ホームシック わたしの顔が会社の顔です
さて読者の方々からから個人的に頂くメッセージには、やはりEU離脱に関するニュースを私の周囲の地元民はどのように話しているのか記事にして欲しいという内容と要望が多い。
否決されたから余計であると思われる。
実際、2年前はあんなに騒ぎたて、大型スーパーの前で「移民は出て行け!移民から仕事を取り戻せ!自国民で自活できる国に戻るのだー!!」などと燃え、歩いていたら後方から白いバン(こちらでは白いバンに乗っている人達は、電気屋、大工、ペンキ屋、窓屋・・などの職人さんが使う車と言われる)から「国に帰れー!」と叫ばれた日本人もいる中で、実際問題あれから2年間そんな話題も職場で出る事もない。
あの時は「外国人が仕事を取りやがる」という意見を言う賛成派もいたが、そんな空気があった事さえ嘘の様である。
あの時、離脱に反対した人も賛成した人も私の周囲にはいた。
例えば義母は反対したが、義母の友人は全員が賛成派、義母の妹夫婦も断然賛成派であった。
「外国人がいなかった頃のイギリスに戻りたい、ただそれだけの事。そう願う事が何故悪い?」と義母と義母の親友は口論になったのを目の前で見た。
それを見ていた時、私は「ああ、この人達は関税や貿易、物価が上昇するなどの心配など微塵も想像せず、予想もしていない、もしやそれは知らないのでは?いや、まさかな・・そんな浅い考えで1つの理想だけを追い求め、賛成に投票するだろうか・・」と考えた。
義母の友人らの意見でいうならば、彼女達は決して外国人から仕事を取られているとは感じていないと言っていた。
なぜなら、義母の友人らの両親が入居している老人ホームにおいて、3Kの仕事をしてくれているのが外国人であるから、「あの人達がいなければ困る」という理解はあったのである。
そう思うと、もしかしてそこまで深くどう変化するかを考えていなかった、知らなかった、ヨーロッパからの人材は減るはずもないとプラス思考で捉えていたのか、もしくは物価が上昇してもお金があるから大丈夫、私達は・・という考えだったのかとも取れる。
私の日本人の知人で英国人男性と結婚した人さえ、離脱に賛成していた人もいる。
「自給自足で英国を強くしていけばよい、夫がそう言うから、なるほどそうだなと思う」と言っていた。
私のようにこんな僻地に住んでいて、毎日毎日ホームシックでその虚しい心を満たしてくれるつもりにしてくれるのが食べ物である。
イギリスのスーパーには美味い喰いもんが売っていないので、たまに行くドイツ系スーパーで見つけるフランスやスペイン、ドイツ食材を格安で喰うのがささやかな楽しみの私にとっては、あのスーパーの商品が今後は破格な高額商品になるのか!!と思うだけで楽しみを90%取られた思いになるのである。
ヤメテけれ・・ワシの楽しみなんや・・
何度もいうが、外国人が仕事を取ってるんやない。
採用される人間だから仕事をもらっている、ただそれだけの事である。
2年前のあの選挙の時、私は国民が本当に深く考え投票した人の数よりも、そうでなかった、または「離脱」の本当の意味を知らなかった人が多かったんじゃないかと感じている。
今後の動きがどうなれ、話題には事欠かないイギリスである事には違いない。
ホームシックでお得にお買物
ずっと書きたいと思っていた出産記録の記事。
ようやく書く気になったので。
一年前の記録です。
高血圧合併妊娠の私が、臨月を迎える頃の話。
高血圧妊婦の事は前に少し書いていたけど〉
今回は時系列で。
の続き
インフル明けに北斎展に行ってしまったアホ妊婦。
その翌週の検診で。
血圧高すぎて、管理入院を言い渡されました。
この時の血圧、上が160超えたんですよね。
先生にそれ言った途端に、
「160?即入院です。」
って。
きっぱり言われました。
ただでさえ、高い血圧気をつけろと言われ続けていたので、
私も160超え見たときはやばい気がしていました。
前々から、
陣痛来る前に入院するかもって先生からは言われていました。
計画分娩の可能性が非常に高かったわけで。
