一郎でお得にお買物

いまどきの一郎事情

1/5(土)大潮
2019年、初釣りに行って参りましたっチョキ

(長文お許しを〜)
昨年、釣り納めで行こうと思ってたフグ釣行は親戚のご不幸の関係でお流れ〜ショボーン
で、初釣りはフグと決めていましたしグッ
大好きなフグ釣り〜ラブラブ
昨年最も釣り回数が多かったフグ釣りに照れ
という事でいつものお宿へ

4時半チョイ過ぎに着くと
両艫から2つづつ取られてるだけで迷わず右舷のミヨシをゲットんチョキ

果たしてこの釣座で釣れるんか?
5時になり船長達もご出勤で新年のご挨拶を交わす。
フグ船長から最近の状況などを聞きながらマッタリ〜
結局、右舷、左舷共6人づつで狙うは大貫&竹岡沖へ〜

(両端のタチウオ&アジリレーは大人気の2隻出し〜満船でした)

昨日は夜中に吹いた南西の強風で、次第に凪てくる予報は出ているものの朝の内は海悪くてガーン
大丈夫なのか自分アセアセ
海も悪く、ポイントに着くまでドンブラコ、ドンブラコ状態でゆっくりの操船でしたガーンガーン
(ポイントに着くまでに既に半?船酔い状態ガーン )

良い反応でも出てたのか?直ぐに『どうぞ、やってください〜』

10時半頃が下げの潮止まりだったと思い、錘を軽〜い6号でスタートしたら、かなり下げ潮効いていて底立ちが取れない訳では無いが、錘が安定して無い様だったので即10号へ
次投は錘も安定して
当たる〜当たる〜バンバンと〜ラブラブ

2019年、ファーストフグだすラブ

時間は7時56分。気持ち悪かったけど、しっかりカメラ      
次投も〜グッ
3投目も〜チョキ
と思ったらアカメフグとショウサイフグの一荷〜ルンルン
気持ち悪い〜なんて言ってられないくらいバンバンアタリが出てます〜(笑)
新年早々、船長、良いポイント当てちゃったのかも〜ラブラブ
少ししたら1回目の潮回り〜
この時、既に気持ち悪さマックス状態でぇ〜ガーンえーんショボーン
オェッゲッソリ
ウェッゲッソリ
オェッゲッソリ
早速アネロン服用だす(激爆)
マヂ最近やたら船酔いする回数が多い様なガーン
以前はこれ程では無かったかもびっくり
潮回りもチョイとで、直ぐに投入の合図が
すると、またまたアタリがバンバンと

ツ抜けしたのは画像の記録で8時41分照れ

フグ釣り、こんなに楽しいのは久々やねんグッ
まるで秋の寄りフグシーズンを思わせる位の釣れっぷり〜照れ
手返し重視でバンバン釣りまくります〜グッ

Wツ抜けは9時2分〜チョキ

20匹目は一荷だったので実際は21匹目ですかね。
20分位で10匹釣れるハイペース〜ルンルン
フグ釣りメッチャ楽しいやんけ〜〜(笑)
このペースで行ったら50匹位釣れちゃうん?
なぁ〜んて思ってたらアタリもパタッと止まり
朝の勢い何処へやらびっくり
たま〜に釣れるかな?といった状況にアセアセ
潮止まりは10半だったかな
ここまでで26匹〜
外道のアタリも殆ど無くアタリが出ないと餌も齧られずショボーン
上げ潮が効くまで我慢だす。
結局、潮止まり後から昼までノーフィッシュえーん
大分凪て来て体調も復活だす。
恐るべしアネロン(笑)
船は西を向き、多少艫寄りに潮が効き始めたのか?
昼過ぎになり急にアタリが出始め〜からの3連発〜ラブ
で、29匹。あと1匹は釣りたい〜
なぁ〜んて思ってたら………
その頃、艫2番の方がバンバンとぉ〜ガーン
やりまくり状態でぇ〜ガーン
気が付いたら10連発位やっちゃってましたガーンガーンガーン
ミヨシ方面ではその頃、餌も全く取られず状態で
釣れてるのは艫寄りの方々ばかり
隣の方とも『餌が全く取られませんねぇ〜』とえーん
何なんだ?この違いはアセアセ
あと1匹〜あと1匹〜と思いながら誘うも餌を齧られたという形跡も無しショボーン
船長から『2時40分に揚がりますから〜』のアナウンス
何とか、あと1匹は釣りたい〜
と思って誘ってると〜
ゴンゴンの引き〜上矢印
これはもしかして〜?
なぁ〜んて思ってたらベラだったりで(激爆)
少ししたら、久々にアタリが出て
本命のショウサイフグ〜ルンルン
記念すべき30匹目は納竿7分前〜グッ
しかし、1匹が遠い、遠い30匹目でしたラブ
29匹と30匹は気分的に違いますから最後の1匹はメチャメチャ嬉しかったぁ〜ルンルン
それにしても昼から艫寄りでバンバン釣れたのは潮流れの関係?それともスポット的に魚が居たのか?潮もそれ程艫寄り有利って感じでは無かった様なびっくり
完全に艫2番の方に捲られ(36匹釣られてました)30匹は2番手の銀メダルで終わりましたショボーン
因みに3番手は22匹だった様でした。

