今日は お金の出費を少しでも抑えるために漫画喫茶には入っていません。
容量の残り少ない 、
馬力のないスマホからの音声入力になりますので
また日本語がおかしかったり 文節ごとの謎の半角スペースが入ったりします
。
ご了承ください。
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お引越し祝いに自分で花を買った
後ほどきちんと鉢に植える予定。
こっちの子たちは後で庭に地植えにしてもいいかもしれない
新居と早く仲良くなりたい。
元のアパートからそーっと運んできた 植物たちも あのアパートよりも幸せそうに見える
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婚活サイトを始めてちょうど1ヶ月ぐらいになる。 この辺りでまとめておこうと思う。
アプローチをされたのは
最後に確認した時に およそ250人。
最近は もう容量がもったいないのでアクセスさえしていない。
それに使う容量があったら ブログ( 自分の備忘録)を一文字でも書きたい。
そのうち3人だけ、
サイトでの綿密なやり取りの後に
個人的な LINE メールのやり取りをした。
1.奥さんを うつ病で 亡くされたという 廃墟好きな 人
2. 鳥が大好きの家が花鳥園状態の大手薬品の方
3. 鍵のレスキューをしているという H さん
以上3人の方。
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3人メールアドレスでやり取りしたうちの一人、
奥さんをうつ病の自殺で 亡くされてる方。
この方とは一番最初に疎遠になった。
今日は奥さんの命日です、 特に何もしてあげられないけれど というメールが来て、
私は、
奥さんは思い出してもらっただけで嬉しいと思いますよ、と無難なことを返した。
内心 奥さんはそんなことも何も嬉しいわけないだろと思っていた。 奥さんの苦しみに気がつかず仕事に追われて 孤独に苦しむ奥さんを 構わず 自殺に追いやった。
そんな人に思い出されても、どうしてじゃあ生きてる時に少しでも構ってくれなかったのか、話を聞いてくれなかったのかと思うんじゃないかと 勝手に憶測してしまったからだ。
引っ越しを直前に控えた状態で 奥さんと私を似てるといい 今日は命日ですと書いてくる 無神経さ それは良い印象を抱けなかった。
その後その人とは どちらからともなくなんとなく それになってもう随分経つ。
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花鳥園の方は話は合ったが、 マニアックなジャンルの知識があり 、かつ趣味趣向が合うという感じだった。
花鳥園の人はうつ病を患っており 初めてラインにつないだ時に 非常にダークなことを呟いた日記を強制的に閲覧させられた。 どうせ自分は負け犬ですよというような内容で そりゃブログとか Twitter ではなくてリアルの友達に 誰にでもめつらんできるところにそんなこと書いたら みんな慰めるに決まっている。
周りの人から慰めのコメントや 励ましのコメントが入っていたけれど 私はそれを見て 不愉快に思ってしまった
うつ病で 1年ぐらい休職していたそうだ
どうもまだ良くなっていないらしく
最初に電話で意気投合した後は 気分で対応がまだらだった。 例えばもう全然口を聞けない状態になってしまって 何日も間が空いてしまうなど
私は「そういうこともあるよね」と流していたが、おそらく 身近な友達や パートナーになったことを仮定すると振り回されるだろうなとは思った
私が毒親持ちのことや私自身も精神的に PTSD を抱えていることや、
障害者であること 、発達障害であることやもちろん癌であることも、
まだ何も言っていなかった
気分のムラに振り回されることはあっても
お互い人間だし、まあその辺はお互い様なので、
その障害物を超えるぐらい、それでもいいくらい相手を好きになれたらいいなと思っていた
しかし特に何か話したわけでもないのに 向こうから連絡が途絶えてしまった。
どうやらうつ病の波が激しいらしい。
最後の連絡は「気分でどうしても 誰とも話誰とも話したくない時があって連絡が開いてすみません」という 謝罪に対して そういう時もありますよ 気にしないで下さいと そのまんま本心を書いた返信をしたが、 花鳥園の人からは 返事はなくそれっきりになった。
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H さんとは前に書いた通り、最初の晩から 生中継 アクシデント。
