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加藤和彦

1975年12月、そんな彼女の前に加藤和彦が現れる。安井のエッセイ集『TOKYO人形』出版記念パーティーに出席したのだ。加藤は11月に離婚したばかりで、失意の時を過ごしていた。離婚を聞いた安井は「しめた」と思い、「明日、電話してください」と囁いた。実は70年代初め、安井は加藤和彦と出会っている。しかし加藤は福井ミカと結婚していた。

加藤は売れっ子のバリバリで、カラフルなアフロヘアで、アバンギャルドだった。声もいいし優しかった。背も185センチあって、お洒落しても絵になった。安井はヨーロッパの貴族を知っているから、自分のボーイフレンドにはまず背が高いことが条件だった。料理もプロ並みだった。

76年に入ると間もなく、安井の川口アパートでふたりは同棲を始める。加藤は身一つでやって来た。同年12月、加藤が安井にプロポーズ。加藤和彦のソロアルバム『それから先のことは…』もリリース。アメリカで発売された私小説のようなこのアルバムは、安井が全作詞を手がけている。以降、安井と加藤は共に9枚のアルバムを作っている。作詞家としての安井は、他の作曲家と組むことはなくなり、作品は加藤和彦の曲に限られるようになった。多くのヒットを生み出した人気作家の才能は、最愛の男のためにだけ捧げられた。それは、加藤和彦という作曲家の才能もまた、ひとりの作詞家によって独占されることになる。

77年4月、一年四か月の同棲期間を経て安井は、8歳年下で30歳の加藤と再婚した。式は渋谷の本多記念教会で挙げた。コシノジュンコがデザインしたウェディングドレスを着て、『マキシム・ド・パリ』で披露パーティーを開いた。バブル景気に沸く日本での優雅なライフスタイルは、公私ともに行動を共にする憧れの夫婦として支持された。ベストセラーとなった『加藤和彦・安井かずみのキッチン&ベッド』もこの年、出版されている。安井はこの後もコンスタントにエッセイストとしても活動する。

祝福

様々な男と付き合う安井を案じていた渡邊美佐は、加藤を紹介された時「もうこれで大丈夫、加藤さんならZUZUを温かく包んでくれると思いました」

安井とは文化学院の同窓で、ファッションデザイナーの稲葉賀恵は「加藤さんはZUZUのことをすごく尊敬していました。とても大事にしていた。ZUZUも、どこからあんな声が出るのかと思うような可愛い声出して、甘えてた」

林真理子「安井さんは、女は男の腕の中で幸せになるということを信じていた人です。恋愛においては、一世代前の女の人なんでしょう」

かまやつひろし「ZUZUとトノバンの二人は価値観が合った。似合っていた。ZUZUとトノバンは結婚してから、我々が出入りするようなところへ来なくなった。あの二人には二人の世界があって、幸せだったんだよ」

安井が加藤と結婚した翌年、順子はフランス人実業家ガエル・オースタンと結婚、オースタン順子を名乗る。「『こうしなさい』『ああしなさい』と姉がいろんな形で彼を引っ張っていき、翼に乗せたのでしょうね。彼自身実力があった人ですから、優雅にその翼に乗ることができた。趣味も仕事も一緒で、いいチームを組んでいた」

離れる友

安井と加藤の交遊関係は変わってゆく。二十代半ばからの親友、加賀まりこやコシノジュンコとの距離もいつしか離れた。自著に「三十代の私に、女同士の友情は最も大切なものだった」と書いた濃密な時間は、若い喧噪の時間が過ぎていくにつれ少しずつ薄れてゆく。74年に加賀が結婚して、75年にコシノが再婚、最後に77年、安井が加藤和彦と再婚した。仲良し三人組の青春が終わりを告げた。

加賀まりこ「彼女が選んだ暮らしは、(中略)スノップな価値観で彩られていくように思えた」。コシノとは、フィーリングも話題も食い違うようになったものの、それでも穏やかな友情は安井が亡くなるまで続いた。

多くの歌を安井と作った作曲家平尾昌晃「また一緒にいいものを作りたかったけれど、加藤さんのやっている音楽と僕らのやっている音楽はジャンルが違うし、遠慮もあって頼めなかった。連絡先もわからなかった」

安井は年齢もキャリアも下の夫が、自分の友人と交わることを嫌った。安井と親しいカメラマン斎藤亢が家を訪れても、挨拶を終えるといつも加藤はいつのまにか姿を消す。斎藤は自然と足が遠のいた。加藤はザ・フォーク・クルセダーズ時代の仲間とも疎遠になった。

吉田拓郎は安井・加藤とも付き合いが深かった。その二人が結婚したと聞いた吉田は、あまりに早い加藤の再婚に驚くとともに「なんで安井が加藤を選んだのか」と訝しんだ。同学年の加藤が『帰ってきたヨッパライ』で大ヒットを飛ばしたのに刺激を受け、プロ入りした吉田は加藤の圧倒的な音楽的才能に驚く。しかしその性格は弱かった。加藤が最初の結婚相手福井ミカと離婚したとき、吉田は彼のマンションに通い、憔悴しきった加藤を慰めた。自分より先を歩く女を選んだ加藤を吉田は理解したが、歴戦の兵の安井がなぜ頼りない男に熱を上げたのかわからなかった。安井の友人たちも、二人の結婚を歓迎しなかった。頑固な安井は周りが「やめろやめろ」というほど、意地になって燃え上がり、その関係を守りたかった。

新しい友

安井はシングル時代には”命綱”だった女友達より、夫婦単位で付き合える友情を好むようになった。そうした相手に、エッセイストで長野の東御市でワイナリーを経営する玉村豊男と抄恵子夫妻がいる。84年、玉村と安井加藤夫妻が雑誌の鼎談で顔を合わせたのがきっかけだった。豊男「僕らがそれまで知っている安井かずみ像は、親友が加賀まりこだとか六本木族とかいった華やかな面で、まったくの別世界の人たちだった。それが出会ってみると、ZUZUは加藤・安井という完璧な夫婦の貞淑な妻で、全然イメージとは違っていました」。抄恵子「時代の先端にいるイメージのカップルでしたが、お会いしたら意外に普通の優しい方たちだった。その印象は最後まで変わりませんでした」

80年代の半ば、カルティエ主催
テニストーナメントで、評論家大宅映子は安井と出会う。夫婦二組でも遊ぶようになり、カパルアの別荘にも毎年招待された。

安井と親しかった画家の金子國義は、加藤とも昵懇となった。趣味やセンスが合い、公私にわたって親交が深まった。81年リリースされた『ベル・エキセントリック』以降、加藤のすべてのソロアルバムジャケットには金子の絵が使われている。金子は加藤の音楽を絶賛する。しかし一方で、加藤の曲につけた安井の詞は「甘ったるい」と評価しない。安井の加藤への甘えたい感情が入っているという。安井と加藤夫妻は、金子作品のコレクターでもあった。金子の個展や展覧会には必ず二人で足を運び、気に入った作品を買い上げた。六本木の家にも何点か飾られてた。金子の目からは、安井の審美眼の方がずっと上だった。加藤は安井により鍛えられたという。

交遊関係が変化する中、渡邊美佐との関係だけは特別だった。軽井沢、ラスベガス、ハワイ、ヨーロッパなど、世界各地で休息の時間を共にした。

エスタブリッシュメント

安井は加藤と一緒になって、ファッションはコンサバになった。趣味もゴルフにテニス、ハイソサエティになった。加藤からの誕生日プレゼントはポルシェ。クリスマスプレゼントはカルチェの五百万円のイヤリング。世界中を旅行し、マウイ島カパルアの別荘を衝動買い。二人の生活は豪奢を極めた。