朝の勢いだっら………
新年早々、竿頭になれたら、作って頂いた穂先を口に咥え、フグの被り物をし、竿頭ステッカーを持ち

なぁ〜んて頭の中で思っておりましたがぁ………
叶わず残念えーん

結果、2着の銀メダルえーん
またまた竿頭が遠い、遠い2019年、初釣りフグ釣行でしたアセアセ
港に着き、その方にお声を掛けると、逆に『ブログやられてますよねぇ〜』と言われて(笑)
初めて一郎丸に乗られたとかで、来る前にネットで検索して、ブログを見られた様でして

朝、クーラーで気が付いたと仰って頂き、色々お話をさせて頂きました照れ


福を求めてのフグ釣行、数は30匹(リリース2匹を含む)で充分満足なんですがぁ
釣れない時間帯が長過ぎて内容がイマイチかなアセアセ


とりあえず今回フグが沢山釣れたので色々な料理で堪能したいと思いますわ

左がアカメフグ。右がショウサイフグだす。
先ずはフグの昆布締めからですかね〜グッ
楽しみです照れ

帰りに港で初物ワカメを千円分購入

フグ釣りに行ったにも関わらず夕飯はタチウオのムニエルとワカメのしゃぶしゃぶという(爆) 

初物のワカメをしゃぶしゃぶ〜チョキ
ヘルシーだけど美味かったよぉ〜ニコニコ
途中、横須賀PAに寄り、間口からアマダイ仕立てに行った友達とおちあい、帰るのも遅かったという事も有ったんですがね。
ワカメを少し差し上げたら、『アマダイの外道で釣れたトラフグ持って行く? 』って言われたけど捌くの面倒だからお断りました(爆笑)
その釣り友、フグを初めて捌くとかで『初やし〜、やっぱ怖え』って(笑)、果たして捌けてビビらないで食べれたのだろうか ?(爆笑) 




最後まで長文お読み頂き誠にありがとうございましたニコニコ

拙いブログですが今年もヨロシクお付き合い頂ければなぁ〜と。。。


ではバイバイ

今話題の一郎本格情報

前記事では、明治政府による神仏判然令の影響についてザックリとみてきました。

神と仏が混在し、共存していたものを分けてしまった結果、廃仏毀釈も発生して、大量に廃寺が生じた地域もあります。

しかし、寺院が激減してしまった地域でも「先祖供養」、「墓参」の習慣はなくなることはありませんでした。

神仏判然令が出るまでは、神と仏が渾然一体とした形で祀られていました。

明治から第二次世界大戦に至るまでの神社と寺院の分離、そして国家神道化への道は、日本の霊的伝統をズタズタに切り裂き、宗教的心性の貧困をもたらしたと私どもは考えています。

さらに、第二次世界大戦の敗戦後はアメリカから大きな文化的影響を受け、日本の伝統的霊性は急速に萎びていった歴史があります。

それでも、いまだにお正月に初詣をする人は(動機が何であれ)多数派ですし、初日の出を見て手を合わせる人も大勢います。

私たちも自覚はしていないだけで、その深層意識の中に古来より受け継がれてきた霊性意識のかけらは持っているのだろうと思います。

その霊性のかけらとはどのようなものでしょうか。

HPのディレクトリ構造が複雑でたどり着きにくいのですが、ここには智山伝法院という研究機関があり、「現代密教」という研究誌をPDFで読むことができます。

その一編に「大日とデウス」という論文があります。

山本匠一郎 2011 「大日とデウス」 現代密教,第22号,Pp.261-299.

