ホームシックバカ日誌8

ホームシックバカ日誌8

ホームシックの豆知識

こんにちは

山本しのぶです

どうして

子供のころ

自分の家に居るのに

ホームシックだったのか

わかった

私じゃなくて

がホームシックだった

瞑想し

時空を飛ぶ

魂には

過去も未来も現在も

自由に行き来出来る

魂ちゃんに会いに行く

カラダという物質を置いて

時空を飛ぶんだ

どれぐらい

過去にさかのぼれるか

わからないけど

いけるところまで行こう

魂ちゃんが

寂しく一人ぼっちだった時へ

見えない何かにお願いする

宇宙かな、神様かな、エネルギーかな

見えないけど

なんとなくある気がする



それに

お願いするんだ

目を閉じ、心落ち着かせ

自分のタイムマシーンに乗ると

連れて行ってくれるから

小さい頃住んでいた家か

よく遊んだ公園かお庭か

おばあちゃん家か

行くと

魂ちゃんは

一人ぼっちでそこにいる

「こんにちは?」

「何してるの?」

「お名前は?」

ゆっくり

優しく話しかける

はじめは気づかないかもしれない

目をあわせないかもしれない

聞こえないふりをするかもしれない

魂ちゃんは

もう大人を信じないと決めてるかもしれない

数字によって反応も違う

1や3や5の魂ちゃんは

人見知りせず好奇心で答えてくれるかもしれない

2や8、9の魂ちゃんは

恥ずかしがって気づかないフリをするかもしれない

4や6、7の魂ちゃんは

礼儀正しく挨拶してくれるかな

どんな数字の魂ちゃんも

すぐにココロを開いてくれない

試し行為をしてくるから

笑笑

毎日

タイムマシーンに乗って会いに行くんだ

「こんにちは」

「なにしてるの」

「一緒に遊ぼうか」

「何が好き?」

「何色が好きなの?」

たくさん

魂ちゃんの話を聞いてあげるんだ

こんな時もあるけど

めげずに笑顔で話しかけて

笑笑

仲良くなったら

ひざの上に乗せて

うん、うん、って話を

聞いてあげて

「また明日くるね」

「また明日お話聞かせてね」

毎日

5分で良いから

瞑想して

タイムマシーンに乗って会いに行くんだ

寂しくて

一人ぼっちの魂ちゃんに

魂ちゃんは

時間という感覚が無いから

愛の充電が完了すると

一週間、一ヵ月で

成長し大きくなるんだ

すべての子供が

無条件に愛される必要があるように

魂ちゃんも

無条件に愛される必要があるから

抱きながら

話を聞いてあげて

本当は

とても寂しいんだとか

甘いものが大好きなんだとか

だらしなくて

いい加減とか

すべてを愛してあげて

頑張るのが苦手で

褒められるのが大好きな魂ちゃんを

愛してあげると

現実の自分と魂ちゃんが一体化し

調和していくのを感じる

内なる自分

内なるココロ

内なる魂を置き去りにして

外にある現実をコントロールしようとしても

幸せは訪れない

魂ちゃんがホームシックだから

魂ちゃんの話を

たくさん聞いて

仲良くなったら伝えてね

私は未来から来たあなただよ

今とても幸せなんだ

好きな時にお菓子を食べたり

好きな時に友達に会える

好きな時に寝たり起きたりすることも出来るんだ

そして

たくさんの人と出会って

たくさんの経験をして

たくさん愛を知った

これからも

たくさん愛されて愛する予定なんだ

だから

未来はとても素敵なことが待ってる

寂しくなったら

いつでもお話にくるからね

1人じゃないよ

いつも一緒だよって伝えてね

そして

気付くんだ

あんなにツラくて

悲しくて死にたかったのに

今まで頑張れたのは

未来の自分が

守ってくれてたんだ

会いに来てくれてたんだ

ずっと

寂しかった、

でも

ずっとそばに居てくれた

なんとなくいる気がする何かは

未来の自分だったんだ

今日も

魂ちゃんに会いに行こう

大人になったら

沖縄に行けるよ♪ってね

笑笑

いそげー

パラレルワールドだ

【女性専用・完全予約制】 
営業時間  9:30~20:00
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ホームシックをお探しの方集合ー♪

