一郎を見たら話さなくていい。好きなふたりは、行ったり来たり。
前記事では、明治政府による神仏判然令の影響についてザックリとみてきました。
神と仏が混在し、共存していたものを分けてしまった結果、廃仏毀釈も発生して、大量に廃寺が生じた地域もあります。
しかし、寺院が激減してしまった地域でも「先祖供養」、「墓参」の習慣はなくなることはありませんでした。
神仏判然令が出るまでは、神と仏が渾然一体とした形で祀られていました。
明治から第二次世界大戦に至るまでの神社と寺院の分離、そして国家神道化への道は、日本の霊的伝統をズタズタに切り裂き、宗教的心性の貧困をもたらしたと私どもは考えています。
さらに、第二次世界大戦の敗戦後はアメリカから大きな文化的影響を受け、日本の伝統的霊性は急速に萎びていった歴史があります。
それでも、いまだにお正月に初詣をする人は(動機が何であれ)多数派ですし、初日の出を見て手を合わせる人も大勢います。
私たちも自覚はしていないだけで、その深層意識の中に古来より受け継がれてきた霊性意識のかけらは持っているのだろうと思います。
その霊性のかけらとはどのようなものでしょうか。
HPのディレクトリ構造が複雑でたどり着きにくいのですが、ここには智山伝法院という研究機関があり、「現代密教」という研究誌をPDFで読むことができます。
その一編に「大日とデウス」という論文があります。
山本匠一郎 2011 「大日とデウス」 現代密教,第22号,Pp.261-299.
興味深いのは、16世紀のキリスト教宣教師が、当時の日本人の信仰、霊性について細かく観察していて、彼らの宗教との違いを克明に記録していることです。
は、1549年に日本に初めてキリスト教をもたらした人物としてよく知られています。
彼はそのなかで日本人を非常に高く評価しています。
「日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉 を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。」(上記論文より引用)
当時のイエズス会は「世界宣教」をミッションとして、西洋文化と宗教をセットにして浸透させようと試みたわけで、異教徒達をキリスト教に改宗させることを目標に掲げていました。
そこで、宣教師達はあらかじめ布教先に住む人々の信仰や霊性についてつぶさに観察し、その「間違い」を正した上で、キリスト教の教理を説いていくという手順を踏みました。
その結果、仏教とキリスト教との対立が生じ、僧侶達はキリスト教の宣教師達に向けて敵愾心を燃やすことになりました。
宣教師の仏教批判は周到かつ執拗で、教理・実践の両面はむろん、仏僧の生活慣習といった諸側面にわたっており、仏僧の男色傾向や稚児愛、尼僧の堕胎等、さまざまな弊風を暴きだしている。(上記論文より引用)
それを大きな罪だと批判材料にも使ったのです。
ただ、最初にザビエルがやらかした失敗は、ラテン語のを「大日」と翻訳してしまったことです。
来日当初、ザビエルが「大日を拝みなさい」と呼びかけると、日本の僧侶たちは仏教の一派だと思い歓迎したと伝わっています。
しかし、大日と言えば、仏教の大日如来ということになり、すぐのちにそれは大変な誤訳であるということが分かって、「大日」の訳語は完全に否定され、ただ「デウス」と音訳されることになりました。
そこで、今度は「大日を拝んではなりません。デウスを拝みなさい」とザビエルたちが急に言い出したため、僧侶たちも驚いたと言われています。
元々、日本の<カミ>という語は、西洋のGod, Deityの概念に見られるように、超越的、人格的(人称的)な性質をもっていません。
日本人のいう<カミ>は、山川草木などの自然物を、そのまま神として崇拝したのではなく、そうした自然物に宿る神霊を崇拝するアニミズムでした。
そういう心性が根本にある国に「デウス」という唯一神を持ち込もうとしたのですから、これは結構難易度の高いミッションだったと思います。
さて、山本氏によれば、ザビエルが見た日本人の霊性は以下の通りにまとめられます。
(1) 世界万物の創造主という観念をもたない
(2) 太陽や月を神として信仰している
(3) 霊魂は肉体から離れた後は存在しない
(4) 理性的な霊魂と感覚的な霊魂とを区別しない
(5) 自然現象に関して強い好奇心を示す
(6) 各自がそれぞれの宗旨(儒教・仏教諸派・神道)をゆるやかに受容している
(7) 先祖崇拝を行っていること
天地開闢という概念は日本にありますが、天地がどのように創造されたのかという点について、記紀神話は詳しくは描写していません。