矢島祥子「家具の趣味が変わった。いかにも高そうなものが増えた。リビングの素敵な白木のテーブルが、まるでココ・シャネルの部屋に置いてあるようなテーブルに変わった」

ホテルレストラン専門誌「週刊ホテルレストラン」の出版社を率いる太田進は夫妻と親しく、世界の一流ホテルに精通、各国の富裕層の立ち居振る舞いを目に焼き付けている。太田進「あの二人は最初から日本人離れしたものをもっていた。フォーク・クルセダーズで世に出たときの加藤は、エスタブリッシュメントの世界へ来るような人ではなかった。安井によって立ち居振る舞いやワインのこと、絵のことを学んでいった。二人で旅に出る前は、ガイドブックから専門書まで山のように買い込み、歴史から芸術まで勉強。そしてお互い勉強した知識を交換し合った」

合わす 演じる

安井は、夕食は服を着替えて夫婦二人で摂ることを望んだ。17年間の結婚生活で、夫婦が別々に夕食をとった日は十日もなかったという。

安井は加藤が嫌うという理由で、好物のたらこを一切口にしなくなった。加藤も朝食の時にコーヒーを飲んでいたが、実は紅茶が好きだった。安井に17年間合わせていた。週末には夫婦でテニスやゴルフに興じ、夏や冬にはマウイにある別荘で過ごすようになったが、加藤は色が白く細くて、太陽を浴びるタイプではなかった。安井の望みを優先した。

大宅映子「ZUZUが嫌うため、和彦さんは入りたい店にも入れなかった。SPAMおむすびも下品だと嫌がられた。うちに来ると茄子の煮たのがうれしい様子だった。和彦さんは我慢していた」

安井と加藤は自他とも認める最高にお洒落なカップルだった。しかし安井は妹にだけは本音を漏らした。「表向きはそうやっているけれど、そんなもんじゃないのよ」。二人は理想的な絵の中に自分が収まるように演じていた。順子は姉が反りの合わない姑に悩む姿も目にしている。

林真理子「素敵な夫婦でしたけれど、私にはあんな結婚はできません。家は楽屋だと思っているし、手足を伸ばしたい。完璧な夫婦ってあるはずがないのに、世間がそれを望んでしまった」

支配する安井

大宅映子「ZUZUは男はこうあるべきだと、彼を”飼育”していた。彼女の価値観で生きるのは大変だった。一方でZUZUも和彦さんをマエストロと呼んで、立てて、立てて、ものすごく気を遣っていた」

順子「安井と加藤は経済的なことを含め、妻が主導権を握る夫婦だった」

加藤タキ「彼女が支配者だった。かずみさんは奥さんをやっていたけれど、和彦さんが主夫で、かずみさんが女王様。そういうふうに見えました」

コシノジュンコ「才能同士の結婚だから、ぶつかることもあったと思う。経済格差もあって、トノバンも途中からヒモみたいに言われて可哀そうだった」

加藤タキの夫 黒川雅之「ちゃんと夫を立てるように見せながらコントロールしていた。そこはZUZUは見事だった。対等ではなかったから喧嘩にもならない。和彦ちゃんというのは優しい人で、どこかマゾ的な部分もあるのかなと思うぐらい、にこにこ優しくZUZUをケアして、いつも目線を彼女のほうに向け、内面が強い彼女に従っていた。まるで自分を捨てるかの如く。彼女を尊敬していたみたい」

太田進も長い付き合いだったが、二人が喧嘩しているのを見たことがない。加藤が安井の言うことを聞いていた。時々ムッとしているのがわかったが、言い分を受け入れていた。ただ加藤は安井の望みも我が儘もすべてきいていたものの、それを周囲に強いることはなかった。安井が加藤のマネージャー内田宣政に「私のこともマネジメントしてほしい」と望んだとき、加藤は内田に忠告している。「ZUZUは全部自分にだけエネルギーを向けられないと気が済まない。やめたほうがいい」と。加藤は、安井のそうした性格も含めて受容していた。

世界中を旅したが、ロンドンへは、加藤の前妻が住んでいるという理由で行かなかった。

崩れる支配

結婚当初は、キャリアも収入も上の女が、年下の男をリードしていた。カラオケブームによって安井に入る印税は莫大なものだった。プロデューサー・作曲家の加藤の収入は少なくなかったが、妻には及ばなかった。年齢も収入もキャリアも女のほうが上という世間の標準とは違うパワーバランスは、妻に遠慮と夫にコンプレックスをもたらしたが、危うくも均衡を保ってはいた。しかし加藤が他の女に気持ちを移そうとした瞬間、二人のバランスは逆転し、安井は加藤の顔色を窺い委縮していった。

仲間うちでは、加藤に恋人ができたという噂が何度か流れた。加藤は優しいからモテた。女性からのアプローチだった。コシノジュンコ「ZUZUはトノバン命になって、彼がちょっと誰か
好きそうになると、ものすごく神経質になった」

順子「世の中には完璧な夫婦など存在しない。諍いも当然あった。80年のある日、姉から『順ちゃん、もうダメ!』と悲痛な電話があり、夫と駆けつけると、女性のことで加藤と喧嘩し、非常にショックを受けているようだった。そのまま一晩付き添った。このようなことが何回かあった。姉の性格からして、言うことをきかない加藤が許せなかった。加藤も大変で、鬱屈もあったろう」

安井の古くからの友人の娘Bを、安井・加藤夫妻は妹か娘のように可愛がっていた。84年、Bが運転免許教習所に通うことになり、免許をもっていない加藤が、いい機会だからと一緒に行くことになった。ところがその最初の朝、加藤がキャンセルした。安井が嫉妬から泣いて止めたのだ。安井はBのボーイフレンドにも会っていたというのに。安井は加藤が他の女と長い時間を過ごすのが耐えられなかった。おそらく安井自身も自分の独占欲に葛藤し、加藤もまた苦しい思いをしていたろう。    

六本木の家

85年、安井は加藤と十年暮らした川口アパートを去り、六本木の一軒家に移った。六本木交差点から東京タワーに向かう外苑通りを左に折れ、丹波谷沢を少し下った右側にある白い一軒家だった。

六本木の家は、安井が加藤との関係を再構築させるものだった。結婚して数年たったころ、加藤の浮気が発覚、安井はひどいショックを受けた。新婚以来住んでいた川口アパートは安井の家だったから、加藤を家長として立てようとしたのだ。六本木に移る前年、84年にリリースされた梓みちよの『耳鳴り』は、他の女に泣く悲哀を歌っている。この詞に加藤は曲をつけているが、どのような気持ちで読んだのだろうか。

矢島祥子は、独身時代からの安井を見てきたが、「75年に加藤と出会ってから、83年の『テニスでグッドモーニング』を出版するまで、ふくよかで健康的で、安井さんは一番幸せそうだった」と証言している。六本木の家に移る前年あたりから、安井の様子に変化がみられたことになる。

内田宣政 「六本木のお宅にお邪魔すると、加藤さんは安井さんといると紳士な感じで、安井さんから離れて地下のスタジオにいると、リラックスするというかフランクになった。お昼もカレー南蛮とか取っていた。加藤さんはひとりの時は颯爽と背筋を伸ばしていたが、安井さんといるときは、背を合わせるため猫背になって、ほほえましかった」

86年公開の映画音楽制作がきっかけで、吉田拓郎は途切れていた安井・加藤との付き合いが再び始まる。二人は以前と変わっていた。安井は家庭的になり、加藤は立派になっていた。酒が飲めなかった男がワイン通になっていて、一流好みに変貌していた。演技もあったろうが、一家の長としてのふるまっていた。やるはずもないテニスやゴルフは、加藤が関係を維持するためにしかみえなかった。泊まった六本木の家はホテルのようで、まったく生活感がない空間だった。危うい綱渡りをしているとしか思えなかった。