ちょっくら年初から早くもブログアップをサボり気味なキリギリスです。

だってさー。12/14から大晦日まで17日のアメリカ行き。その後も、日本の実家で寝正月。

やっと1/9に仕事復帰するも、年明け早々に今度はミシガンで世話になっていた親友が日本に来たり・・・と、イベント目白押しで、なかなかバケーション気分が抜けないんだもーん。

そうこうするうち、なーーーーーんと、やられました。

インフル。

先週あたりは全くもって笑えない状況になったわけですが、やっと回復して元気になっている今日このこの頃。今週から完全に復帰してますが・・・

ふと見たら、もう今日は1月30日じゃありませんか!

アメリカから帰国してから早くも1ヶ月!!!

・・・・・

・・・・・

・・・・・

・・・・・

え?!

なんか、私だけ時空をワープでもした?!

って感じになっています。ほんとに早いー。

もう1年が12分の1は終わったんだね。きゃーーーー!

そして現在、キリギリスの通うオフィスでは、インフルが蔓延し、日々バタバタと犠牲者が出ています・・・。みなさまもお気をつけください。

ところで、今回3年ぶりにアメリカのホストファミリーのところへ里帰りしたわけですが、日本に帰国してから、自分でも驚くほど落ち込みました。

ちょっとねじれ現象ですが、いわゆるホームシック みたいな感じ。

いや、確かに、

日本出身だし。日本人だし。日本にずっと住んでるし。自宅も実家も日本だけど・・・。

なんだか、アメリカのファミリーのこと、ティーンから30代頭までを過ごしたアメリカでの生活、当時の思い出、アメリカにステイしていたら得られたであろう未来像、アメリカ時代の思い出・・・

いろいろなものが、ぐるぐる頭を回って、何だか非常に切ない。

なかなか気分が上げられないでいます。

いろいろ考えても、合理的な理由も意味もわからない憂鬱に襲われていて、なかなか浮上できない。アメリカの生活 vs 日本ってことで、あっちが良いと思っているわけでもない。どっちもどっちだし、どっちも好き。

でも、根本にはね、もっと時間的なものがある気がします。

ミッドライフクライシスってやつかもしれません。遅ればせながら。

キリギリスのアメリカ時代というのは、自分にとっては子供から大人になるティーンから30代始まりくらいの期間。

その後の人生や自分の大人としてのアイデンティティを造る時期だったと思います。

その後、30代40代は、日本で通訳として生活してきて、短期間はシンガポールに出稼ぎに行ったりしたわけですけどね。

なんか、アメリカ時代を懐かしむこと、それはすなわち青春時代を振り返る感傷とも同義なのかもしれません。

私というやつは、ほんの最近まで、過去を振り返ることはほとんどなかった。いつも前ばかり、次のことばかり考えていた。3年前にも、同じようにクリスマスをアメリカのホストファミリーと過ごしたけど、こんなに感傷を感じたり、ホームシックにもならなかったのですがね。

何が変わったんだろう?たったの3年で?

そう考えて、結局思い当たるのは2年前の冬に受けた、乳がんの診断ですかね。やっぱり。

2017年2月1日に手術。今度の2月で2周年になる・・・

そういうもろもろの現実が、2年をかけて、紙に染み込む水のように、ジワジワっと自分の中で広がっていっているのかも。

アメリカのファミリーも歳をとっていた。

驚くほど体が衰えていたし、精神的にも弱くなっていました。

そして、自分にも気持ちの変化があったのだと思います。

いろいろなもの。家族にも、人間にも、終わりがある。

そんな普遍で単純な真理を、今までは本当には実感したことがなかったんだと思う。

自分ごととして、引き寄せて感じることがなかった。

だから、今になってホームシックになっています。アメリカに。ミシガンに。アメリカのファミリーや友人に会いたくて、ホームシック。限りある時間だと気づいてしまったんで、もっと一緒に過ごしたくて、ホームシックです。

こういう気持ちって、乗り越えられるのかな?慣れるもの?

