ブックマーカーが選ぶ超イカしたホームシック20選

ブックマーカーが選ぶ超イカしたホームシック20選

ホームシック らいよんチャンネル

自分がPMDDだと自覚し、

私がカナダ・モントリオールに

渡ったのは2008年9月のこと。

PMDDの症状の不安はありましたが、
現地に到着した時から、
私は様々な人に恵まれ、助けられ、
無事に住む家も見つかりました。

しかし、しばらく症状は落ち着きませんでした。

ルームメイトに病気のことを話すのに
抵抗はあったけど隠すわけにいかなかった。

現地では英訳した診断書で

SSRIをさらに購入していました。
あの時は本当に薬しか治らない
思っていました。
ただ、そのころから、
まず食生活が変化しはじめました。
ルームメイトがベジタリアンだったことで、
私もお肉を食べなくなっていきました。

一人分のお肉が買いにくいこと、

もともとあまり肉食ではなかったこと、
スーパーの肉売り場のにおいが強烈だった、
などから、肉食は案外楽に断てました。
そして数か月後には
完全にベジタリアンになっていました。
*ベジタリアンが最良の治療ということではなく、
あくまでも生活習慣が変化した一例です。

家族と離れたということ、

日本のしがらみから離れたということ。
寂しさやホームシックよりも、
解放感から症状は徐々に落ち着いていきました。

そして薬に疑問を持ち始めるようになり、

カナダに住み始めて2か月で自己判断で断薬しました。
*突然の断薬や減薬は症状の悪化につながることもあるため、
私のカウンセリングではおすすめしていません。
「薬では治らない」
と、感じはじめていたのです。
うつ病の薬を服用している方は
こう感じている方が多いと思います。
治らない気がしているけど飲んでいる、
そんな人が多いと思うのです。
日本はまだまだ医師の言うこと、
出す薬が最も信頼されるのが現実です。
その後うつ病の薬をやめて1年ほどは、
なんと症状がかなり落ち着き始めていました。

・一人になった

・しがらみのある家族との距離を持てた
・窮屈な日本の労働時間から抜け出せた
・カナダという国柄が自己表現に適していた
・様々なストレスの軽減
・新しい行動や出会いがあった
・菜食主義になった(栄養摂取の変化)
・よりタンパク質の摂取を心掛けていた
・糖質や脂質などの摂りかたに気を付けていた
・特にカナダはオメガ3の摂取に先駆けていた

これらの理由で、少しづつ体質が変わる

きっかけをつかみ始めていました。
特にベジタリアンになったことで、
より食に対する探究心が目覚め
様々な栄養学を独自に学んでいきました。

カナダ滞在中は、

アロマセラピー、メディカルハーブ、
ホメオパシー、ナチュロパスなどについても
広く学び、そしてヨガを始め、
それが自立神経系の安定、呼吸法による
パニック障害の軽減にもつながっていきました。
そしてこの1年間はほぼPMDDの症状が
出ていなかったのです。
ただ、本格的にを始めた
2009年11月頃から、実はPMDDの症状が
一気に再発したのです。
それはもう、マグマが噴出した
と言ってもいいくらいのものでした。
症状は日本で出ていた症状の数倍になり、
家族同然のルームメイトにも度々暴言が起き、
1人で何時間も泣き、仕事にも行けず、
自分でもどうしていいかわかりませんでした。

最終的には包丁を持ち出し、

自殺未遂を起こす寸前までいき、
救急車と警察を呼ばれ、
一晩精神病棟でたった一人
夜を明かしたこともありました。

その時は、またあの悪夢がよみがえり、

治ってなかったという不安が込み上げ、
異国の地で孤独で、悲しく、
本当に苦しい思いをしました。

そして最終的には私の症状に怯え、

手に追えないと判断したルームメイトに、
退院後3日以内に出ていくように言われました。

カナダのビザが切れる3週間前でした。

カナダを出国する準備を進める中、
それまで培っていたヨガをあきらめられず、
直感的にヨガをやめてはいけないと感じました。
日本に帰る前に、どうせ帰るなら
その前にIshaヨガのプログラムを受けようと、
アメリカ・テネシー州にあるアシュラムに半年、
そして2011年にはインドに半年滞在して、
ヨガをさらに深める修練に入りました。