1980年代後半から1992年

吉田拓郎は80年代半ば、歌に情熱を失っていたが、加藤から熱心に口説かれ新アルバムを作ることになる。安井の詞に吉田が曲をつけるが、再三意見が衝突し喧嘩になった。安井は髪を振り乱して泣き叫んだ。当時の安井は加藤の作った曲にしか、それもごくたまにしか詞を書いていなかった。安井の音楽や詞のセンスは一時代前のものだった。ニューヨークでのレコーディングでも、安井は歌い方にも注文をつけ、吉田を困らせた。プロデューサーの加藤はレコーディングスタッフにスーツを着ることを強要するなど、人を見下して傷つけることもあった。人の痛みや悲しみがわかり、愛のこもった詞が書ける安井がなぜ加藤を選んだかと思った。こうして86年にできあがったアルバム『サマルカンド・ブルー』を吉田は失敗作と自己評価する。吉田はこのアルバム曲を、ステージでほとんど歌っていない。

88年、加藤の掛け声のもとに桐島かれんをヴォーカルに迎え、旧メンバーが集結したサディスティック・ミカ・バンドが復活しが、アルバム『天晴』がレコーディングでは、夕方になると誰にも言わず加藤の姿が消え、家で安井と食事を楽しんだ。休みの日は出てこなかった。佳境に入ると、忽然とマウイに消えた。『天晴』には安井加藤コンビの二曲入っているが、新しい音楽性を追求したアルバムの中でこの二曲だけがどこか古めいて、浮いている。

阪急百貨店有楽町店には89年から90年まで、夫婦が寄り添った大きなポスターが飾られ話題になった。林真理子「加藤さんは、日本でロンドンブーツを流行らせた、ちょいワルオヤジの先駆けのような人だった。背の高さが『チッチとサリー』みたいに全然違っていて、ご夫婦が外国人の中に混じってもカッコよかった。もう世の中の理想なんだけれど、自分の理想とあまりにもかけ離れすぎていて、仰ぎ見るという感じでしたね」

91年、安井と加藤がイタリアを取材で旅行中、空港で偶然居合わせたオペラ歌手の中丸三千繪を、旧知のスタッフが夫婦を引き合わせた。このときが加藤と中丸の出会いだった。安井が死去したのは、この三年後だった。

91年2月、加藤はソロアルバムを発表。詞を書いた安井の遺作ともなった『ボレロ・カリフォルニア』だが、加藤も以降、一枚もソロアルバムを出していない。加藤は才能のわりにヒット曲は少ない。安井は阿久悠などと同一線上にいるビッグネームで、加藤も筒美京平と並んでもいいはずなのに、そこにはいない。正しい評価がされていない。加藤の作った曲は遊びが過ぎたり余裕がありすぎて、最終的には誰にもわからないものになってしまっていた。

91年の秋、矢島祥子は執筆依頼のため8年ぶりに安井と再会した。初めて訪れた六本木の家で矢島は安井の変貌に驚いた。メイドがメイド服を着る家の中で安井は、ブランド品で着飾っていた。それは以前の彼女がもっとも嫌っていたことだった。ずいぶん痩せていて、幸せそうに振舞ってはいたが、そうは見えなかった。

92年の春、安井と加藤は結婚披露と同じ、銀座の『マキシム・ド・パリ』で、結婚十五周年記念パーティーを開いた。この直後、安井と加藤は東御市の玉村家の農園を訪れる。安井は更年期だと、体の不調を嘆いている。振りかえればあのパーティ
ーは、生前葬のようだったと抄子は感じた。

発病前から、安井は加齢でこだわりが強くなり、鬱っぽかった。飛行機の毛布の色に文句を言い、会食があると何日も前から食事を抜くなど、精神は不安定になっていた。加藤への束縛も激しくなっていた。加藤は北山修にも相談している。八歳の歳の差を安井はずっと気にしていて、結局はそれを埋められなかった。安井は更年期を乗り越えられなかった。自他とも認めるカッコいい女が老いを認めることはできなかった。

肺がん

93年1月半ば、安井は左胸に痛みを覚える。マウイ島のカパルアで年末年始を過ごして帰国したばかりで、ゴルフによる筋肉痛だろうと様子をみていたが、一か月たっても痛みはひかなかった。3月1日、三十年来のホームドクター、世田谷にある小杉医院を受診。主治医は「肺炎をこじらせている」と告げ、専門医への紹介状を書いた。

3月4日、東京医科大学で肺ガンだとわかる。主治医の加藤治文は、加藤にだけ「肺ガンの末期で助からない。余命一年」と告げた。8日入院。16日に加藤教授は、安井に悪性腫瘍だと告げる。23日から化学療法、4月19日から温熱療法が始まる。安井は副作用に泣きながらも、これを乗り切れば光は見えると必死に自分に言い聞かせた。当時は副作用を抑制する薬はなかった。吐き気に襲われ、髪の毛も抜けた。

加藤は妻の命の期限を知ってから仕事をすべてキャンセルし、献身的に最後まで看病した。渡邊美佐「入院した時、ZUZUは自分の視野から加藤さんが出ることを許さず、彼はご飯も食べに行けなかった。仕事なんか出来なくて、結局すべてをなげうって看病した」

5月8日、退院。抗ガン剤はよく効いて、痛みは消えた。しかしそれは一時的によくなっただけだった。9日、安井は鳥居坂教会に通い始める。以降、毎日曜日ごとに、教会へ通った。自宅での療養生活は穏やかに過ぎ、夫妻はサンルームで紅茶を飲みながら「今みたいに幸せな時間を持てたことはなかったね」と語り合った。

5月半ば、胃ガンで闘病中だった安井の父が亡くなる。

7月、友人の作家森瑤子が胃ガンで逝去。告別式の帰り、大宅映子は安井本人から肺ガンに罹っていること告げられる。28日、最後のエッセイ集『人生の歩き方』を脱稿。

8月、安井はいつもの年と同じように、黒川雅之・加藤タキ夫妻とカパルアでゴルフをする。2、3ホールごとに休みをとるほど体力が落ちていた。加藤はこの夏、ヴィラを改装している。加藤タキ「最後まで随分お金をかけていた。かずみさんの『こうしたい、ああしたい』に、和彦さんがすべて応えてあげていた」

病気になってからの安井は、以前にも増して順子に会いたがった。退院したり病院から外泊の度に、家の近くにある『樓外樓飯店』に妹家族を誘った。「姉はもうあまり食べられなくなっていましたが、楽しそうでした。その時に家族というものを感じていたんじゃないでしょうか。苦しくなると病院から母のところに『ママ助けて。私のために祈って』と電話がかかってきたようです。母にも私にも、『元気になったら、みんなで暮らしましょう』と、そればかりを何度も言っていました」。食事をしている最中、「安井かずみがいなくなっちゃう」と突然泣き出したこともあった。

9月、鎖骨の上のリンパ節に転移がみつかる。13日再入院。放射線治療を受け28日退院。

11月6日、放射線治療で腫瘍は小さくなったが、何回も放射線はかけられない。胸水を抜くため再々入院。20日退院。次の本の打ち合わせをするなど、仕事への意欲を最後まで持ち続けた。しかし安井は再々入院の段階でもうダメだと悟ったようだと、加藤教授は振り返る。11月は玉村抄子に安井に電話をかけている。昼間であったが、安井は酔っていた。