そして異常に話が合い 明け方近くまで長電話してしまった。
ウォーギルトインフォメーション 政策の話までした話までした。
この単語を知っている日本人が一体どれだけいるだろう。
マスコミは 外国人に乗っ取られていて洗脳装置である と言う ことまで 意気投合した。
ただ話し方がちょっと香具師っぽいと思った。 感受性は豊かで 賢いがギャンブル 型の性格をしている と
話の内容とかではなく 発声方法だけから
なんとなく 感じた。
(これは後ほど分かった事実だが 本当だった。鍵のレスキューを中心とし水道管屋関係 電気ガス関係 、何でも屋さんをやりながら、 出動しない空き時間に トレーダーをしていた。)
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それからはほぼ毎日何らかの挨拶を交わしていた。
こっちは引っ越しに突入しドタバタだったし
あちらも 台風に伴う家屋のトラブルや イレギュラーな仕事を抱えて 見積書が大変だと言っていた。
それでも朝の一言おはようだけ 夜の一言お疲れ様だけ は交わしていた。
今こんな仕事を抱えてめんどくさいよとか とりとめのない話。
こちらも引っ越しに伴うトラブルについて記述すると 的確な答えが返ってきて 本当に色々なことのできる人だと感心した。
クラスモの小川さんが適当に済ませた、 台風で口だけ落ちた
屋根についても
「 これは 2階の 棟瓦で ここの部分。
雨が最初に当たる部分だから早急に修理しないと雨漏りがする」 と 屋根のサンプル 写真 にわかりやすく赤い丸をつけて 送って 教えて くれたのは H さんだった。
なんでそんなことがわかるのか と聞くと、
屋根屋さんもやっていたことがあるからと答えた。
引っ越しに伴う ストレスや心細さで
「会いたいなあ」と つい書いてしまったことがある。
「俺も」と 即答が LINE で返ってきた。
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だんだん打ち解けて 自分たちの過去のことや辛いことも話すようになってきた。
H さんは他人を変えようという意識はなくて 昔はそういう傲慢なことも考えていたけれど 他人は所詮変えられない と言う。
熱いけれど虚無的なところを持っていた。
親しくなるにつれて
癌であること以外は、
東京から逃げてきたことも毒親のことも 障害者一級であることも全部開示した。
確かその辺りのタイミングで自転車を譲ってくれた。
あっちは アクシデントの動画中継 で私の顔を知っていたけれど
私にとっては
この受け渡しが初対面になる。
H さんは人懐っこい笑顔で、軽快に手を振っていた。 年齢よりずっと若く見えて驚いた。
適度に筋肉のついたスマートな好青年だ。 整った顔をしていて 、不特定多数の人に好感を持たれる容貌をしている、と思った。
プロフィール写真がひどすぎた。
確かに似てるんだけれどこれ別人でしょというレベルだった。 それを指摘すると
「生まれてはじめて適当に自撮りしてみたのに」と嘆くので
「今度私がちゃんとレフ板で綺麗に撮ってさしあげます(笑)」と言いました。
実際に聞く声は電話と違って心地よく、
どっかで聞いたことがあると思った 生まれる前か、子供の頃か。
とにかく懐かしい気がした。
わかった東北弁だ。
私の 父の姪っ子 みっちゃんに似ているんだ。
喋り方も 見た目もなんとなく 似ている。
2年前 父の亡くなる前後の 記事をお読みの方は記憶してらっしゃるかもしれないが
みっちゃんとは 5~6歳の頃から 青森の海岸で遊んで いた仲で、
私はみっちゃんは唯一好きな親族だった。
H さんは 案の定、東北出身だった。
Hさんはハード面、 例えば瓦屋根に関してや 水道の蛇口が使いにくいので延長ホースをつけたいんだけれどどうしたらいいか など に関しては的確でアドバイスしてくれるが
穏やかで素朴で温かみがあって、 相手をそのまま許す響きがある。
自転車受け渡しの後、
仕事のものと思われるバンで天王寺まで送ってくれて
「 あなたは今まで 苦しんできたんだから、これからはもう幸せになっていい。なるべきだ。 自分のために生きていい」 と言った。
乗り心地の悪いバンの車の中で
何かの会話の時に不意にわたしを見つめて 可愛くてしょうがないと言うように 大きな手で頭をグリグリ撫でられた。
いきなり 何すんねんと答えたけれど 不愉快ではなかった。
後から学年が同じことはわかったが、