興味深いのは、16世紀のキリスト教宣教師が、当時の日本人の信仰、霊性について細かく観察していて、彼らの宗教との違いを克明に記録していることです。

は、1549年に日本に初めてキリスト教をもたらした人物としてよく知られています。

彼はそのなかで日本人を非常に高く評価しています。

「日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉 を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。」(上記論文より引用)

当時のイエズス会は「世界宣教」をミッションとして、西洋文化と宗教をセットにして浸透させようと試みたわけで、異教徒達をキリスト教に改宗させることを目標に掲げていました。

そこで、宣教師達はあらかじめ布教先に住む人々の信仰や霊性についてつぶさに観察し、その「間違い」を正した上で、キリスト教の教理を説いていくという手順を踏みました。

その結果、仏教とキリスト教との対立が生じ、僧侶達はキリスト教の宣教師達に向けて敵愾心を燃やすことになりました。

宣教師の仏教批判は周到かつ執拗で、教理・実践の両面はむろん、仏僧の生活慣習といった諸側面にわたっており、仏僧の男色傾向や稚児愛、尼僧の堕胎等、さまざまな弊風を暴きだしている。(上記論文より引用)

それを大きな罪だと批判材料にも使ったのです。

ただ、最初にザビエルがやらかした失敗は、ラテン語のを「大日」と翻訳してしまったことです。

来日当初、ザビエルが「大日を拝みなさい」と呼びかけると、日本の僧侶たちは仏教の一派だと思い歓迎したと伝わっています。

しかし、大日と言えば、仏教の大日如来ということになり、すぐのちにそれは大変な誤訳であるということが分かって、「大日」の訳語は完全に否定され、ただ「デウス」と音訳されることになりました。

そこで、今度は「大日を拝んではなりません。デウスを拝みなさい」とザビエルたちが急に言い出したため、僧侶たちも驚いたと言われています。

元々、日本の<カミ>という語は、西洋のGod, Deityの概念に見られるように、超越的、人格的(人称的)な性質をもっていません。

日本人のいう<カミ>は、山川草木などの自然物を、そのまま神として崇拝したのではなく、そうした自然物に宿る神霊を崇拝するアニミズムでした。

そういう心性が根本にある国に「デウス」という唯一神を持ち込もうとしたのですから、これは結構難易度の高いミッションだったと思います。

さて、山本氏によれば、ザビエルが見た日本人の霊性は以下の通りにまとめられます。

(1) 世界万物の創造主という観念をもたない

(2) 太陽や月を神として信仰している

(3) 霊魂は肉体から離れた後は存在しない

(4) 理性的な霊魂と感覚的な霊魂とを区別しない

(5) 自然現象に関して強い好奇心を示す

(6) 各自がそれぞれの宗旨(儒教・仏教諸派・神道)をゆるやかに受容している

(7) 先祖崇拝を行っていること

天地開闢という概念は日本にありますが、天地がどのように創造されたのかという点について、記紀神話は詳しくは描写していません。

古事記では、世界の最初に、高天原に相次いで三柱の神(造化三神)が生まれたとされます。

・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

・神産巣日神(かみむすひのかみ)

