空とホームシックのあいだには

空とホームシックのあいだには

ホームシックを科学する

こんにちは

山本しのぶです

どうして

子供のころ

自分の家に居るのに

ホームシックだったのか

わかった

私じゃなくて

がホームシックだった

瞑想し

時空を飛ぶ

魂には

過去も未来も現在も

自由に行き来出来る

魂ちゃんに会いに行く

カラダという物質を置いて

時空を飛ぶんだ

どれぐらい

過去にさかのぼれるか

わからないけど

いけるところまで行こう

魂ちゃんが

寂しく一人ぼっちだった時へ

見えない何かにお願いする

宇宙かな、神様かな、エネルギーかな

見えないけど

なんとなくある気がする



それに

お願いするんだ

目を閉じ、心落ち着かせ

自分のタイムマシーンに乗ると

連れて行ってくれるから

小さい頃住んでいた家か

よく遊んだ公園かお庭か

おばあちゃん家か

行くと

魂ちゃんは

一人ぼっちでそこにいる

「こんにちは?」

「何してるの?」

「お名前は?」

ゆっくり

優しく話しかける

はじめは気づかないかもしれない

目をあわせないかもしれない

聞こえないふりをするかもしれない

魂ちゃんは

もう大人を信じないと決めてるかもしれない

数字によって反応も違う

1や3や5の魂ちゃんは

人見知りせず好奇心で答えてくれるかもしれない

2や8、9の魂ちゃんは

恥ずかしがって気づかないフリをするかもしれない

4や6、7の魂ちゃんは

礼儀正しく挨拶してくれるかな

どんな数字の魂ちゃんも

すぐにココロを開いてくれない

試し行為をしてくるから

笑笑

毎日

タイムマシーンに乗って会いに行くんだ

「こんにちは」

「なにしてるの」

「一緒に遊ぼうか」

「何が好き?」

「何色が好きなの?」

たくさん

魂ちゃんの話を聞いてあげるんだ

こんな時もあるけど

めげずに笑顔で話しかけて

笑笑

仲良くなったら

ひざの上に乗せて

うん、うん、って話を

聞いてあげて

「また明日くるね」

「また明日お話聞かせてね」

毎日

5分で良いから

瞑想して

タイムマシーンに乗って会いに行くんだ

寂しくて

一人ぼっちの魂ちゃんに

魂ちゃんは

時間という感覚が無いから

愛の充電が完了すると

一週間、一ヵ月で

成長し大きくなるんだ

すべての子供が

無条件に愛される必要があるように

魂ちゃんも

無条件に愛される必要があるから

抱きながら

話を聞いてあげて

本当は

とても寂しいんだとか

甘いものが大好きなんだとか

だらしなくて

いい加減とか

すべてを愛してあげて

頑張るのが苦手で

褒められるのが大好きな魂ちゃんを

愛してあげると

現実の自分と魂ちゃんが一体化し

調和していくのを感じる

内なる自分

内なるココロ

内なる魂を置き去りにして

外にある現実をコントロールしようとしても

幸せは訪れない

魂ちゃんがホームシックだから

魂ちゃんの話を

たくさん聞いて

仲良くなったら伝えてね

私は未来から来たあなただよ

今とても幸せなんだ

好きな時にお菓子を食べたり

好きな時に友達に会える

好きな時に寝たり起きたりすることも出来るんだ

そして

たくさんの人と出会って

たくさんの経験をして

たくさん愛を知った

これからも

たくさん愛されて愛する予定なんだ

だから

未来はとても素敵なことが待ってる

寂しくなったら

いつでもお話にくるからね

1人じゃないよ

いつも一緒だよって伝えてね

そして

気付くんだ

あんなにツラくて

悲しくて死にたかったのに

今まで頑張れたのは

未来の自分が

守ってくれてたんだ

会いに来てくれてたんだ

ずっと

寂しかった、

でも

ずっとそばに居てくれた

なんとなくいる気がする何かは

未来の自分だったんだ

今日も

魂ちゃんに会いに行こう

大人になったら

沖縄に行けるよ♪ってね

笑笑

いそげー

パラレルワールドだ

【女性専用・完全予約制】 
営業時間  9:30~20:00
駐車場完備・子連れOK
●藤沢市柄沢(予約時に詳細説明します)
◇ご予約 お問い合わせ
・080-2252-0092

いま、一番気になるホームシックを完全チェック!!