12月12日、夫婦そろって洗礼を受け、クリスチャンとなった。病気になったからの現世御利益的なものではなく、洗礼の意思は以前からもっていた。母校であるフェリス女学院での時間をこよなく愛した安井にとっては、キリスト教への帰依はごく自然なことだった。安井の病状は段々悪くなっていったが、教会に行くと嬉々として明るかった。

12月中旬、夫や妹の家族とカバルアの別荘で過ごすことができたが、22日に容体が急変して24日に帰国、そのまま入院。29日に六本木の家に帰宅した。

94年1月2日、教会の新年礼拝で初めての聖餐を受けた。聖餐とはイエス様の血と肉をいただくという意味で、神と一体になる気持ちを持てる。安井は「嬉しい、幸せ」と何度も言い、飛び跳ねんばかりに喜んだ。ちょうどその日は安井の誕生日だった。しかし安井が教会を訪れることができたのは、その日が最後となった。安井の死を受け入れるために、加藤は牧師になるぐらいの勢いでキリスト教の勉強をした。

5日に再び入院、そのまま六本木の家に帰ることはなかった。順子は「姉と二人でしみじみと話したのは、あの時が最後でした。ベッドに横になって、氷を口に含んだ姉が痛みに耐えながら、『順ちゃん、私、淋しいの』と訴えた」。矢島祥子が病室を訪ねると、安井がひとりで寝ていた。意識がほとんどない状態だった。来ているものは売店で売っているような浴衣の寝間着だった。

1月、安井は昏睡状態に陥る。順子は時間の許す限り病院に足を運んだが、昼間に行くと、病室の隣の予備室には誰もいないことが多かった。

2月8日、最初の呼吸停止。それから安井が亡くなるまでの約四十日間、加藤は病院に泊まり込んで、妻の傍らに付き添った。加藤教授「ハワイから戻った時は本当に末期で、いつ亡くなっても不思議ではない状況でした。死期が迫っていることを伝えると、和彦さんはその日から亡くなるまでずっと病室に泊まって、昼も夜もない看病を続けていた。咳が出れば徹夜で背中をさすってあげてね。もう本当に倒れる寸前で、青い顔して『食欲もありません』とおっしゃるから、何度か点滴を打ってあげました。彼は毎朝、トイレの鏡で自分の顔を明るい表情に戻してから、かずみさんのもとに戻っていました」

呼吸停止後、気管に管の入った安井はもうしゃべることはできず、クリップボードに挟んだフェルトペンで書いて、夫に意思を伝えていた。2月末に発作的に書かれた文字が日記に収められている。「金色のダンシングシューズが/散らばって/私は人形のよ
」これが安井かずみの絶筆となった。

3月16日、順子が病室を訪れると安井は一人でベッドに横たわっていた。もう話すことができない姉に「お姉ちゃま、また参りますね」と書き置きを残して病室を出ると、主治医に出くわした。「余命八か月と言われたのが一年二か月まで延びて、その頃は延命治療でした。私、思わず『先生、このままでは姉が可哀想。辛いんじゃないでしょうか』と訴えてしまった。姉が亡くなったのはその翌日の早朝でした」

永眠

3月17日午前6時5分、夫の祈りの声を聴きながら安井は眠るように息を引き取り、五十五歳の生涯を終えた。

その夜、加藤教授は東京医科大学病院近くの『ヒルトン東京』のレストランで加藤を見かけている。加藤は、一人で鉄板焼きを黙々と食べていた。加藤教授「すべてをやり尽くし終えたのだから、彼は平静に過ごすことができるんだなと思いました。和彦さんはやさしく、世俗的でなく、私たちにはとても持てないような心を有した人。マナー、道徳、精神のコントロール、どれも素晴らしいですし、何よりも真の『愛』を備えた人でした。僕はこれまでの五十年の医師生活で一万五千人以上の肺ガンの患者さんを見てきたけれど、あのようなすばらしい家族に会ったのは初めてだったので、僕の心の歴史に残る場面を見せていただいた。夫婦の愛、男女の愛を超えた人間愛というものを教えられ、これまで家族やカミさんのことを放り出して仕事に生きてきたけれど、これでよかったのかと随分考えさせられたものです」

3月18日、加藤から安井が亡くなったことを聞いた矢島が六本木の家に訪ねると、加藤は自分の両親と穏やかに過ごしていた。「安井さんは?」と聞くと「ZUZUは神様と一緒だから」。順子にも「階段があって棺を運ぶのが大変なんだ」と答えている。安井の遺体を病院の霊安室から引き取ったのは、亡くなって四日後の前夜式(仏式の通夜に相当するプロテスタントの儀式)の日だった。

前夜式で加藤は、「妻が神のもとに旅立っても、私はいまだに夫婦だと思っています。悲しくなんかありません。ただ淋しいけれど」と挨拶し、列席者の涙を誘った。加藤教授も参列した。大勢の患者を抱える医師が亡くなった患者の葬儀に参列することはめったにないが、行かずにはいられなかった。葬儀での出棺は、沢田研二が前を担いだ。

葬儀が終わった直後の取材で加藤は「妻との約束が守ることができたと話している。安井はいつも夫に「私より先に死んじゃいやよ」と言っていたという。

矢島祥子が六本木の家を訪れると、加藤は母と一緒に、自身が安井との思い出を語る『徹子の部屋』を見ていて、冷静にテレビ映りを観察していた。

渡邊美佐「ZUZUが亡くなって、加藤さんは旧約聖書に夢中になり神学生のようにラジオでその話をしていました。関西のミッションスクールに頼まれて、講演に行ったりもしていました。私達は、彼はこれからずっと、若くして召されたZUZUを胸に、神に仕える人になるのかと思っていました」

中丸三千繪

太田進「加藤さんは安井の死後、どうしちゃったと言うぐらい、ぐちゃぐちゃだった。服装もスーツがいやになったみたいで、ジーンズ姿が増えた。仕事も手につかず、半ば抜け殻のようだった」

5月、案じた玉村夫妻は自分たちの農園に加藤を誘う。諸用のため一旦東京に戻った加藤は6月半ばにコンピュータや大量の荷物と共に再び農園に現れた。自動車学校に通い料理を引き受けて、急速に元気を取り戻した。中丸三千繪との恋がいつしか始まっていた。加藤が『キャンティ』で食事をしていると、中丸が「イタリアでお会いした中丸です。今度、コンサートに来てね」と声をかけたのがきっかけで、交際が始まったとされる。加藤は自立していて、自分を出せる強い女性が好きだった。

6月、加藤は参列者に礼状を出す。お花料を東京神学大学基金拡充募金に「安井かずみ記念基金」として寄付したことと、4月に青山墓地にある鳥居阪教会共同墓地に埋葬し、渡邊美佐とコシノジュンコと共にパリのセーヌ川に散骨したことを感謝と共に報告した。パリでの加藤は牧師になりきって聖書を読んで、渡邊らは泣きながら賛美歌を歌った。

安井の遺骨はハワイにも分骨された。8月、マウイ島カパルアでの散骨式は、加藤と、黒川雅之・加藤タキ夫妻、渡邊美佐、コシノジュンコ夫妻、順子夫妻、大宅映子らが参列した。加藤がレイを崖の上から海に投げると、レイは寄せる波とともに何度も戻ってきた。加藤タキは、まるで安井が「行きたくない」ようだと感じた。セーヌ川でもお骨と一緒に薔薇の花を流していたが、ぐるぐる回るだけで流れていかなかった。

中丸と恋に落ちていた加藤は、ハワイでの散骨のあと彼女のもとに駆けつけている。中丸のツアーについて回り、彼女のステージ時間に合わせてパスタをつくった。そうした行状は噂となり、安井を愛した人々の怒りを買った。加藤は中丸との仲を「公表」するため、『フライデー』にツーショットを、わざわざ手配してイタリアで撮らせた。