インドでも、アーユルヴェーダを始め、

シッダ・メディスンなどの古代からつづく
療法に触れることができました。

そして日本に帰ってきた2011年9月には、

PMDDの症状は消失し、
それ以降あのような苦しい症状は今まで出ていません。

カナダ・アメリカ・インドにおいて

様々な代替療法を学び、
日本に帰ってきてからは、
そのメソッドをさらに確立する道に入りました。
栄養素・自律神経(ヨガ・運動)・ストレス
これらがPMDDを改善していく上で
すごく大切な要素であることに気づきました。
なぜヨガをはじめて症状が悪化したのか。
これは好転反応の一つですが、詳しくは次回!

につづく

森井恵子のラジオ!

PMSやPMDDのお役立ち情報を発信していますひらめき電球

ホームシック からだ・くらし・すこやかに

ずっと書きたいと思っていた出産記録の記事。
ようやく書く気になったので。
一年前の記録です。
高血圧合併妊娠の私が、臨月を迎える頃の話。
高血圧妊婦の事は前に少し書いていたけど〉
今回は時系列で。
の続き
インフル明けに北斎展に行ってしまったアホ妊婦。
その翌週の検診で。
血圧高すぎて、管理入院を言い渡されました。
この時の血圧、上が160超えたんですよね。
先生にそれ言った途端に、
「160?即入院です。」
って。
きっぱり言われました。
ただでさえ、高い血圧気をつけろと言われ続けていたので、
私も160超え見たときはやばい気がしていました。
前々から、
陣痛来る前に入院するかもって先生からは言われていました。
計画分娩の可能性が非常に高かったわけで。
でも、
正直、こんな早く?って感じでした。
予定日が2月13日だったから、せいぜい管理入院も2月頃だろうとタカをくくっていたのです。
その時点で週数は36週だったし、
まぁ、早いわけではないけど。
臨月何しようかなとか、
帰省の準備しよーとか、
考えていた矢先だったので、
唐突に感じたのでした。
旦那と、今日は、
美味しいものを。
子供が産まれたらしばらく行けないお店に行こう!と言って、
悩みに悩んで産前最後の晩餐の店を決めました。
行きつけのビストロで美味し〜い料理を食べ、翌日入院した。
(で記事にしていました)
入院先は検診から通っていた国立成育医療センター。
言わずと知れたハイリスク妊婦安心の大病院。
人生で初めての入院。
旅行ではどんな布団でもベッドでも寝れる私ですが、病院のベッドは初めて。
大丈夫かな?怖くないかな?と不安でした。
部屋は大部屋で4人入る部屋。
他は分からないけど、私は大部屋でも全然大丈夫でした。
そこそこ広さがあるし、カーテン閉めても閉塞感は無く過ごせました。
引き出しとか棚も色々入るし、
コンセントは個室じゃないと使えないけど、
充電器あればスマホは使えるし。
トイレと洗面は部屋の横で共用だけど、綺麗だったし。
入院って構えてたけど、適度に快適でした。私は。
入院中は雪も降りました。
成育の中からもわかるくらいの積雪で、
すぐそばの職場が窓からは見えていて、少し心配になったり。
面会に来てくれる旦那が車出せるのかなって心配してました。
他の日はよく晴れていて、
部屋からは富士山が綺麗に見えた。
成育があるのは、古くから景勝地だった多摩川沿い国分寺崖線の上。
この周辺には「富士見坂」とか、富士山を意識した邸宅とかもある。
特に成育の病棟は急坂の縁に階層がある建物ですので、
富士山が綺麗に見える部屋があります。
入院中この景色に何度元気付けられたか。
私にとっては職場に近く、
慣れた景色だったこともあり、
入院中でもさほどホームシックにならずに済みました。
そしてこの頃に
妊娠後期で行ける最後のマタニティクラスがあって、
旦那も連れ添うって事で外出を許可してくれました。
このクラスの最後に、
『私があなたを選びました』の動画を見るのよね。
まぁ、泣くよね。
周りからもすすり泣く声が聞こえてきて。
成育って、ハイリスク妊婦さんばかりで、
周りの人達も何らかのリスク抱えていたんだろうと思う。