自分がPMDDだと自覚し、

私がカナダ・モントリオールに

渡ったのは2008年9月のこと。

PMDDの症状の不安はありましたが、
現地に到着した時から、
私は様々な人に恵まれ、助けられ、
無事に住む家も見つかりました。

しかし、しばらく症状は落ち着きませんでした。

ルームメイトに病気のことを話すのに
抵抗はあったけど隠すわけにいかなかった。

現地では英訳した診断書で

SSRIをさらに購入していました。
あの時は本当に薬しか治らない
思っていました。
ただ、そのころから、
まず食生活が変化しはじめました。
ルームメイトがベジタリアンだったことで、
私もお肉を食べなくなっていきました。

一人分のお肉が買いにくいこと、

もともとあまり肉食ではなかったこと、
スーパーの肉売り場のにおいが強烈だった、
などから、肉食は案外楽に断てました。
そして数か月後には
完全にベジタリアンになっていました。
*ベジタリアンが最良の治療ということではなく、
あくまでも生活習慣が変化した一例です。

家族と離れたということ、

日本のしがらみから離れたということ。
寂しさやホームシックよりも、
解放感から症状は徐々に落ち着いていきました。

そして薬に疑問を持ち始めるようになり、

カナダに住み始めて2か月で自己判断で断薬しました。
*突然の断薬や減薬は症状の悪化につながることもあるため、
私のカウンセリングではおすすめしていません。
「薬では治らない」
と、感じはじめていたのです。
うつ病の薬を服用している方は
こう感じている方が多いと思います。
治らない気がしているけど飲んでいる、
そんな人が多いと思うのです。
日本はまだまだ医師の言うこと、
出す薬が最も信頼されるのが現実です。
その後うつ病の薬をやめて1年ほどは、
なんと症状がかなり落ち着き始めていました。

・一人になった

・しがらみのある家族との距離を持てた
・窮屈な日本の労働時間から抜け出せた
・カナダという国柄が自己表現に適していた
・様々なストレスの軽減
・新しい行動や出会いがあった
・菜食主義になった(栄養摂取の変化)
・よりタンパク質の摂取を心掛けていた
・糖質や脂質などの摂りかたに気を付けていた
・特にカナダはオメガ3の摂取に先駆けていた

これらの理由で、少しづつ体質が変わる

きっかけをつかみ始めていました。
特にベジタリアンになったことで、
より食に対する探究心が目覚め
様々な栄養学を独自に学んでいきました。

カナダ滞在中は、

アロマセラピー、メディカルハーブ、
ホメオパシー、ナチュロパスなどについても
広く学び、そしてヨガを始め、
それが自立神経系の安定、呼吸法による
パニック障害の軽減にもつながっていきました。
そしてこの1年間はほぼPMDDの症状が
出ていなかったのです。
ただ、本格的にを始めた
2009年11月頃から、実はPMDDの症状が
一気に再発したのです。
それはもう、マグマが噴出した
と言ってもいいくらいのものでした。
症状は日本で出ていた症状の数倍になり、
家族同然のルームメイトにも度々暴言が起き、
1人で何時間も泣き、仕事にも行けず、
自分でもどうしていいかわかりませんでした。

最終的には包丁を持ち出し、

自殺未遂を起こす寸前までいき、
救急車と警察を呼ばれ、
一晩精神病棟でたった一人
夜を明かしたこともありました。

その時は、またあの悪夢がよみがえり、

治ってなかったという不安が込み上げ、
異国の地で孤独で、悲しく、
本当に苦しい思いをしました。

そして最終的には私の症状に怯え、

手に追えないと判断したルームメイトに、
退院後3日以内に出ていくように言われました。

カナダのビザが切れる3週間前でした。

カナダを出国する準備を進める中、
それまで培っていたヨガをあきらめられず、
直感的にヨガをやめてはいけないと感じました。
日本に帰る前に、どうせ帰るなら
その前にIshaヨガのプログラムを受けようと、
アメリカ・テネシー州にあるアシュラムに半年、
そして2011年にはインドに半年滞在して、
ヨガをさらに深める修練に入りました。

インドでも、アーユルヴェーダを始め、

シッダ・メディスンなどの古代からつづく
療法に触れることができました。

そして日本に帰ってきた2011年9月には、

PMDDの症状は消失し、
それ以降あのような苦しい症状は今まで出ていません。

カナダ・アメリカ・インドにおいて

様々な代替療法を学び、
日本に帰ってきてからは、
そのメソッドをさらに確立する道に入りました。
栄養素・自律神経(ヨガ・運動)・ストレス
これらがPMDDを改善していく上で
すごく大切な要素であることに気づきました。
なぜヨガをはじめて症状が悪化したのか。
これは好転反応の一つですが、詳しくは次回!