六本木の家から、安井の服や靴やバッグが、家の前にごみとして出された。アルバムや家具、二人で集めた食器もそのまま捨てられた。加藤は安井の写真も一枚も残さなかった。飾られていた金子國義の絵も、すべてギャラリーに売りに出された。家に遊びに来たジャック・ニコルソンが、金子の絵を気に入り売ってくれと言っても譲らなかった絵も、すべて処分された。

順子「姉が亡くなった当初は、淋しいだろうと加藤さんをよく食事に誘っていました。でも車で送っていくと、家の近くで降りてしまって、決して私たちを家に入れてくれなかった。姉の書いたものや写真は手元に持っていたかった」

安井が亡くなってから半年経つか経たない頃、家も全面的に改装した。中丸のためだった。驚くほど大掛かりなものだった。安井の痕跡はすべてなくなった。安井に全力投球したように、中丸にも全力投球した。ある人は加藤から「比べられるとみっちゃんが可哀想だから、ZUZUのことは一切言わないで」と言われている。またある人は、「みっちゃんと仲良くしてあげて」と頼まれている。彼が安井と暮らした家を全面改装したのも、安井の持ち物をすべて捨てたのも、再婚後安井に関して語ることをしなくなったのも、加藤の新
しい妻への愛であったろう。同時にそうしなければ、加藤は新しい人生、安井がいなくなった人生を歩みだすことができなくなっていた。

加藤は中丸三千繪と、安井の一周忌前の2月に入籍。しかし5年で離婚した。実質的には2年で破綻していた。以降、軽井沢で自死するまで、加藤に恋人が途切れることはなかった。しかし加藤がどんな恋をしようと、友人が加藤を語るときには、安井が切り離せない存在として登場するのが常だった。安井こそ加藤のベスト・パートナーであり、安井を失って以降の彼はまるでベースをなくしてしまったとみる向きは多い。

理解者

加藤が安井の一周忌を待たず、中丸三千繪と結婚したとき、安井を愛した人たちはショックを受け、彼を非難したが、理解しようとする人たちもいた。

大宅映子「和彦さんの再婚には驚きました。日本中の女たちを羨ましがらせた結婚生活は、ZUZUが生涯をかけてつくり上げた作品といっていい。それがあっさり他の女性にとって代わられることは、誇り高い彼女には耐えられないことだとわかりますから。ZUZUが亡くなってから、私たちも和彦さんとのお付き合いは一切なくなりました。それでも、彼女の徹底した美学に最後まで付き合い、献身的に看病し、看取った彼は見事だったと思う」

玉村豊男「才能のある強い女性が現れたら、すべてをなげうって献身するのが、加藤さんの恋愛スタイル。ZUZUにあれだけ尽くして、きちんと送った。ポッカリ胸に穴が空いたところに、また新たな気持ちが生まれた。中丸に尽くしているのも、それはそれで立派な人生だと思う。それでも加藤さんは、やっぱりZUZUが一番合っていた。ZUZUとの17年間で、完全に加藤和彦が出来上がってしまった。あの時間が最高の時代だった。最高のパートナーで、完全に一体となってしまったので、そこから抜け出せなかった」

順子「中丸さんとの結婚記者会見で、彼が『安井とのことは完結しました』と言ったときは、ショックでした」しかし順子は加藤を恨むことができない。姉との生活の中で耐えていたものがあることを容易に想像できたからだ。安井の誕生日に加藤がバースデーケーキを予約し忘れた時、友人たちの前で激しくなじられる加藤の姿を目撃していた。姉は本来優しい人だが、きっといろんなプレッシャーがあり、お酒を飲むと我慢していたものが吹き出した。母と妹もやられて、何度も泣かされた。だから二十四時間一緒にいる人は大変だったと思う。そういうことがわかっているので、安井の母は加藤に心から感謝していた。最後の時まで姉の理想の生活に付き合って夫役を務めてくれたこと、姉も最後まで演じ切りたいと望んでいたことだったろうから、それは本当に感謝している」

渡邊美佐も「しょうがないじゃない」とかばった。加藤は早くに、美佐に中丸のことを打ち明けていた。「会ってくれと頼まれて、会いました。私もびっくりしたのですが、加藤さんがずっとZUZUに尽くしていた姿を見ているので、責めたり、怒ったりする気になれない。こういうこともあるかと自分に言い聞かせた。その後も驚くようなことが結構続きました。ある日、『僕、アメリカ人になっちゃった』と言ってきたり。中丸さんの籍に入って、KAZUHIKO・KATO・NAKAMURAという長い名前になっちゃったというの。気持ちの切りかえが早くて、常に一所懸命。彼はそういう人でした」

安井が亡くなって一年ほどたった頃、学会へ出席するためイタリアへ向かおうとしていた加藤教授は、成田空港で加藤とばったり出くわした。空港カウンターでチェックインしていると、目に前に大きなバックを抱えた女性がいて、そこに加藤が現れたのである。「女性は中丸三千繪さんでした。和彦さんはちょっと照れくさそうな感じで『僕の新しい妻です』と紹介してくれました。彼の早い再婚には、腰が抜けるぐらい驚きました。でも僕は何度も何度も僕の部屋に来てかずみさんのことを相談し、献身的に看病した彼の姿を一年間見てきた。彼は前夜式で『寂しいけれど悲しくはない』と言ったでしょう。妻のためにすべてを捧げたからこそ出る欲望があります。和彦さんにもあったはず。彼はすべてをやり尽くしたんだから、いいんじゃない、誰を愛しても」

『ありがとう!愛』

安井が亡くなったあとも、彼女の最後の本を作るため、矢島祥子は加藤に取材を続けた。そこでは妻の闘病を「いつまでかかるのか」と呟いたとの証言を得たり、献身的な夫を演じるための準備と計算など、美談の裏側も捉えている。ある人は加藤のことを、アイスキャンディーと例えている。「一見甘くて舌触りもいい。でも、中身は冷たい」。結婚生活の後半、安井さんは相当辛かったと矢島は言う。夫婦生活はギリギリのところに来ていた。病気になって、そういう苦しみから解放されたかもしれない。

遺作となった日記をまとめた『ありがとう!愛』は、安井が亡くなった年の十月に全国の書店に並んだ。そこには夫婦愛が高らかに謳い上げられ、いかに自分が愛されたかが綴られていた。それは愛されなくなる恐怖に怯え続けてきた安井の願望であり、夫への叫びのようなメッセージとも読めた。完璧な夫婦を演じるのは大変だった。安井に加藤と別れる選択肢はなかった。安井はひとりで食事ができない。加藤は安井のライフスタイルにぴったりな男性だった。そして加藤も安井と一緒にいたときが一番輝いていた。

2006年 、サディスティック・ミカ・バンドは再々結成される。キリンからCMソングに使いたいと、加藤に依頼があった。レコーディングは加藤の発案で、軽井沢や河口湖のスタジオで合宿して行われた。再結成の時は、安井との生活を優先したため、メンバーとの関係もギクシャクしていたが、このときの加藤は別人だった。河口湖には車いっぱいに調理器具をもって乗り込み、午前中にノルマを終えると、二時ごろからコックの格好をして料理を作った。メンバーとも打ち解け、以前の時よりはるかにバンドらしかった。加藤は安井といたときは、彼女に全力を注いだ。ヨーロッパに旅行したとき、安井が駅に咲いていた花を綺麗だと言ったら、加藤は翌朝わざわざ一時間かけて摘みに行きテーブルの上に飾った。加藤は人が喜ぶのが見るのが好きだった。安井が亡くなってからは、ほかに人にエネルギーを向けた。

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晩年

黒川雅之「中丸三千繪さんとの離婚後、和彦ちゃんとは何度か六本木ヒルズのエレベーターで出くわした。いつも違う女の人を連れていたのに、どこか寂し気だった。『また飯食おうよ』と誘ったら、彼は『僕のこと、みんな非難しているから受け入れてもらえない。昔の世界には戻れない』と言う。ZUZUの莫大な遺産を相続しただろうと彼に面と向かって言う人もいたから、それも重かったろう。女性陣は彼の早い結婚を非難したけど、和彦ちゃんは仕事をやめてまでZUZUを看護し、尽くしたんだから、僕は、ああ、よかったねと思った。彼には喪失感を埋めてくれる人が必要だった。でも最後は、尊敬して愛したZUZUのところへ行ったと思う」

2009年10月、六本木の家で隣人だった外崎弘子は、加藤が亡くなる数日前、六本木のゴトウの花屋とロアビルの間にあるATMに入っていくジーパン姿の彼を見かけた。しかしいつものオーラが消えていて、ひどく疲れた様子で声をかけられなかった。

同じく加藤は亡くなる数日前、美佐の会社を訪ねて経済面での助けを求めている。加藤が最後に頼ったのは、美佐だった。「助けましたが、それだけでは救えなかった。ZUZUも加藤さんも、黙って呑み込んで受け入れなければならないことも沢山あったけど、一緒に愉快な時間をたくさん過ごしてきた。今となってはすべてがいい思い出。うん、とても素敵な人たちでしたよ」

加藤は公式の場ではもちろん、親しい人に向かっても安井のことを話すことはほとんどなかった。そして加藤は軽井沢で自死を選ぶ。吉田拓郎「彼が死んだとき、ちょっとは俺のことも頼りにしろよと思った。そう思った人は他にもいるでしょう」

加藤の墓は京都にあり、青山墓地に眠る安井の傍らにはない。

ブログ あとがき

本書『安井かずみがいた時代』は最終章、渡邊美佐が加藤和彦の亡くなる直前を語るところで終わります。引用で成り立つこの編年体も、時系列的に同様となります。しかしそれではどうにも寂しすぎる。そこでこここでは、加藤和彦の別のエピソードを綴らせてもらいます。安井かずみが主人公なのに、加藤和彦で終わるのは筋違いかもしれません。ただ自分としてはこのブログをまとめている最中、偶然耳にした以下の話に力を得、最後までパソコンのキーを叩き続けられたと思っています。あと少しだけお付き合いください。

先日ネットで、あるラジオ番組を聴きました。吉田拓郎がパーソナリティをつとめるニッポン放送 『ラジオでナイト』 なのですが、この2018年1月28日放送分が YouTube にアップされていて、拓郎が加藤和彦との次の思い出話を語っていたのです。

今からもう半世紀近くも前のこと、吉田拓郎はどうしても欲しいギターがあったのですが、なかなか見つからない。それを加藤が探し出してくれたのです。拓郎はよほどうれしかったのでしょう、この話を折に触れ繰り返し語っています。ライブ盤のMCにもなっています。YouTube でも彼が語り出したとき、また始まったと思ったのですが、今回のは後日談につながっていました。拓郎はこのギターを現在も愛用していて、自宅マンションのリビングに飾っているというのです。そして毎日夕食前に弾いているというのです。2018年の今年の話です。驚きました。五十年近くたっても、加藤が手に入れてくれたギターに、そこまでの思い入れがあるというのです。

『安井かずみがいた時代』での拓郎は、加藤を半ば突き放すような証言を繰り返しています。このことと、彼が見つけてくれたギターを今も大切にしていることに、大きなギャップを感じます。あるいはただ単に、そのギターそのものがお気に入りということだけかもしれません。でも仮にそうであっても拓郎は、加藤ゆかりのギターを、今も毎夜つま弾いているのです。孤独のうちに亡くなった加藤にまつわる話として、どこかほっとするエピソードです。彼が亡くなった頃、拓郎も彼と同じ心の病に苦しんでいたといいます。また拓郎は、早期発見で助かりましたが、奇しくも安井と同じ肺がんにも罹っています。

本書の著者島崎今日子に語った拓郎の言葉の裏には、加藤とそして安井への深い哀惜があったと思いたい。追悼の言葉が、真の友情の証なのだと信じたい。

最後までお読みいただきありがとうございました。

脱稿はアメリカなら余裕で訴えられるレベル

※BL妄想小説です

閲覧にご注意くださいね

月の雫には、

今夜も会員が足を運んでくる。

俺はいつもと同じ場所に立って、

顧客を笑顔で迎えた。

「堤様、

いらっしゃいませ」

「梅雨時期らしく、

あいにく今夜も雨だね」

「ええ。

けど……いい夜です」

確かに連日続く雨は、

少々鬱陶しくもある。

だが、夜空を見上げて小さく

ため息を零す客にそう言うと、

はっとした表情を見せたあと

ニコリと微笑んでくれた。

「ああ、そうだね。

マネージャーのきみが

そう言うと、不思議と

そんな気がしてくるよ」

「それは光栄です」

客と短い会話を交わし、

ページボーイに案内を任せる。

その背を見送っている背後から、

「ニノ」と名前を呼ぶのは松本
さんだ。
「やっぱりニノじゃないと
サマにならないね。
一時はどうなることかと
思ったよ」
三か月も前の話を持ち出されて
しまった―――とはいえ、それも
無理はない。
あの時、一週間と申請しておき
ながら休暇を二日ほど延ばして
しまったのだから。