みんな、みんな無事に産めるようにと、この時思っていた。
病棟の建物から出たのはこの時だけ。
連日規則正しく生活してたので、気持ちは比較的安定していた。
入院中は毎日6時前に起きて、
白湯を飲むためにコミュニティスペースに行き、朝焼け見てた。
7時にご飯だから、その前に血圧測定があった。
食べ終わってから、歯を磨いたりしてると大体先生の回診があって。
12時頃に昼食をとり、13時の面会開始頃に旦那が来て小1時間いてくれる。
旦那が帰った後、大体15時頃に昼寝をしていたかな。
午前も午後も空いた時間には、

シャワー浴びたり、NST(ノンストレステスト)したりで過ごしていた。
夕食を18時頃に食べて、
20時頃に夜勤の看護師さんに血圧とか測ってもらい、
21時消灯だったかな。
減塩食だったけど、上げ膳据え膳の有難さは身に染みた。
私が入った病棟は、短期の人の病棟のようで、
出産直前直後の人が結構いました。
出産して落ち着くとまた違う病棟に移るし、
長い管理入院の場合なんかにはまたそれも違う病棟らしい。
だから大部屋も入れ替わりが結構あって。 

最初は病室に3人だった。 
向かいの方は1週間くらい?は同じ部屋だった。
違う病棟でかなり長い間管理入院されていたみたい。
点滴もしてたようで、会えばご挨拶はしたけど、お話は特にせず。
でもすごく静かで、穏やかな方でした。
他は入れ替わり立ち替わりって感じでした。
向かいの人が産気づいて部屋を移り、私が病室に1人になった頃。
看護師さんに、
シャワーしかないからお風呂が恋しいって話をしたら、
足浴させてくださって。
すごく気持ちよかった。
アロマも入れてくれて。
これが出産前最後にリラックス出来た時間でした。
で、その後破水で入院された方がいて、
結構夜中に入院し、翌日ご挨拶にいらした。
律儀な方だなと思いました。
この方に先生が話しているのが聞こえてしまったのですが、
「長時間陣痛したのに結局帝王切開というのは、僕はすすめないです…」
というくだり。誘発や促進剤使うかどうか、破水したのに陣痛が来ない場合の対処についてお話していたようです。
翌日、2方入られて満床に。
いずれも無痛分娩の計画入院の様で、昼間に余裕を持って入室していました。
 確か、これが金曜日。
私は管理入院中に、やりたい事を二つ病室に持ち込んでいて。
一つは、研究関連の寄贈本をなかなかじっくり読めずにいたのを、
読んで筆者の方にお手紙を書く事。
もう一つは、論文の書き直し。

者は何とかこの頃に手紙を書き終えて、
翌日面会に来た旦那に手紙の投函をお願いして終了しました。
ずっとやりたくても出来なかった事が一つ片付いてホッとした気がします。
後者は全くできずに終わりました。
日々の入院生活で唯一楽しみだったのが、
NST(ノンストレステスト)、赤ちゃんの心拍数見るやつです。
元気に動いているのは胎動で分かるけど、
心臓の音聞けるとすごく安心したなぁ。
産む直前のこの頃は、
時間だけがたくさんありすぎて、
人生やり残した事がないかって、
よく考えていました。
なんででしょうかね?
死期というか、自分の人生の長さについて考えていたのでした。