につづく

森井恵子のラジオ!

PMSやPMDDのお役立ち情報を発信していますひらめき電球

ホームシック びっくりプリプリ!

さて読者の方々からから個人的に頂くメッセージには、やはりEU離脱に関するニュースを私の周囲の地元民はどのように話しているのか記事にして欲しいという内容と要望が多い。
否決されたから余計であると思われる。

実際、2年前はあんなに騒ぎたて、大型スーパーの前で「移民は出て行け!移民から仕事を取り戻せ!自国民で自活できる国に戻るのだー!!」などと燃え、歩いていたら後方から白いバン(こちらでは白いバンに乗っている人達は、電気屋、大工、ペンキ屋、窓屋・・などの職人さんが使う車と言われる)から「国に帰れー!」と叫ばれた日本人もいる中で、実際問題あれから2年間そんな話題も職場で出る事もない。
あの時は「外国人が仕事を取りやがる」という意見を言う賛成派もいたが、そんな空気があった事さえ嘘の様である。

あの時、離脱に反対した人も賛成した人も私の周囲にはいた。
例えば義母は反対したが、義母の友人は全員が賛成派、義母の妹夫婦も断然賛成派であった。
「外国人がいなかった頃のイギリスに戻りたい、ただそれだけの事。そう願う事が何故悪い?」と義母と義母の親友は口論になったのを目の前で見た。
それを見ていた時、私は「ああ、この人達は関税や貿易、物価が上昇するなどの心配など微塵も想像せず、予想もしていない、もしやそれは知らないのでは?いや、まさかな・・そんな浅い考えで1つの理想だけを追い求め、賛成に投票するだろうか・・」と考えた。

義母の友人らの意見でいうならば、彼女達は決して外国人から仕事を取られているとは感じていないと言っていた。
なぜなら、義母の友人らの両親が入居している老人ホームにおいて、3Kの仕事をしてくれているのが外国人であるから、「あの人達がいなければ困る」という理解はあったのである。
そう思うと、もしかしてそこまで深くどう変化するかを考えていなかった、知らなかった、ヨーロッパからの人材は減るはずもないとプラス思考で捉えていたのか、もしくは物価が上昇してもお金があるから大丈夫、私達は・・という考えだったのかとも取れる。

私の日本人の知人で英国人男性と結婚した人さえ、離脱に賛成していた人もいる。
「自給自足で英国を強くしていけばよい、夫がそう言うから、なるほどそうだなと思う」と言っていた。

私のようにこんな僻地に住んでいて、毎日毎日ホームシックでその虚しい心を満たしてくれるつもりにしてくれるのが食べ物である。
イギリスのスーパーには美味い喰いもんが売っていないので、たまに行くドイツ系スーパーで見つけるフランスやスペイン、ドイツ食材を格安で喰うのがささやかな楽しみの私にとっては、あのスーパーの商品が今後は破格な高額商品になるのか!!と思うだけで楽しみを90%取られた思いになるのである。
ヤメテけれ・・ワシの楽しみなんや・・

何度もいうが、外国人が仕事を取ってるんやない。
採用される人間だから仕事をもらっている、ただそれだけの事である。

2年前のあの選挙の時、私は国民が本当に深く考え投票した人の数よりも、そうでなかった、または「離脱」の本当の意味を知らなかった人が多かったんじゃないかと感じている。
今後の動きがどうなれ、話題には事欠かないイギリスである事には違いない。


ホームシック 関連ツイート

去年と全く同じ考えなんですけど、1人旅らくちーん🙌🏻🙌🏻わーい🙌🏻って宿に来たらロスとホームシック襲ってくるかなしい
RT @SG4_YUUKI: 平日の早い時間なのに
来てくださったみなさん
有難うございました!🙇‍♀️💕

トークどうでした🤔?
私達の事知ってもらえたかな?

終わってから買い物をして
上京したての頃1人でよく来ていたご飯屋さんに1人で来て都会眺めてます!笑
最近ホームシッ…

彼氏が私の家のホームシックになったらしいよ。つい3日前も来たし明日も来るのに。可愛すぎて全米が泣いた
スマブラに来てまでホームシックになるネスサンかわいい

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする