから言われたかなw
家族のカカオでの内容って
今日はモンジが多いからマスクしなさいByパパ
弟はいつ家に帰ってくる?Byママ
気が向いたら帰るBy弟様
・
・
・
・
・
〈数日後〉
どうやら実家に帰ってきた弟様
なぜ誰も家にいないの?
あら、今日はパパママ帰るの遅いわよ
ごはんは冷蔵庫にある物で簡単に食べなさい〜
…
カカオっていつもこんな感じ←
私入るところ…
ある?
入るとしたら一番最初の
マスクのところかな
てなことで、カカオ入るところ無いねんって
旦那さんに話したんですが
旦那さんからしたら
なぜこの会話に入れないのか
理解できなかったようで
理解できなかった事が理解できない
どんなに話しても
ただ私がサボってるみたいな感じになって
分かってもらえなかったので
試しに、日本の家族LINEに
旦那さんを入れてみました
LINE入れてから約半年程経過したところで
旦那さんに
家族のLINEどうですか?
って聞いてみたら
家族の会話って
入るの難しいね
って
約半年の間で旦那さんがLINEに参加したの
2〜3回しかもほぼスタンプだけw
はい
やっと分かってもらえました
何か決めたり大事な会話なら
嫁や婿の立場でも入りやすいけど
とくに話すことないのに
ただLINEしてるだけみたいな感じのときは
入るのが難しい
あと、電話も
一日一回は必ず義母から掛かってくる電話
私には一回でも
旦那さんには4-5回はしてるんちゃうかな
要件あっての電話はいいけど
特に要件もなく
ご飯食べたの〜?
何食べたの〜?
今日何したの〜?
これ毎日話すのは
なかなか大変で
これといったもの食べてないし
これといった事もしてないしw
だから、何か予定ある日は予めこちらから
ママ!今日は歯医者に行きます!
って電話かけたりしたけど…
離れて暮らす日本の家族にも、
めっっっったに電話しないのに
韓国の家族とはほぼ毎日の電話
日本の家族に
今日歯医者に行きます!
って電話したところで
全員
それで何?
ってなるやろし
日本の家族との普通と
韓国の家族との普通が
全然違って最初はそれなりに?努力してたけど
気づいた頃から全く努力してなかった私←
だって…
頑張り続けるってすっごく疲れる
最初は頑張ってたけど
その頑張りがかなりの負担だった
でも、頑張ってるうちは
だれもその負担に気付かない
気付かないから毎日の電話も
当たり前になるんですよね
てなことで、LINEグループに入って
家族の会話に入るの難しいって分かった旦那さんに
最後に一つ
毎日、私のお父さんに
ご飯食べましたか?
何食べましたか?
今日何しましたか?
って電話してみ
その3点セットの
質問の後の沈黙も味わってみ
たぶん
めーーーーーっちゃ
面倒くさがられるで
父は究極に電話が嫌いw
そして旦那さんは究極に
無口w
って言った結果
リアルに想像したら
旦那さん自身が
めっちゃ大変だってことに気付いたようでw
そこから、義母からの電話が
パタリと無くなりました
日本では、そんな頻繁に毎日毎日電話しないんだよ!って話してくれたようです
電話とかはしない嫁だけど
頻繁に会いに行くから許しておくれ!
てなことで、昨日で韓国に来て丸2年経過しましたが
二年前よりも今の方が
かなり住みやすくなりました
来年はどんな事を感じてるのかな
これからも少しずつ前進して
今よりもドンドン住みやすい環境になってたら嬉しいです
この二年間で学んだのは
頑張れることろは頑張って
手を抜けるとこは
シッカリ抜く!
って事でした