でも、
正直、こんな早く?って感じでした。
予定日が2月13日だったから、せいぜい管理入院も2月頃だろうとタカをくくっていたのです。
その時点で週数は36週だったし、
まぁ、早いわけではないけど。
臨月何しようかなとか、
帰省の準備しよーとか、
考えていた矢先だったので、
唐突に感じたのでした。
旦那と、今日は、
美味しいものを。
子供が産まれたらしばらく行けないお店に行こう!と言って、
悩みに悩んで産前最後の晩餐の店を決めました。
行きつけのビストロで美味し〜い料理を食べ、翌日入院した。
(で記事にしていました)
入院先は検診から通っていた国立成育医療センター。
言わずと知れたハイリスク妊婦安心の大病院。
人生で初めての入院。
旅行ではどんな布団でもベッドでも寝れる私ですが、病院のベッドは初めて。
大丈夫かな?怖くないかな?と不安でした。
部屋は大部屋で4人入る部屋。
他は分からないけど、私は大部屋でも全然大丈夫でした。
そこそこ広さがあるし、カーテン閉めても閉塞感は無く過ごせました。
引き出しとか棚も色々入るし、
コンセントは個室じゃないと使えないけど、
充電器あればスマホは使えるし。
トイレと洗面は部屋の横で共用だけど、綺麗だったし。
入院って構えてたけど、適度に快適でした。私は。
入院中は雪も降りました。
成育の中からもわかるくらいの積雪で、
すぐそばの職場が窓からは見えていて、少し心配になったり。
面会に来てくれる旦那が車出せるのかなって心配してました。
他の日はよく晴れていて、
部屋からは富士山が綺麗に見えた。
成育があるのは、古くから景勝地だった多摩川沿い国分寺崖線の上。
この周辺には「富士見坂」とか、富士山を意識した邸宅とかもある。
特に成育の病棟は急坂の縁に階層がある建物ですので、
富士山が綺麗に見える部屋があります。
入院中この景色に何度元気付けられたか。
私にとっては職場に近く、
慣れた景色だったこともあり、
入院中でもさほどホームシックにならずに済みました。
そしてこの頃に
妊娠後期で行ける最後のマタニティクラスがあって、
旦那も連れ添うって事で外出を許可してくれました。
このクラスの最後に、
『私があなたを選びました』の動画を見るのよね。
まぁ、泣くよね。
成育って、ハイリスク妊婦さんばかりで、
周りの人達も何らかのリスク抱えていたんだろうと思う。
みんな、みんな無事に産めるようにと、この時思っていた。
病棟の建物から出たのはこの時だけ。
連日規則正しく生活してたので、気持ちは比較的安定していた。
入院中は毎日6時前に起きて、
白湯を飲むためにコミュニティスペースに行き、朝焼け見てた。
7時にご飯だから、その前に血圧測定があった。
食べ終わってから、歯を磨いたりしてると大体先生の回診があって。
12時頃に昼食をとり、13時の面会開始頃に旦那が来て小1時間いてくれる。
旦那が帰った後、大体15時頃に昼寝をしていたかな。
午前も午後も空いた時間には、
シャワー浴びたり、NST(ノンストレステスト)したりで過ごしていた。
夕食を18時頃に食べて、
20時頃に夜勤の看護師さんに血圧とか測ってもらい、
21時消灯だったかな。
減塩食だったけど、上げ膳据え膳の有難さは身に染みた。
私が入った病棟は、短期の人の病棟のようで、
出産直前直後の人が結構いました。
出産して落ち着くとまた違う病棟に移るし、
長い管理入院の場合なんかにはまたそれも違う病棟らしい。
だから大部屋も入れ替わりが結構あって。
最初は病室に3人だった。
向かいの方は1週間くらい?は同じ部屋だった。
違う病棟でかなり長い間管理入院されていたみたい。
点滴もしてたようで、会えばご挨拶はしたけど、お話は特にせず。
でもすごく静かで、穏やかな方でした。
他は入れ替わり立ち替わりって感じでした。
向かいの人が産気づいて部屋を移り、私が病室に1人になった頃。
看護師さんに、
シャワーしかないからお風呂が恋しいって話をしたら、
足浴させてくださって。
すごく気持ちよかった。