私の方が数ヶ月年上(月上?)だった。
食事をしないかと誘ったことに対しても自分のペースを守って
未練がましくなくスッパリ断って 帰っていった ことは私の中で好印象だった。
こちらを嫌って断ったという わけではないのは明らかだったからだ。
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それからも こまめに短いやりとりは続いていた。
お互い忙しかった。
長くはないが、でもお互い こまめな LINE の やりとりだった。 常に私のことを念頭においてくれてるのがわかった。 本当にありがたかった。 一人ではない支えになる人がいるというのは本当にいるだけで安心するものだ。
「この建物 に嫌われてるような気がする」 打ちあけたこともあった。
「 その建物は年寄りだから気難しいんだよ。 これから仲良くなればいい。」
「なれるかなあ」
「それは分からない」
なれるさ、 と言って欲しかったけれどそう言わないところがこの人の個性だ。
昨夜、漫画喫茶の帰りに 車から知らない男の人に 声をかけられて それを LINE で書いたら 心配して電話をよこした。
LINE とメールのやり取りが中心だったので 久しぶりに聞く声だった。
私は今、心身ともに疲れきっていて なんだか 声を聞くだけで安堵した。
別に付き合っているわけでもなく 、
まだまだその前の段階で、
恋愛的な意味で 好きかと言われたら 正直 わからないけれど 、
好意を持って 今後2 期待いたので 声を聞くことができたのは嬉しかった。
あちらは以前「そりゃあ 付き合ってもらえたら嬉しいと思うけれど」 と話していたので少なくとも 私に対して 好意をもってくれていると思う。
H さんは あと二日後、火曜日になったら予定がはっきりすると言っていた。
もしこの家に来ることがあるとしたら
その時は家も色々見てもらおうと思っていた。
裏の扉に関しては
「自分でよければ そんなの簡単に直せるからやるよ?」と言ってくれていたし
水回りガス周り電気回りとにかく全てのスペシャリストだ。 腰痛などの持病もないらしいので、 一緒に荷物を持ってもらう手伝いもしてもらえるかもしれないという下心もあった。
どうしても私一人では運ぶことが 無理なものがある。
腰痛とリンパ浮腫の痛みが 全摘した側の腕に出ていることから、
多分もう私の体は 重たいものを運ぶことに関して 限界なんだと思う。
昨日もコーナンで押し入れ用のキャスターが欲しかった。
しかし一人で運べる重さではなかった。
だからもしもHさんとすぐにではなくても徐々にもし
親しくなれたならば、
H さんの手を借りよう、 車で来てくれるだろうし 色々運搬できる かも、と図々しく取らぬ狸の皮算用までしていた。
もちろん ただ便利屋として使いたかったわけではない。
あの人は私の味噌汁をとても食べたがっていたから
手作りの食事を提供することでお礼をしたかったし
一緒に何かすることによって見えてくることがあるだろうし、共同作業は楽しいんじゃないかと思った。
あちらは私を魅力的な人間だと言っていた。
なかなか気難しそうな変わり者の H さんにそう認められたことは純粋に嬉しかった。
私も H さんを、まだわからないけれど、 こんな友達がいたら楽しいだろうな、 こんなに共通話題があって 同じ日本への認識を持っている人が一人でもいるというのは 嬉しいなあ、と思っていた
もし彼氏になれなくても そういう知り合いが一人いるというのは 私にとって財産だ。
できれば友達になりたいな
そんなふうに考えていた。
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さて漫画喫茶の帰りに電話があって 私は寝不足でへとへとだったけれど やっぱり話は弾んでしまった。
H さんは 泥棒よけの逆さ貼り紙 大阪の 民間風習 の話をしたら、
それは知らなかったとものすごく興味を持ってくれた。
俺は普段は占いは全く信じないんだけれど ひとつだけ信じている占いがあるとか。
過去のことが全部当たっているからだという。 聞いたことのない占いで ネットで見ることができるらしいが
全く耳に残らない難しい響きの 占術で 名前は忘れた。
それでどうやら私と自分の相性を調べたらしい。
私の周りの男性はどうしてそんなに占いが好きなんだろう。
いや、占いが好きなのではなく、
占いで自分と私の相性を見るのが好きな人が 何人もいた。
私は今回引っ越しに関して占いを何件か見てもらっているが、
誰かとの相性を見てもらうことなんて ちっとも興味ない。