古事記では、世界の最初に、高天原に相次いで三柱の神(造化三神)が生まれたとされます。
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
・神産巣日神(かみむすひのかみ)
日本書紀では、太古、天地は分かれておらず、互いに混ざり合って混沌=カオス化していたとされます。
その混沌の中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となりました。
それから、神が生まれるという順序をとります(これ
が西洋人にはテキトーに見えたのでしょう)。
いずれにしても、創造主という概念がなかったのが日本神話の特徴でもあります。
「太陽や月を神として信仰している」というのは、今でも太陽や月に関する自然神を礼拝する心性が残っています。
昇る朝日に手を合わせる、月見の風習もその名残です。
「霊魂は肉体から離れた後は存在しない」というのは、当時の禅僧が主張した内容をザビエルが記録していたものです。
「人の霊魂は動物の魂のように滅亡する」と言いつつ、地獄と極楽の存在を説く僧侶の言説のブレ方をザビエルは批判しています。
基本的に禅宗は肉体と精神とは同一のものと考え、区別しません。
霊魂の存在を認めると生と死に関する深い執着が発生するため、仏道成就を阻害するとされるので、霊魂を否定するのです。
「理性的な霊魂と感覚的な霊魂とを区別しない」というのは、キリスト教では人間の霊魂と動物のそれとを厳密に区別する教理から来ているもので、これが現代にも受け継がれている西欧思想の根底にある人間中心主義の元です。
仏教的な世界観では「生きとし生けるもの」というくくり方をするため、人間の霊魂と動物のそれを区別する発想はなかったわけです。
「自然現象に関して強い好奇心を示す」というくだりは、当時の自然科学の最新知識が宣教師達によってもたらされ、その話を聞いた日本人がたいそう興味を持ったという逸話から来ています。
なにぶん、当時の日本人は地球が丸いことも知らない状況でした。その点はキリスト教の布教活動の助けになったとも言います。
「各自がそれぞれの宗旨(儒教・仏教諸派・神道)をゆるやかに受容している」というのは、もう説明の余地もないことですが、当時の日本人が他の宗教に対して寛容であった、主な宗教が混在し、共存していたことの証でもあります。
今も昔も宗教的なことをあまり意識せずにユルいのは変わっていません。
そのユルさが長所にもなり、短所にもなります。
「先祖崇拝を行っていること」というのも日本的な霊性の核心の一つです。
と仏教が習合することで、仏教が広まっていったことは当ブログでも過去記事で取り上げています。
ただ、ザビエルが、キリスト教の福音を聞くことによって天国へ昇り、信じない者は地獄へ墜ちることを説くと、日本人は「キリスト教を知らずに死んでいった先祖たちはどうなるのか」と尋ね、ザビエルがそれに応答して「みな地獄で苦しみを受けており救済されることが決してない」と答えると、キリスト教に改宗した日本人信徒たちは涙を流して深く悲しんだといいます。
信じる者だけが救われるというか、逆を言えば異教を信じていた先祖が地獄に墜ちて絶対に救済されないという教えは、いささか狭量過ぎはしないかと感じさせる逸話です。
でも、これがキリスト教の戦略だったのです。
16世紀は日本が西洋と直接遭遇したおそらく最初の時代です。
西洋人から見れば、極東の島国に住む異教徒はさぞ奇異に映ったことでしょう。
その後、日本において政策としてキリスト教への弾圧が始まるのは1612年の禁教令からであり、明治初期まで続きました。
その間もキリスト教が完全に日本から駆逐されたわけではなく、隠れキリシタンやによって江戸時代を生き抜いた人々もいたわけです。
江戸時代のキリシタン弾圧については遠藤周作の「沈黙」にも描かれています。
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その後、日本ではキリスト教が多数派となることはなく、依然として何となく神仏の存在は信じるという傾向は続いています。
しかし、今後、日本も移民の国になることが確定した今(というか既に世界第4位の移民大国になっています)、日本人のアイデンティティが根本的に問い直される時代が到来することを予見できます。
移民政策により、経済や雇用の問題に留まらず、宗教文化の問題も確実に生じるようになっています。
その件は、また別記事で述べたいと思います。
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