『根こそぎ奪う』と言った大野の

言葉に嘘はなかった。

六日間はほぼ監禁状態で、ベッド

からもほとんど出られない日々を

強いられた。

そのせいで最後は食事も喉を

通らないほど二日間寝込み、

大野の馴染みの医者……そう、

相葉くんにわざわざ別荘まで出張

してもらうはめになったのだ。

『呆れた……。

ヤりすぎて寝込むなんて

聞いたことないからね、俺』

熱の理由が理由なので相葉くんには

かなり呆れられてしまい、さすがの

俺も小さくなった。

ブツブツと小言を並べる一方で、

どこか嬉しさを隠しきれない様子の

相葉くんを見てしまえば尚更だ。

色々―――。

本当にいろんな意味で、我儘を

口にすることは二度と止めようと

考えさせられた。

「……すみません」

どこまで松本さんは知っている

のか、詮索してくることはしない。

確認する勇気もないのだが、

おそらく聞いてみたところで

松本さんはのらりくらりと適当に

かわすだろう。

「ニノがいなくて

寂しかったし、大変だった。

やっぱり俺にはフロントは

もう出来ないなあって、

つくづく思い知ったから」

まるで子供のような言い方をする

松本さんに、微笑んだ。

「松本さん……」

「だからこれからも

しっかり頼んだからね」

「はい、もちろんです」

「あ、ほら。

お客さまが見えた」

この機会に改めて礼をしたかったの

だが、アプローチに車が止まったので

お預けになってしまった。

でもまあ、いい。

いまでなくとも、これからいくらでも

機会はあるのだから―――。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*

『今夜はもうあがっていいよ。

明日は有給でもいいから』

六月十七日。

二十四時を回って早々、今日は

俺の二十八歳の誕生日ということで

気遣ってくれたのか、松本さんに

急かされるまま、いい気分で家路を

急ぐ。

月の雫まで乗りつけてきた車は

途中でコインパーキングに預けた。

傘も差さず、小走りでマンションに

向かう途中、昔の出来事を脳裏に

蘇らせる。

大野に声をかけられて拾われた、

あの夜から今日でちょうど、まる

十一年だ。

あの夜も雨が降っていた。

家を出たばかりで浮かれていて、

わざと水たまりに入って飛沫を

跳ねさせ、くるりと回って踊った。

♪ワン・ツー・スリー♪

「♪アン・ドゥ・トロウ♪」

懐かしさにおかしくなり、

くるりとその場で回る。

見知らぬ男について行くなど無謀

以外の何物でもなかったが、

いまから思えば、あの時の自分は

好奇心のほうが勝っていたのだろう。

きっと、それまで出来なかった

ことをしてみたかったのだ。

「♪ワン・ツー・スリー♪」

歩道の上でまたくるりとターンした

時、視線に気がついた。

「……なによ。

声かけてくれたらいいのに」

ばつの悪さに、唇を尖らせる。

前方に目をやると、マンションの

前に停まっていたベンツが去って

いくところだった。

ルームミラーで見ているに違いない

若い運転手に頭を下げる。

「楽しそうに見えたからな」

大野が双眸を細くした。

明らかに面白がられているのが判る。

十七歳の頃の出来事を再現した

あげく、それを当事者に見られる

なんて―――これほどみっともない

ことがあるだろうか。

「俺のことは気にせず

好きなだけ踊ればいい」

さらには、これだ。

「悪趣味だね」

わざと舌打ちをした。

『おまえ、頭が弱いのか?』

雨の中、くるくると踊る俺を見て、

大野はそう言った。

いつもなら腹を立てていたであろう

一言も、その時は全く気にならず、

かえって高揚した。

自分はもう昨日までの自分じゃない。

これまでの自分は捨てたんだ、と。

「智に下心があるなんて

知らなかったから。

俺、ついて行ったんだよ」

大野がもしロマンティストで多弁な

質だとしたら「下心じゃなくて

恋心だ」もしくは、「一目惚れだ」

などと、甘い言葉を語ってくれたの

だろうか。

そんな起こりもしないことを頭の

隅でぼんやり考えながら意趣返しの

つもりでそう言うと、大野が真後ろに

聳え立つ豪奢なマンションを一度

仰ぎ見て、こちらへと視線を戻した。

「まだ踊るつもりなら見ているが。

そうじゃないなら一緒に帰るか?」

「――――」

過去と現在が交差する。

『だったらウチに来るか?』

全てはあの一言から始まった。

あの瞬間、

あの出逢いで、

俺の人生は大きく変わった。

そして、いまは「来るか?」が

「帰るか?」になった。

その事実に、自分の過ごしてきた

月日が無意味ではなかったのだと

実感出来る。

大野も同じように思ってくれて

いたら嬉しい。

大野の傍まで駆けて行き、

スーツの腕を取った。

「帰ろうっ。

……ってそれ、何?」

ぐいと腕を引き、大野を急かした

ところで、反対側の手にぶら下がって

いた紙袋にいまさらながらに気がつく。

「ケーキだ。

おまえの誕生日だろう、和也」

「お、覚えててくれたの?

まさか、ケーキも智が…?」

「これは櫻井からだ。

誕生日だってならケーキくらい

用意しろってあいつが持たせた」

「…………」

『二宮さんの誕生日という

ことでしたらケーキの一つでも

用意して帰るべきです。

きっと喜んでくれますから』

きっとそんなことを言ってくれた

であろう、櫻井さんが目に浮かぶ。

さすがは大野のことを十二年間

一番近くでずっと支えてきた、

若頭補佐だ。

そして、やはり大野は大野だ。

大野が自ら用意した甘さまでは

ないにしても、今日が何の日

なのか俺が何も言わずとも覚えて

くれていたのだ。

そしてそれを櫻井さんに話して

くれていた。

そんな智でいい。

そんな智がいい―――。

「ありがとう、智。

俺、すごく嬉しい」

素直に礼を伝え、

引いた腕に自分のを絡める。

「機嫌がいいな」

これには、大きく頷いた。

「俺の人生、

案外バラ色なのかもね」

差し引きゼロどころか、充分すぎる

くらい満ち足りた日々だ。

隣には大野がいて、

大事な人たちに囲まれ、

これ以上望むことはない。

「バラ色、か」

ふっと大野が笑む。

穏やかなその横顔を前にして、

たったこの程度でときめく自分の

手軽さに呆れる一方で愛しくも

なってくる。

しぶとく十七歳の頃の初恋を叶えた

のだから、胸を張ってもいいはずだ。

「いい月だね」

大野の腕に手を添えたまま、

夜空を仰ぎ見る。

雲の切れ間から覗く下弦の月は、

ずっとそうだったように今夜も

柔らかな光を放っていた。

紫紺の絨毯に嵌め込まれた青白い

原石のように美しく、無数の針の

ように落ちてくる雨は、まさに

月の雫。

誰しもが持っている、胸の奥深くに

ついた傷痕を優しく癒してくれる

ようだ。

「……ああ」

大野も同じように仰ぎ見て頷く。

幸せだな、と思った。

心底惚れた男に惚れられ、

寄り添える人生はまさしく

バラ色で、幸福に満ちている。

はたから見れば特異な生き方で、

今後も平穏にはほど遠い日々が

っているのだとしても、自分
自身で選んだ人生だ。
悔いはない。

―――全部乗り越えてやる。

愛しい男の温もりを感じつつ、

夜空に浮かぶ月に誓った。

「魔王」、全69話で無事に

脱稿です。

ご愛読ありがとうございましたドキドキ

「あとがき」はまた明日にでも

綴りますおねがい

作品保護と自身の保護のためアメンバー

管理を随時行っています。

お手数ですが、お話を読んだあとはその都度

「いいね!」を残していただけるようお願い

します。

ご協力いただけないアメンバーさん、あまり

こちらに見えていないと私が感じたアメンバー 

さんは、整理対象者となることをご了承ください。

2万円で作る素敵脱稿

※BL妄想小説です

閲覧にご注意くださいね

月の雫には、

今夜も会員が足を運んでくる。

俺はいつもと同じ場所に立って、

顧客を笑顔で迎えた。

「堤様、

いらっしゃいませ」

「梅雨時期らしく、

あいにく今夜も雨だね」

「ええ。

けど……いい夜です」

確かに連日続く雨は、

少々鬱陶しくもある。

だが、夜空を見上げて小さく

ため息を零す客にそう言うと、

はっとした表情を見せたあと

ニコリと微笑んでくれた。

「ああ、そうだね。

マネージャーのきみが

そう言うと、不思議と

そんな気がしてくるよ」

「それは光栄です」

客と短い会話を交わし、

ページボーイに案内を任せる。

その背を見送っている背後から、

「ニノ」と名前を呼ぶのは松本
さんだ。
「やっぱりニノじゃないと
サマにならないね。
一時はどうなることかと
思ったよ」
三か月も前の話を持ち出されて
しまった―――とはいえ、それも
無理はない。
あの時、一週間と申請しておき
ながら休暇を二日ほど延ばして
しまったのだから。