日本書紀では、太古、天地は分かれておらず、互いに混ざり合って混沌=カオス化していたとされます。

その混沌の中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となりました。

それから、神が生まれるという順序をとります(これ
が西洋人にはテキトーに見えたのでしょう)。

いずれにしても、創造主という概念がなかったのが日本神話の特徴でもあります。

「太陽や月を神として信仰している」というのは、今でも太陽や月に関する自然神を礼拝する心性が残っています。

昇る朝日に手を合わせる、月見の風習もその名残です。

「霊魂は肉体から離れた後は存在しない」というのは、当時の禅僧が主張した内容をザビエルが記録していたものです。

「人の霊魂は動物の魂のように滅亡する」と言いつつ、地獄と極楽の存在を説く僧侶の言説のブレ方をザビエルは批判しています。

基本的に禅宗は肉体と精神とは同一のものと考え、区別しません。

霊魂の存在を認めると生と死に関する深い執着が発生するため、仏道成就を阻害するとされるので、霊魂を否定するのです。

「理性的な霊魂と感覚的な霊魂とを区別しない」というのは、キリスト教では人間の霊魂と動物のそれとを厳密に区別する教理から来ているもので、これが現代にも受け継がれている西欧思想の根底にある人間中心主義の元です。

仏教的な世界観では「生きとし生けるもの」というくくり方をするため、人間の霊魂と動物のそれを区別する発想はなかったわけです。

「自然現象に関して強い好奇心を示す」というくだりは、当時の自然科学の最新知識が宣教師達によってもたらされ、その話を聞いた日本人がたいそう興味を持ったという逸話から来ています。

なにぶん、当時の日本人は地球が丸いことも知らない状況でした。その点はキリスト教の布教活動の助けになったとも言います。

「各自がそれぞれの宗旨(儒教・仏教諸派・神道)をゆるやかに受容している」というのは、もう説明の余地もないことですが、当時の日本人が他の宗教に対して寛容であった、主な宗教が混在し、共存していたことの証でもあります。

今も昔も宗教的なことをあまり意識せずにユルいのは変わっていません。

そのユルさが長所にもなり、短所にもなります。

「先祖崇拝を行っていること」というのも日本的な霊性の核心の一つです。

と仏教が習合することで、仏教が広まっていったことは当ブログでも過去記事で取り上げています。

ただ、ザビエルが、キリスト教の福音を聞くことによって天国へ昇り、信じない者は地獄へ墜ちることを説くと、日本人は「キリスト教を知らずに死んでいった先祖たちはどうなるのか」と尋ね、ザビエルがそれに応答して「みな地獄で苦しみを受けており救済されることが決してない」と答えると、キリスト教に改宗した日本人信徒たちは涙を流して深く悲しんだといいます。

信じる者だけが救われるというか、逆を言えば異教を信じていた先祖が地獄に墜ちて絶対に救済されないという教えは、いささか狭量過ぎはしないかと感じさせる逸話です。

でも、これがキリスト教の戦略だったのです。

16世紀は日本が西洋と直接遭遇したおそらく最初の時代です。

西洋人から見れば、極東の島国に住む異教徒はさぞ奇異に映ったことでしょう。

その後、日本において政策としてキリスト教への弾圧が始まるのは1612年の禁教令からであり、明治初期まで続きました。

その間もキリスト教が完全に日本から駆逐されたわけではなく、隠れキリシタンやによって江戸時代を生き抜いた人々もいたわけです。

江戸時代のキリシタン弾圧については遠藤周作の「沈黙」にも描かれています。

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それを映画化した作品も一見の価値があります。

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その後、日本ではキリスト教が多数派となることはなく、依然として何となく神仏の存在は信じるという傾向は続いています。

しかし、今後、日本も移民の国になることが確定した今(というか既に世界第4位の移民大国になっています)、日本人のアイデンティティが根本的に問い直される時代が到来することを予見できます。

移民政策により、経済や雇用の問題に留まらず、宗教文化の問題も確実に生じるようになっています。

その件は、また別記事で述べたいと思います。

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一郎 奇妙な学園ストーリー

前記事では、明治政府による神仏判然令の影響についてザックリとみてきました。

神と仏が混在し、共存していたものを分けてしまった結果、廃仏毀釈も発生して、大量に廃寺が生じた地域もあります。

しかし、寺院が激減してしまった地域でも「先祖供養」、「墓参」の習慣はなくなることはありませんでした。

神仏判然令が出るまでは、神と仏が渾然一体とした形で祀られていました。

明治から第二次世界大戦に至るまでの神社と寺院の分離、そして国家神道化への道は、日本の霊的伝統をズタズタに切り裂き、宗教的心性の貧困をもたらしたと私どもは考えています。