アロマも入れてくれて。
これが出産前最後にリラックス出来た時間でした。
で、その後破水で入院された方がいて、
結構夜中に入院し、翌日ご挨拶にいらした。
律儀な方だなと思いました。
この方に先生が話しているのが聞こえてしまったのですが、
「長時間陣痛したのに結局帝王切開というのは、僕はすすめないです…」
というくだり。誘発や促進剤使うかどうか、破水したのに陣痛が来ない場合の対処についてお話していたようです。
翌日、2方入られて満床に。
いずれも無痛分娩の計画入院の様で、昼間に余裕を持って入室していました。
確か、これが金曜日。
私は管理入院中に、やりたい事を二つ病室に持ち込んでいて。
一つは、研究関連の寄贈本をなかなかじっくり読めずにいたのを、
読んで筆者の方にお手紙を書く事。
もう一つは、論文の書き直し。
者は何とかこの頃に手紙を書き終えて、
翌日面会に来た旦那に手紙の投函をお願いして終了しました。
ずっとやりたくても出来なかった事が一つ片付いてホッとした気がします。
後者は全くできずに終わりました。
日々の入院生活で唯一楽しみだったのが、
NST(ノンストレステスト)、赤ちゃんの心拍数見るやつです。
元気に動いているのは胎動で分かるけど、
心臓の音聞けるとすごく安心したなぁ。
産む直前のこの頃は、
時間だけがたくさんありすぎて、
人生やり残した事がないかって、
よく考えていました。
なんででしょうかね?
死期というか、自分の人生の長さについて考えていたのでした。
ホームシックについてこのサイトではなるべくたくさんの関連情報や評判を集めています。
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ようやく書く気になったので。
一年前の記録です。
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高血圧妊婦の事は前に少し書いていたけど〉
今回は時系列で。
の続き
インフル明けに北斎展に行ってしまったアホ妊婦。
その翌週の検診で。
血圧高すぎて、管理入院を言い渡されました。
この時の血圧、上が160超えたんですよね。
先生にそれ言った途端に、
「160?即入院です。」
って。
きっぱり言われました。
ただでさえ、高い血圧気をつけろと言われ続けていたので、
私も160超え見たときはやばい気がしていました。
前々から、
陣痛来る前に入院するかもって先生からは言われていました。
計画分娩の可能性が非常に高かったわけで。
でも、
正直、こんな早く?って感じでした。
予定日が2月13日だったから、せいぜい管理入院も2月頃だろうとタカをくくっていたのです。
その時点で週数は36週だったし、
まぁ、早いわけではないけど。
臨月何しようかなとか、
帰省の準備しよーとか、
考えていた矢先だったので、
唐突に感じたのでした。
旦那と、今日は、
美味しいものを。
子供が産まれたらしばらく行けないお店に行こう!と言って、
悩みに悩んで産前最後の晩餐の店を決めました。
行きつけのビストロで美味し〜い料理を食べ、翌日入院した。
(で記事にしていました)
入院先は検診から通っていた国立成育医療センター。
言わずと知れたハイリスク妊婦安心の大病院。
人生で初めての入院。
旅行ではどんな布団でもベッドでも寝れる私ですが、病院のベッドは初めて。
大丈夫かな?怖くないかな?と不安でした。
部屋は大部屋で4人入る部屋。
他は分からないけど、私は大部屋でも全然大丈夫でした。
そこそこ広さがあるし、カーテン閉めても閉塞感は無く過ごせました。
引き出しとか棚も色々入るし、
コンセントは個室じゃないと使えないけど、
充電器あればスマホは使えるし。
トイレと洗面は部屋の横で共用だけど、綺麗だったし。
入院って構えてたけど、適度に快適でした。私は。
入院中は雪も降りました。
成育の中からもわかるくらいの積雪で、
すぐそばの職場が窓からは見えていて、少し心配になったり。
面会に来てくれる旦那が車出せるのかなって心配してました。
