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南山城村というと京都府で唯一の村で、
最近、あの有名?なコロコロチキチキペッパーズのナダル
の実家のある村のことです。
私は知らなかったのですが、今年から修理のために時々
行っている生家の話を自宅(大阪門真)で息子にすると、
「ナダルって南山城村の出身らしいよ」という。
ネットをググると
wikiにはコロコロチキチキペッパーズは、
よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本部
(東京吉本)所属のお笑いコンビ…とある。
けっこう人気者なんですね。
南山城村は月ヶ瀬梅林と高山ダムで知る人ぞ知るという土地柄
で、人口は少ない割に広いんですよね。
だからナダル君が村のどのへん出身かは今の私には分かりません。
(元の南大河原村、北大河原村、野殿村、童仙房村)
・(元の田山村、高尾村)が合併し、南山城村が誕生。
人口密度の高い月ヶ瀬ニュータウンは北大河原でJR関西本線の
月ケ瀬口に近く、最近は道の駅も出来て賑わっているようです。
現在の手仲村長や元村長の南山さんは昔からの知り合いだし、
田山出身の村長はほとんど知りあいです。
だから、私が変な宗教に入っていたことは村中に知られていた
ことでしょう。(もうほぼ45年も経ちます)
初代の山仲 清五郎さんは私の遠い親戚でした。清五郎さんの
奥さんの小言を聞いた事があります。「うちの人は自分の家の事は
ほったらかしにして村の事ばかりに力をいれている」・・・と。
当時、山仲村長の息子が京都の山科のほうに土地を買ったそうや
と噂を聞いたが、その後、土地が値上がりし、結婚式場・ボーリング場
・ゴルフの練習場・娯楽施設パチンコなどを経営し大きくなった。
私の祖父は先の戦争で弾があたり右手を負傷した傷痍軍人でした。
生涯、右手が回らず顔を洗う時や食事の時は変なしぐさだった
ことが思い出されます。
戦争が終わってから山仲清五郎さんの経営する石材店の
棟梁をしていました。あるとき祖父は議員か村長かに立候補したのに、
父(養子だった)は共産党の立候補者の応援に行ったそうです。
だから父と祖父は犬猿の仲でした。それで祖母は私に
「跡継ぎは△△(父)じゃなくて長男の〇〇ちゃん(私)やから
しっかりしてな」といつも口癖のように言ってました。
幼い頃から、父は私に「勉強せよ、勉強せよ」といつも強要したので
私は大の勉強嫌いになってしまいました。母に似たのか
記憶力が乏しくやる気が出てこないのです。魚釣りと物作りは
大好きで、祖父に魚や鳥の獲り方を教えてもらって真似ていました。
祖母はお豆腐やをこなしながら農作業もし、色々教えてくれました。
その後、私は村にある笠置中学校高山分校に行き、姉は
奈良市内にある育英高校に通っていました。国鉄の奈良保線区が
勤務先だった父は学歴を重視し、私と姉の教育に熱心でした。
高校は加藤一二三さんが卒業したという木津高校でした。
初めは生家から木津高校に通っていましたが、父の転勤を折に
私と姉の3人だけJR奈良線の玉水駅沿いの国鉄官舎に
引っ越したのでした。
その玉水で私はキリスト教を知ることになったのでした。
話がそれてしまったので元に戻します。
私が生家の修理に行っているのは趣味でもありますが暇つぶしと
いえるかもしれません。自然に触れあえるというのもあります。
それに春は山菜がいっぱいあってなぜか心地よいんです。
でも南山城村の生家に住まない住めないのは大きく言って
二つあります。一つは人間関係でもう一つは家内の意向です。
家内は今もウツ病で慣れた枚方香里園のとあるクリニック
にしか行かないと言い、田舎には住みたくないそうだ。
現実に田舎だけではなく遠方や海外に行けるほど健康体
ではなくなっている老いた夫婦になっちまったから
というのもあるんだけどね・・・
それに今住んでいる門真の自宅は三階建てで敷地面積が
とっても狭いけど台所兼居間も寝室も風呂もトイレも近くに
あるので便利なんですよね。コンビニも近いし・・・・・
人間関係というのは何も喧嘩しているわけではないんだけど
「信教の自由」と「伝統・慣習など」のバランスが難しくて、
私のように宗教の世界で思考してきた人間にとっては
やっかいな問題なのです。
田山区には花踊り保存会というのがあって秋に諏訪神社で
実りを感謝して花踊りを奉納するという伝統文化らしい。
私が聞いた話の中には諏訪神社を建て替えた時、田山の
天理教にも寄進してもらったという。信教の自由はないんか!!