↓ミシガンのホームを出発する朝に、Dadがパンケーキを焼いてくれました。

驚くほど背中が曲がっていました。それが切なかった。でも、高校生のころから数えきれないくらい見てきた光景。

週末やお休みには、Dadがパンケーキを焼いてくれる。それがMomが焼くのより、自分で焼くのより、随分と美味しくて、パンケーキはDadが焼く決まりでした。

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↑得意そうにニヤリ

↓焦げているのはご愛嬌。

お別れの日の朝の、特別なパンケーキ

↓飛行機の中で食べてねって、Momはチョコチップクッキーを焼いて持たせてくれました。

あ〜〜〜あ。

1月も終わるというのに、なかなか気持ちが浮上できない今日この頃。

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*

なんだかめっちゃめちゃ暗いですね。センチメンタルです。sigh***

まぁ、ビジュアル的には確かにちょっとかる〜くうまうまネタでもあるわけですがね。ま、いくら能天気キリギリスでも落ち込むことはあるってことなんでござる。このセンチさにめげずに、この辺のボタンをクリックすると、キリギリスが喜ぶ仕組みになっております。よろしくおねがいしま〜す

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ホームシックでわかる経済学

ずっと書きたいと思っていた出産記録の記事。
ようやく書く気になったので。
一年前の記録です。
高血圧合併妊娠の私が、臨月を迎える頃の話。
高血圧妊婦の事は前に少し書いていたけど〉
今回は時系列で。
の続き
インフル明けに北斎展に行ってしまったアホ妊婦。
その翌週の検診で。
血圧高すぎて、管理入院を言い渡されました。
この時の血圧、上が160超えたんですよね。
先生にそれ言った途端に、
「160?即入院です。」
って。
きっぱり言われました。
ただでさえ、高い血圧気をつけろと言われ続けていたので、
私も160超え見たときはやばい気がしていました。
前々から、
陣痛来る前に入院するかもって先生からは言われていました。
計画分娩の可能性が非常に高かったわけで。
でも、
正直、こんな早く?って感じでした。
予定日が2月13日だったから、せいぜい管理入院も2月頃だろうとタカをくくっていたのです。
その時点で週数は36週だったし、
まぁ、早いわけではないけど。
臨月何しようかなとか、
帰省の準備しよーとか、
考えていた矢先だったので、
唐突に感じたのでした。
旦那と、今日は、
美味しいものを。
子供が産まれたらしばらく行けないお店に行こう!と言って、
悩みに悩んで産前最後の晩餐の店を決めました。
行きつけのビストロで美味し〜い料理を食べ、翌日入院した。
(で記事にしていました)
入院先は検診から通っていた国立成育医療センター。
言わずと知れたハイリスク妊婦安心の大病院。
人生で初めての入院。
旅行ではどんな布団でもベッドでも寝れる私ですが、病院のベッドは初めて。
大丈夫かな?怖くないかな?と不安でした。
部屋は大部屋で4人入る部屋。
他は分からないけど、私は大部屋でも全然大丈夫でした。
そこそこ広さがあるし、カーテン閉めても閉塞感は無く過ごせました。
引き出しとか棚も色々入るし、
コンセントは個室じゃないと使えないけど、
充電器あればスマホは使えるし。
トイレと洗面は部屋の横で共用だけど、綺麗だったし。
入院って構えてたけど、適度に快適でした。私は。
入院中は雪も降りました。
成育の中からもわかるくらいの積雪で、
すぐそばの職場が窓からは見えていて、少し心配になったり。
面会に来てくれる旦那が車出せるのかなって心配してました。
他の日はよく晴れていて、
部屋からは富士山が綺麗に見えた。
成育があるのは、古くから景勝地だった多摩川沿い国分寺崖線の上。
この周辺には「富士見坂」とか、富士山を意識した邸宅とかもある。
特に成育の病棟は急坂の縁に階層がある建物ですので、
富士山が綺麗に見える部屋があります。
入院中この景色に何度元気付けられたか。
私にとっては職場に近く、
慣れた景色だったこともあり、
入院中でもさほどホームシックにならずに済みました。
そしてこの頃に
妊娠後期で行ける最後のマタニティクラスがあって、
旦那も連れ添うって事で外出を許可してくれました。
このクラスの最後に、
『私があなたを選びました』の動画を見るのよね。
まぁ、泣くよね。
周りからもすすり泣く声が聞こえてきて。
成育って、ハイリスク妊婦さんばかりで、
周りの人達も何らかのリスク抱えていたんだろうと思う。