H さんは私との相性調べた結果 ものすごくいいらしい 、その占いの中では最上級に良い相性。 それが男女としてなのか、ただの友達としてなのかはわからないけれど、と言った。
今まで不幸にしてきた女性はそれで調べるとみんな相性が悪かったから
あなたとなら安心みたいな雰囲気になっている。
その他にもどうやら私の本名で検索したらしく
私の絵のサイトを見ていた。
どうやら数十枚ぐらいは見られるようになっていたらしい。
あなたらしい作品だという。
そのまま昨夜は H さんの悲しかったことやつらかったこと 深い話まで行った。
私の過去の話も癌以外はもうすでにしてあるし 生きるということ死ぬということまで話題は行ったので
もう言わなければいけない段階だと私は判断した。
少し逡巡したけれど 思い切って 病気のことを言った。
空気が一瞬にして変わった。
電話越しにも温度がスーッと冷えていくのが感じられた。
H さんは他の ありきたりな 人と違って みんないつ死ぬかわからないだの今はがんも治る時代だのそういうことは言わなかった。
医療関係も詳しい人だから何か思うことがあったのかもしれない。
部位を聞かれたので乳癌と答えた。
転移は? と聞かれたので リンパに転移したいた と正直に答えた。
通信障害かと思うほど長い沈黙が続いた。
そして、癌の人とは パートナーになれない と 言われた。
さらに、今の段階で (もっと好きになる前に) 癌であることを言ってくれてありがとうと言われた。
もう声が冷たかった。
フラれた。
いや別にまだ付き合ってもないし それ以前の話だから フラれたともちがう。
捨てられた、とも ほんの少し違う。
切られた。
うん、これが一番正しい表現だ。
Hさんの中で、私は一瞬で切り捨てられたのだ。
理由は シンプルにたったひとつ。
癌だから
である。
私の人格を否定したわけでも
性格が嫌いな理由でも
容姿が好みじゃないわけでもなく
むしろそれらは好ましいと言っていたのにかかわらず
ただ一つ 「癌だから」という事実。
それで全ては一瞬で終わった。
やっぱりこれは重要なファクターだ。
私が 重要と考えてる以上に重要なことなんだ 。
今後お付き合いする人がいたとしたら やはり出来る限り早い段階で 言っていかなければいけないことだと学習した。
ここまではっきり冷めたのがわかると いっそ清々しい気持ちになった。
嘘のつけない人だと思った。
H さんは
「もし付き合ってる相手が途中で癌になるのと、
最初から癌の人と付き合うのは全く違う話だ」と言った。
ごもっともです。
「病気のことを知ってもあなたの魅力は変わらない。あなたの美点は変わらない。 自分がひかれたあなたに変化はない 。一緒に乗り越えていこう」
などという台詞はドラマや漫画の世界の話で
H さんは「 悪いけど癌の人とは男女の仲にはなれない」 ときっぱり言った。
何か私がすぐに死ぬことを決めつけられてるようで、
なんとなく縁起が悪くて気持ち悪くて、
今は検査でも癌の細胞は普通の人に近く減っているし 基本的には普通の人と同じように生活しております、 と抵抗したが
無理だと言われた。
「そうか、癌になったひとは、パートナー探しは現実的には難しいのでしょうかね 」と尋ねた。
「そういう人がいたらそれこそ詐欺を疑って気を付けた方がいい」と忠告された。
そして偽善か社交辞令か
それとも本当に心の底からの言葉なのかわからないけれど
H さんは「 何かできることがあったら 協力するから声をかけて」 と一応最後に 言った。
こんな空気で私から相手に何か頼みごとをお願いできるわけがないでしょうに。
体のコア部分を縦に貫いて、
わたしの身体の中心部が 本当に物理的な時間として 冷えていくのを感じた。
賃貸物件探しは癌であることを黙っていても、 まあ家賃さえしっかり払って 建物を丁寧に使って 非常識な事をしなければそれで済む。
でも人付き合いは違うんだ。
だからといって不特定多数の他人が見る 婚活のプロフィールに堂々と「乳がんですがよろしくお願いします」 と書くわけもいかない。
そんなことをしたら どんなトラブルに繋がるかわからない。
H さんが人類代表でも そういう性格の人ばかりでもないことは十分承知している。
しかしあれだけコツコツと積み上げてきて 仲良くなっても一瞬で終わる という厳然たる事実を 実体験として目の当たりにした
あんなに色々な事を見通せる人が 一瞬で切り捨てるほど癌という病気は絶望的なのだと 改めて私も絶望した。
癌の人間はパートナー探しなんて夢だったんだろうか。
私はまたひとりぼっちになった。