さらに、第二次世界大戦の敗戦後はアメリカから大きな文化的影響を受け、日本の伝統的霊性は急速に萎びていった歴史があります。

それでも、いまだにお正月に初詣をする人は(動機が何であれ)多数派ですし、初日の出を見て手を合わせる人も大勢います。

私たちも自覚はしていないだけで、その深層意識の中に古来より受け継がれてきた霊性意識のかけらは持っているのだろうと思います。

その霊性のかけらとはどのようなものでしょうか。

HPのディレクトリ構造が複雑でたどり着きにくいのですが、ここには智山伝法院という研究機関があり、「現代密教」という研究誌をPDFで読むことができます。

その一編に「大日とデウス」という論文があります。

山本匠一郎 2011 「大日とデウス」 現代密教,第22号,Pp.261-299.

興味深いのは、16世紀のキリスト教宣教師が、当時の日本人の信仰、霊性について細かく観察していて、彼らの宗教との違いを克明に記録していることです。

は、1549年に日本に初めてキリスト教をもたらした人物としてよく知られています。

彼はそのなかで日本人を非常に高く評価しています。

「日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉 を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。」(上記論文より引用)

当時のイエズス会は「世界宣教」をミッションとして、西洋文化と宗教をセットにして浸透させようと試みたわけで、異教徒達をキリスト教に改宗させることを目標に掲げていました。

そこで、宣教師達はあらかじめ布教先に住む人々の信仰や霊性についてつぶさに観察し、その「間違い」を正した上で、キリスト教の教理を説いていくという手順を踏みました。

その結果、仏教とキリスト教との対立が生じ、僧侶達はキリスト教の宣教師達に向けて敵愾心を燃やすことになりました。

宣教師の仏教批判は周到かつ執拗で、教理・実践の両面はむろん、仏僧の生活慣習といった諸側面にわたっており、仏僧の男色傾向や稚児愛、尼僧の堕胎等、さまざまな弊風を暴きだしている。(上記論文より引用)

それを大きな罪だと批判材料にも使ったのです。

ただ、最初にザビエルがやらかした失敗は、ラテン語のを「大日」と翻訳してしまったことです。

来日当初、ザビエルが「大日を拝みなさい」と呼びかけると、日本の僧侶たちは仏教の一派だと思い歓迎したと伝わっています。

しかし、大日と言えば、仏教の大日如来ということになり、すぐのちにそれは大変な誤訳であるということが分かって、「大日」の訳語は完全に否定され、ただ「デウス」と音訳されることになりました。

そこで、今度は「大日を拝んではなりません。デウスを拝みなさい」とザビエルたちが急に言い出したため、僧侶たちも驚いたと言われています。

元々、日本の<カミ>という語は、西洋のGod, Deityの概念に見られるように、超越的、人格的(人称的)な性質をもっていません。

日本人のいう<カミ>は、山川草木などの自然物を、そのまま神として崇拝したのではなく、そうした自然物に宿る神霊を崇拝するアニミズムでした。

そういう心性が根本にある国に「デウス」という唯一神を持ち込もうとしたのですから、これは結構難易度の高いミッションだったと思います。

さて、山本氏によれば、ザビエルが見た日本人の霊性は以下の通りにまとめられます。

(1) 世界万物の創造主という観念をもたない

(2) 太陽や月を神として信仰している

(3) 霊魂は肉体から離れた後は存在しない

(4) 理性的な霊魂と感覚的な霊魂とを区別しない

(5) 自然現象に関して強い好奇心を示す

(6) 各自がそれぞれの宗旨(儒教・仏教諸派・神道)をゆるやかに受容している

(7) 先祖崇拝を行っていること

天地開闢という概念は日本にありますが、天地がどのように創造されたのかという点について、記紀神話は詳しくは描写していません。

古事記では、世界の最初に、高天原に相次いで三柱の神(造化三神)が生まれたとされます。

・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

・神産巣日神(かみむすひのかみ)