『根こそぎ奪う』と言った大野の

言葉に嘘はなかった。

六日間はほぼ監禁状態で、ベッド

からもほとんど出られない日々を

強いられた。

そのせいで最後は食事も喉を

通らないほど二日間寝込み、

大野の馴染みの医者……そう、

相葉くんにわざわざ別荘まで出張

してもらうはめになったのだ。

『呆れた……。

ヤりすぎて寝込むなんて

聞いたことないからね、俺』

熱の理由が理由なので相葉くんには

かなり呆れられてしまい、さすがの

俺も小さくなった。

ブツブツと小言を並べる一方で、

どこか嬉しさを隠しきれない様子の

相葉くんを見てしまえば尚更だ。

色々―――。

本当にいろんな意味で、我儘を

口にすることは二度と止めようと

考えさせられた。

「……すみません」

どこまで松本さんは知っている

のか、詮索してくることはしない。

確認する勇気もないのだが、

おそらく聞いてみたところで

松本さんはのらりくらりと適当に

かわすだろう。

「ニノがいなくて

寂しかったし、大変だった。

やっぱり俺にはフロントは

もう出来ないなあって、

つくづく思い知ったから」

まるで子供のような言い方をする

松本さんに、微笑んだ。

「松本さん……」

「だからこれからも

しっかり頼んだからね」

「はい、もちろんです」

「あ、ほら。

お客さまが見えた」

この機会に改めて礼をしたかったの

だが、アプローチに車が止まったので

お預けになってしまった。

でもまあ、いい。

いまでなくとも、これからいくらでも

機会はあるのだから―――。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*

『今夜はもうあがっていいよ。

明日は有給でもいいから』

六月十七日。

二十四時を回って早々、今日は

俺の二十八歳の誕生日ということで

気遣ってくれたのか、松本さんに

急かされるまま、いい気分で家路を

急ぐ。

月の雫まで乗りつけてきた車は

途中でコインパーキングに預けた。

傘も差さず、小走りでマンションに

向かう途中、昔の出来事を脳裏に

蘇らせる。

大野に声をかけられて拾われた、

あの夜から今日でちょうど、まる

十一年だ。

あの夜も雨が降っていた。

家を出たばかりで浮かれていて、

わざと水たまりに入って飛沫を

跳ねさせ、くるりと回って踊った。

♪ワン・ツー・スリー♪

「♪アン・ドゥ・トロウ♪」

懐かしさにおかしくなり、

くるりとその場で回る。

見知らぬ男について行くなど無謀

以外の何物でもなかったが、

いまから思えば、あの時の自分は

好奇心のほうが勝っていたのだろう。

きっと、それまで出来なかった

ことをしてみたかったのだ。

「♪ワン・ツー・スリー♪」

歩道の上でまたくるりとターンした

時、視線に気がついた。

「……なによ。

声かけてくれたらいいのに」

ばつの悪さに、唇を尖らせる。

前方に目をやると、マンションの

前に停まっていたベンツが去って

いくところだった。

ルームミラーで見ているに違いない

若い運転手に頭を下げる。

「楽しそうに見えたからな」

大野が双眸を細くした。

明らかに面白がられているのが判る。

十七歳の頃の出来事を再現した

あげく、それを当事者に見られる

なんて―――これほどみっともない

ことがあるだろうか。

「俺のことは気にせず

好きなだけ踊ればいい」

さらには、これだ。

「悪趣味だね」

わざと舌打ちをした。

『おまえ、頭が弱いのか?』

雨の中、くるくると踊る俺を見て、

大野はそう言った。

いつもなら腹を立てていたであろう

一言も、その時は全く気にならず、

かえって高揚した。

自分はもう昨日までの自分じゃない。

これまでの自分は捨てたんだ、と。

「智に下心があるなんて

知らなかったから。

俺、ついて行ったんだよ」

大野がもしロマンティストで多弁な

質だとしたら「下心じゃなくて

恋心だ」もしくは、「一目惚れだ」

などと、甘い言葉を語ってくれたの

だろうか。

そんな起こりもしないことを頭の

隅でぼんやり考えながら意趣返しの

つもりでそう言うと、大野が真後ろに

聳え立つ豪奢なマンションを一度

仰ぎ見て、こちらへと視線を戻した。

「まだ踊るつもりなら見ているが。

そうじゃないなら一緒に帰るか?」

「――――」

過去と現在が交差する。

『だったらウチに来るか?』

全てはあの一言から始まった。

あの瞬間、

あの出逢いで、

俺の人生は大きく変わった。

そして、いまは「来るか?」が

「帰るか?」になった。

その事実に、自分の過ごしてきた

月日が無意味ではなかったのだと

実感出来る。

大野も同じように思ってくれて

いたら嬉しい。

大野の傍まで駆けて行き、

スーツの腕を取った。

「帰ろうっ。

……ってそれ、何?」

ぐいと腕を引き、大野を急かした

ところで、反対側の手にぶら下がって

いた紙袋にいまさらながらに気がつく。

「ケーキだ。

おまえの誕生日だろう、和也」

「お、覚えててくれたの?

まさか、ケーキも智が…?」

「これは櫻井からだ。

誕生日だってならケーキくらい

用意しろってあいつが持たせた」

「…………」

『二宮さんの誕生日という

ことでしたらケーキの一つでも

用意して帰るべきです。

きっと喜んでくれますから』

きっとそんなことを言ってくれた

であろう、櫻井さんが目に浮かぶ。

さすがは大野のことを十二年間

一番近くでずっと支えてきた、

若頭補佐だ。

そして、やはり大野は大野だ。

大野が自ら用意した甘さまでは

ないにしても、今日が何の日

なのか俺が何も言わずとも覚えて

くれていたのだ。

そしてそれを櫻井さんに話して

くれていた。

そんな智でいい。

そんな智がいい―――。

「ありがとう、智。

俺、すごく嬉しい」

素直に礼を伝え、

引いた腕に自分のを絡める。

「機嫌がいいな」

これには、大きく頷いた。

「俺の人生、

案外バラ色なのかもね」

差し引きゼロどころか、充分すぎる

くらい満ち足りた日々だ。

隣には大野がいて、

大事な人たちに囲まれ、

これ以上望むことはない。

「バラ色、か」

ふっと大野が笑む。

穏やかなその横顔を前にして、

たったこの程度でときめく自分の

手軽さに呆れる一方で愛しくも

なってくる。

しぶとく十七歳の頃の初恋を叶えた

のだから、胸を張ってもいいはずだ。

「いい月だね」

大野の腕に手を添えたまま、

夜空を仰ぎ見る。

雲の切れ間から覗く下弦の月は、

ずっとそうだったように今夜も

柔らかな光を放っていた。

紫紺の絨毯に嵌め込まれた青白い

原石のように美しく、無数の針の

ように落ちてくる雨は、まさに

月の雫。

誰しもが持っている、胸の奥深くに

ついた傷痕を優しく癒してくれる

ようだ。

「……ああ」

大野も同じように仰ぎ見て頷く。

幸せだな、と思った。

心底惚れた男に惚れられ、

寄り添える人生はまさしく

バラ色で、幸福に満ちている。

はたから見れば特異な生き方で、

今後も平穏にはほど遠い日々が

っているのだとしても、自分
自身で選んだ人生だ。
悔いはない。

―――全部乗り越えてやる。

愛しい男の温もりを感じつつ、

夜空に浮かぶ月に誓った。

「魔王」、全69話で無事に

脱稿です。

ご愛読ありがとうございましたドキドキ

「あとがき」はまた明日にでも

綴りますおねがい

作品保護と自身の保護のためアメンバー

管理を随時行っています。

お手数ですが、お話を読んだあとはその都度

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ご協力いただけないアメンバーさん、あまり

こちらに見えていないと私が感じたアメンバー 

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脱稿 関連ツイート

RT @jintoya_gg: #コエ蔵アンソロ
脱稿した!
よろしくお願いします〜💘 https://t.co/mMCb86teuK
RT @muto_shogo: 先日『3年A組』の脚本を脱稿いたしました。
久々の連ドラでしたが、何とか完走できました。
最後までもがくことを許していただけた環境に心から感謝しております。
おかけで納得のいく物語を紡ぐことができました。ありがとうございました。
残りあと2話とな…
脱稿するときっと綺麗な虹が見えますよ。
グリシャ…今日お前の息子が脱稿したぞ…

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