それとも忖度しあってる??
諏訪神社の隣りに観音寺というのがあって、そこが村民の墓地にもなっている。
私は墓地も葬式も戒名もいらないという考えなのだが、息子夫婦が
「お墓参りをしたい」と言うので「わざわざ遠い所へお墓参りにいかなくてもいいよ、
心で感謝しとけばいいよ」と言った。「千の風になって」の歌詞を思い出しながら。
それでも「場所だけ教えてくれる?」と言うので場所を教えた。
私の家の墓石は祖父が最後でそれ以降、墓石は作っていなかったが、
息子夫婦が健気に墓参りしたいと言ったことに報いてあげたいと思い、石材店に
墓石と父の戒名と名前等を刻んでくれるよう注文した。
私はコーナンで墓石の下に敷く白い玉石や御影石を買って
自分で墓石を自分ちの墓地に建てようと試みた。ある時、そこの住職に
偶然会った。法事や葬式で何度か会って話したこともある。
住職は言った「お墓どうするの?無縁仏にするの?」と。
< p>『十字架の墓建てたいんやけど』と言ってみたかったけど
無駄だろうからやめた。
以前、その住職に聞いたことがあった。「死後の世界はあるとお考えでしょうか」
住職は言った。「あると考えたほうが安らかに死んで行けるんとちがいますかね
本当はないと思いますけど」
墓石を建てる話をすると魂入れの話になり、お経が必要で、お布施は
村の誰それに聞いてくれという。「そうなんですか」といって別れたが
それ以来、お墓を建てる気持ちは完全に萎えてしまった。
村に雇われた住職なのか、はたまた忖度しあっているのか?
それで自分の信念を貫こうと決心した私は最愛の母の葬式を
小さなお葬式にしたのだった。直葬ともいい、私の兄弟の了解をとり
住職も呼ばず親戚にも知らせず姉と弟など身内の者だけに
集まってもらって火葬場に見送ってもらうことにしたのだった。
「服装も普段着のままでいいし、香典もいらない」と言っておいた。
「家内が鬱病だから何もできない」という口実があったから、
かえってトラブルもなく良かったとも言える。
正直いうと、田舎の派手な葬式は喪家にとっては大変ではあるが
経験から、金銭的には支出より収入の方が多かったと思うのです。
でもね、男性は適当に酒を飲んで時間を費やしてればいいのですが
女性は食事の世話などで大変なのです。それに葬儀のある度に
時間を拘束され、信教の自由を無視したお経を正座して聞く
なんて、拷問以外のなにものでもありません。
バレーボール選手だった川合 俊一さんは生まれてこのかた
正座を一度もしたことが無い、と言ってましたよね。
彼は自由が許される環境だったんですかね。
自分がいいと思った事をしないと後悔だけが残るからね。
日本は何を信じても、信じなくても自由な国だからね。
なんか、だらだらと長くなってしまったけど
ここまで読んで下さって本当にありがとうございます。
ワ━ヽ(*´Д`*)ノ━ィ!!!!
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勇気というか、、、怖いわw
が面白すぎて寝れない🤣
ナダルさん面白すぎる🤣