ホームシックで女の子らしく

さて読者の方々からから個人的に頂くメッセージには、やはりEU離脱に関するニュースを私の周囲の地元民はどのように話しているのか記事にして欲しいという内容と要望が多い。
否決されたから余計であると思われる。

実際、2年前はあんなに騒ぎたて、大型スーパーの前で「移民は出て行け!移民から仕事を取り戻せ!自国民で自活できる国に戻るのだー!!」などと燃え、歩いていたら後方から白いバン(こちらでは白いバンに乗っている人達は、電気屋、大工、ペンキ屋、窓屋・・などの職人さんが使う車と言われる)から「国に帰れー!」と叫ばれた日本人もいる中で、実際問題あれから2年間そんな話題も職場で出る事もない。
あの時は「外国人が仕事を取りやがる」という意見を言う賛成派もいたが、そんな空気があった事さえ嘘の様である。

あの時、離脱に反対した人も賛成した人も私の周囲にはいた。
例えば義母は反対したが、義母の友人は全員が賛成派、義母の妹夫婦も断然賛成派であった。
「外国人がいなかった頃のイギリスに戻りたい、ただそれだけの事。そう願う事が何故悪い?」と義母と義母の親友は口論になったのを目の前で見た。
それを見ていた時、私は「ああ、この人達は関税や貿易、物価が上昇するなどの心配など微塵も想像せず、予想もしていない、もしやそれは知らないのでは?いや、まさかな・・そんな浅い考えで1つの理想だけを追い求め、賛成に投票するだろうか・・」と考えた。

義母の友人らの意見でいうならば、彼女達は決して外国人から仕事を取られているとは感じていないと言っていた。
なぜなら、義母の友人らの両親が入居している老人ホームにおいて、3Kの仕事をしてくれているのが外国人であるから、「あの人達がいなければ困る」という理解はあったのである。
そう思うと、もしかしてそこまで深くどう変化するかを考えていなかった、知らなかった、ヨーロッパからの人材は減るはずもないとプラス思考で捉えていたのか、もしくは物価が上昇してもお金があるから大丈夫、私達は・・という考えだったのかとも取れる。

私の日本人の知人で英国人男性と結婚した人さえ、離脱に賛成していた人もいる。
「自給自足で英国を強くしていけばよい、夫がそう言うから、なるほどそうだなと思う」と言っていた。

私のようにこんな僻地に住んでいて、毎日毎日ホームシックでその虚しい心を満たしてくれるつもりにしてくれるのが食べ物である。
イギリスのスーパーには美味い喰いもんが売っていないので、たまに行くドイツ系スーパーで見つけるフランスやスペイン、ドイツ食材を格安で喰うのがささやかな楽しみの私にとっては、あのスーパーの商品が今後は破格な高額商品になるのか!!と思うだけで楽しみを90%取られた思いになるのである。
ヤメテけれ・・ワシの楽しみなんや・・

何度もいうが、外国人が仕事を取ってるんやない。
採用される人間だから仕事をもらっている、ただそれだけの事である。

2年前のあの選挙の時、私は国民が本当に深く考え投票した人の数よりも、そうでなかった、または「離脱」の本当の意味を知らなかった人が多かったんじゃないかと感じている。
今後の動きがどうなれ、話題には事欠かないイギリスである事には違いない。


ホームシック 関連ツイート

どんな形であれ、意識できるだけで、幸せなんだよね。

また会える事を楽しみにしよう。

既に、ホームシックだけど:( ;´꒳`;):ww

僕は家で「やっぱ家はいいなあ〜」とホームシックになってたんです。はい、家で。
RT @SG4_YUUKI: 平日の早い時間なのに
来てくださったみなさん
有難うございました!🙇‍♀️💕

トークどうでした🤔?
私達の事知ってもらえたかな?

終わってから買い物をして
上京したての頃1人でよく来ていたご飯屋さんに1人で来て都会眺めてます!笑
最近ホームシッ…

@2kyiiin8 早々にホームシックになりそうw

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