日本書紀では、太古、天地は分かれておらず、互いに混ざり合って混沌=カオス化していたとされます。

その混沌の中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となりました。

それから、神が生まれるという順序をとります(これ
が西洋人にはテキトーに見えたのでしょう)。

いずれにしても、創造主という概念がなかったのが日本神話の特徴でもあります。

「太陽や月を神として信仰している」というのは、今でも太陽や月に関する自然神を礼拝する心性が残っています。

昇る朝日に手を合わせる、月見の風習もその名残です。

「霊魂は肉体から離れた後は存在しない」というのは、当時の禅僧が主張した内容をザビエルが記録していたものです。

「人の霊魂は動物の魂のように滅亡する」と言いつつ、地獄と極楽の存在を説く僧侶の言説のブレ方をザビエルは批判しています。

基本的に禅宗は肉体と精神とは同一のものと考え、区別しません。

霊魂の存在を認めると生と死に関する深い執着が発生するため、仏道成就を阻害するとされるので、霊魂を否定するのです。

「理性的な霊魂と感覚的な霊魂とを区別しない」というのは、キリスト教では人間の霊魂と動物のそれとを厳密に区別する教理から来ているもので、これが現代にも受け継がれている西欧思想の根底にある人間中心主義の元です。

仏教的な世界観では「生きとし生けるもの」というくくり方をするため、人間の霊魂と動物のそれを区別する発想はなかったわけです。

「自然現象に関して強い好奇心を示す」というくだりは、当時の自然科学の最新知識が宣教師達によってもたらされ、その話を聞いた日本人がたいそう興味を持ったという逸話から来ています。

なにぶん、当時の日本人は地球が丸いことも知らない状況でした。その点はキリスト教の布教活動の助けになったとも言います。

「各自がそれぞれの宗旨(儒教・仏教諸派・神道)をゆるやかに受容している」というのは、もう説明の余地もないことですが、当時の日本人が他の宗教に対して寛容であった、主な宗教が混在し、共存していたことの証でもあります。

今も昔も宗教的なことをあまり意識せずにユルいのは変わっていません。

そのユルさが長所にもなり、短所にもなります。

「先祖崇拝を行っていること」というのも日本的な霊性の核心の一つです。

と仏教が習合することで、仏教が広まっていったことは当ブログでも過去記事で取り上げています。

ただ、ザビエルが、キリスト教の福音を聞くことによって天国へ昇り、信じない者は地獄へ墜ちることを説くと、日本人は「キリスト教を知らずに死んでいった先祖たちはどうなるのか」と尋ね、ザビエルがそれに応答して「みな地獄で苦しみを受けており救済されることが決してない」と答えると、キリスト教に改宗した日本人信徒たちは涙を流して深く悲しんだといいます。

信じる者だけが救われるというか、逆を言えば異教を信じていた先祖が地獄に墜ちて絶対に救済されないという教えは、いささか狭量過ぎはしないかと感じさせる逸話です。

でも、これがキリスト教の戦略だったのです。

16世紀は日本が西洋と直接遭遇したおそらく最初の時代です。

西洋人から見れば、極東の島国に住む異教徒はさぞ奇異に映ったことでしょう。

その後、日本において政策としてキリスト教への弾圧が始まるのは1612年の禁教令からであり、明治初期まで続きました。

その間もキリスト教が完全に日本から駆逐されたわけではなく、隠れキリシタンやによって江戸時代を生き抜いた人々もいたわけです。

江戸時代のキリシタン弾圧については遠藤周作の「沈黙」にも描かれています。

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それを映画化した作品も一見の価値があります。

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その後、日本ではキリスト教が多数派となることはなく、依然として何となく神仏の存在は信じるという傾向は続いています。

しかし、今後、日本も移民の国になることが確定した今(というか既に世界第4位の移民大国になっています)、日本人のアイデンティティが根本的に問い直される時代が到来することを予見できます。

移民政策により、経済や雇用の問題に留まらず、宗教文化の問題も確実に生じるようになっています。

その件は、また別記事で述べたいと思います。

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一郎 関連ツイート

RT @mecoxx8: 一郎の回顧 https://t.co/T95wezJsTB
 2019/01/06 14:52 srpx_
RT @sow_LIBRA11: 納谷悟朗さん(ユパ様)永井一郎さん(おんじのミト)辻村真人さん(ナウシカの父ジル)家弓家正さん(クロトワ)・・・今はなき偉大なる者たちよ・・・ #ナウシカ https://t.co/YUP8unXyoJ
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2日目! https://t.co/8O3EyscYIA

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