みんな、みんな無事に産めるようにと、この時思っていた。
病棟の建物から出たのはこの時だけ。
連日規則正しく生活してたので、気持ちは比較的安定していた。
入院中は毎日6時前に起きて、
白湯を飲むためにコミュニティスペースに行き、朝焼け見てた。
7時にご飯だから、その前に血圧測定があった。
食べ終わってから、歯を磨いたりしてると大体先生の回診があって。
12時頃に昼食をとり、13時の面会開始頃に旦那が来て小1時間いてくれる。
旦那が帰った後、大体15時頃に昼寝をしていたかな。
午前も午後も空いた時間には、

シャワー浴びたり、NST(ノンストレステスト)したりで過ごしていた。
夕食を18時頃に食べて、
20時頃に夜勤の看護師さんに血圧とか測ってもらい、
21時消灯だったかな。
減塩食だったけど、上げ膳据え膳の有難さは身に染みた。
私が入った病棟は、短期の人の病棟のようで、
出産直前直後の人が結構いました。
出産して落ち着くとまた違う病棟に移るし、
長い管理入院の場合なんかにはまたそれも違う病棟らしい。
だから大部屋も入れ替わりが結構あって。 

最初は病室に3人だった。 
向かいの方は1週間くらい?は同じ部屋だった。
違う病棟でかなり長い間管理入院されていたみたい。
点滴もしてたようで、会えばご挨拶はしたけど、お話は特にせず。
でもすごく静かで、穏やかな方でした。
他は入れ替わり立ち替わりって感じでした。
向かいの人が産気づいて部屋を移り、私が病室に1人になった頃。
看護師さんに、
シャワーしかないからお風呂が恋しいって話をしたら、
足浴させてくださって。
すごく気持ちよかった。
アロマも入れてくれて。
これが出産前最後にリラックス出来た時間でした。
で、その後破水で入院された方がいて、
結構夜中に入院し、翌日ご挨拶にいらした。
律儀な方だなと思いました。
この方に先生が話しているのが聞こえてしまったのですが、
「長時間陣痛したのに結局帝王切開というのは、僕はすすめないです…」
というくだり。誘発や促進剤使うかどうか、破水したのに陣痛が来ない場合の対処についてお話していたようです。
翌日、2方入られて満床に。
いずれも無痛分娩の計画入院の様で、昼間に余裕を持って入室していました。
 確か、これが金曜日。
私は管理入院中に、やりたい事を二つ病室に持ち込んでいて。
一つは、研究関連の寄贈本をなかなかじっくり読めずにいたのを、
読んで筆者の方にお手紙を書く事。
もう一つは、論文の書き直し。

者は何とかこの頃に手紙を書き終えて、
翌日面会に来た旦那に手紙の投函をお願いして終了しました。
ずっとやりたくても出来なかった事が一つ片付いてホッとした気がします。
後者は全くできずに終わりました。
日々の入院生活で唯一楽しみだったのが、
NST(ノンストレステスト)、赤ちゃんの心拍数見るやつです。
元気に動いているのは胎動で分かるけど、
心臓の音聞けるとすごく安心したなぁ。
産む直前のこの頃は、
時間だけがたくさんありすぎて、
人生やり残した事がないかって、
よく考えていました。
なんででしょうかね?
死期というか、自分の人生の長さについて考えていたのでした。


ホームシック 関連ツイート

@machi_llt あったかくなってくれないとまた沖縄にホームシックしちゃう……😭💥💥💥
なんだかなぁ…帰りたいんだよなぁw

ホームシック?なのか?家に居るのに?w

RT @NeighbourPascal: ①ホームシックにかかったヤングサムス
②大人に戻っても変わらなかったサムス https://t.co/ClD1ewhIhQ
いきなりのホームシック

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