他の日はよく晴れていて、
部屋からは富士山が綺麗に見えた。
成育があるのは、古くから景勝地だった多摩川沿い国分寺崖線の上。
この周辺には「富士見坂」とか、富士山を意識した邸宅とかもある。
特に成育の病棟は急坂の縁に階層がある建物ですので、
富士山が綺麗に見える部屋があります。
入院中この景色に何度元気付けられたか。
私にとっては職場に近く、
慣れた景色だったこともあり、
入院中でもさほどホームシックにならずに済みました。
そしてこの頃に
妊娠後期で行ける最後のマタニティクラスがあって、
旦那も連れ添うって事で外出を許可してくれました。
このクラスの最後に、
『私があなたを選びました』の動画を見るのよね。
まぁ、泣くよね。
成育って、ハイリスク妊婦さんばかりで、
周りの人達も何らかのリスク抱えていたんだろうと思う。
みんな、みんな無事に産めるようにと、この時思っていた。
病棟の建物から出たのはこの時だけ。
連日規則正しく生活してたので、気持ちは比較的安定していた。
入院中は毎日6時前に起きて、
白湯を飲むためにコミュニティスペースに行き、朝焼け見てた。
7時にご飯だから、その前に血圧測定があった。
食べ終わってから、歯を磨いたりしてると大体先生の回診があって。
12時頃に昼食をとり、13時の面会開始頃に旦那が来て小1時間いてくれる。
旦那が帰った後、大体15時頃に昼寝をしていたかな。
午前も午後も空いた時間には、
シャワー浴びたり、NST(ノンストレステスト)したりで過ごしていた。
夕食を18時頃に食べて、
20時頃に夜勤の看護師さんに血圧とか測ってもらい、
21時消灯だったかな。
減塩食だったけど、上げ膳据え膳の有難さは身に染みた。
私が入った病棟は、短期の人の病棟のようで、
出産直前直後の人が結構いました。
出産して落ち着くとまた違う病棟に移るし、
長い管理入院の場合なんかにはまたそれも違う病棟らしい。
だから大部屋も入れ替わりが結構あって。
最初は病室に3人だった。
向かいの方は1週間くらい?は同じ部屋だった。
違う病棟でかなり長い間管理入院されていたみたい。
点滴もしてたようで、会えばご挨拶はしたけど、お話は特にせず。
でもすごく静かで、穏やかな方でした。
他は入れ替わり立ち替わりって感じでした。
向かいの人が産気づいて部屋を移り、私が病室に1人になった頃。
看護師さんに、
シャワーしかないからお風呂が恋しいって話をしたら、
足浴させてくださって。
すごく気持ちよかった。
アロマも入れてくれて。
これが出産前最後にリラックス出来た時間でした。
で、その後破水で入院された方がいて、
結構夜中に入院し、翌日ご挨拶にいらした。
律儀な方だなと思いました。
この方に先生が話しているのが聞こえてしまったのですが、
「長時間陣痛したのに結局帝王切開というのは、僕はすすめないです…」
というくだり。誘発や促進剤使うかどうか、破水したのに陣痛が来ない場合の対処についてお話していたようです。
翌日、2方入られて満床に。
いずれも無痛分娩の計画入院の様で、昼間に余裕を持って入室していました。
確か、これが金曜日。
私は管理入院中に、やりたい事を二つ病室に持ち込んでいて。
一つは、研究関連の寄贈本をなかなかじっくり読めずにいたのを、
読んで筆者の方にお手紙を書く事。
もう一つは、論文の書き直し。
者は何とかこの頃に手紙を書き終えて、
翌日面会に来た旦那に手紙の投函をお願いして終了しました。
ずっとやりたくても出来なかった事が一つ片付いてホッとした気がします。
後者は全くできずに終わりました。
日々の入院生活で唯一楽しみだったのが、
NST(ノンストレステスト)、赤ちゃんの心拍数見るやつです。
元気に動いているのは胎動で分かるけど、
心臓の音聞けるとすごく安心したなぁ。
産む直前のこの頃は、
時間だけがたくさんありすぎて、
人生やり残した事がないかって、
よく考えていました。
なんででしょうかね?
死期というか、自分の人生の長さについて考えていたのでした。