http://3285.simasyo.com/e3/ 引き継ぎの通販ランキングなどの情報を公開、利用方法(作り方)などもあります

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引き継ぎをインターネットで探す人のサロン♪

去年の今日は、キキも生きていて幸せだったなと思います。
たった1年前なのに、思い出せないくらい遠い過去のような気がします。
今日は出張で長い時間お留守番になるので、夕方はペットシッターさんにお願いしました。
テーブルの上に、引き継ぎの長い手紙と食べ物やシートや薬などを置いたら、山盛りになっちゃいましたガーン
ルイが一泊入院した時に、お洋服やフードやお皿など持たせすぎて、ドン引きされた事を懐かしく思い出しました(笑)
今は前を見て進むしかない時期なので、とにかく頑張らないと。
クリスマスが近くなると、George Michaelを思い出します。
世界一のクリスマスソングとクリスマスが命日になったレジェンド。

せっかくだから引き継ぎについて語るぜ!

モノを書く、という手段がとても好きだ。

好きというよりはもう、これは魂に刻み込まれた、わたしの表現の軸だと思っている。

最初にモノ書きを始めたのは、中学の頃。どっかに書いたかな? 当時は少女漫画全盛期で、周りの女子はみんな漫画を描いていた。でも私は絵が描けなかった。

頭の中には壮大なストーリーだけは詰まっていたから(妄想癖)それを小説化した。

そうしたら面白くなって、すっかりハマった。

当時は手書きのみ、レポート用紙に書き溜めていた。B罫の行間が好きで、A罫だとうまくいかなかった。

暇さえあれば毎日毎日描いていた。だから腱鞘炎になった。授業そっちのけだった。

—–

余談だが私は今時珍しい「かな入力」の人だ。一番最初にパソコンで遊んだのが小学低学年の時だったから。

英語なんぞ知らんで生きていけた頃。だから「かな入力」で全てのキーボードの位置を覚えてしまったのである。

懐かしのFM-7よ…。

そして、ブラインドタッチは一切できない。完全オリジナルのキー打ちのまま、30年以上過ごしてきてしまった。おかげでスピードは尋常でない。しかし手の動きを見ると大抵の人に驚かれるのであった。

—–

話を戻そう。

そのまま、小説を書く→ワープロを手に入れる→ヲタク街道まっしぐらで、同人誌の小説を書く、オリジナルを書くという人生を送ってきて現在に至るが

ブログ

という文化、実は最初まっっっっっっったく馴染めなかった。

全然書けなかったのである。

ちょうどアメブロに移行して1ヶ月後くらいに一気に知名度が上がる出来事があり、そこから一気に「楽しくなったから」ブログが書けるだろうと思っていた。

だが、書けない。最初の頃は1記事に3時間、4時間かけていたのではなかろうか。

ひとりで朝から晩までカフェをやってたので、家に帰ってからのその時間がもったいなくて、ほとんど記事を書かなかった。

おかしいな。書くことが得意なはずなのに、なんで書けないんだろう。

その理由は、2018年に明かされた。つまりは、今年だ。

今年の念頭、1日5記事を目標にブログを書こうと決めた。

しかも「質のいい記事」だ。これはブログが苦手な私としては大変なチャレンジだった。

実際、5記事はとんでもなくハードルが高すぎて、一度しかクリアできなかったのだけれど、毎日3記事から4記事は書いていた。寒がりなのでね、冬の間はほぼ動かないんもんで、ひたすら家にこもってブログを書き続けた。

そして、ある時、ふっとタガが外れた瞬間がわかった。

表面張力でギリギリだった水面から水がこぼれ落ちるように、ブログへの抵抗が一切なくなったのだ。

私がブログに強い抵抗を持っていたのは「読者との距離が遠すぎる」ことが理由だった。

その証拠にLINE@はすらすらと書けるのだ。ブログを書いていない時期も、LINE@だけは毎日配信していた。

つまり、自分が重要視していたのは、読者との距離感だったのだ。

では、ブログでの距離感をどう縮めるか。

向こうから寄ってきてくれる仕組みではなく、自分から寄っていくようにすればよいだけであった。

よく「たったひとりのお客様に言葉を届けるつもりで書きましょう」って言われるよね。

あの意味がとんとわかっていなかった。

それは、量をこなしたからこそ、私の血肉となって体感レベルで実感できたのだ。

—–

思い出したが、リクルートキャリアに入社した頃、当時38歳。

引き継ぎ期間わずか3日ほどで、社内システム4種類と現在受注している案件全て(尋常でない量)、エントリーシートの取り扱いから担当部署、専門でやること、面接の手順から警備への手配などなど、大量の業務を一気に教えられた。

しかも教えてくれた本人も、わずか1ヶ月で退社することになったため、わからないことが多すぎた。

全体像を掴んで分析していく私の手法は全くもって使えなかった。

文字通り尋常でない業務量。

仕事の終わりが見えないわ、締め切りに間に合わないわ、新しい案件が途切れずに来るわで、珍しくパニックに陥った。

後にも先にも職場で本気で泣いたのはあの時だけだった…家でもよく泣いていてJJに「こんな姿見たことない」と言われる始末。

同僚と上司に相談して、ちょっと仕事を減らしてもらって2週間後。

あっという間に慣れた。

その1ヶ月後には、部署内で一番多くの案件をこなせるようになった。

おかげさまで、辞めるときに月間MVP賞(社内で最も功績を挙げた人におくられる賞)をいただきましたよ。

それはやっぱり「一気に大量の業務をやってみた」ことと「慣れ」と「目的地の明確化」であったと思う。

—–

質より量、量より質、というが、それはアホみたいな話で私は「質も量も同時に一気に高めていけ」と思う。

大抵高い目標を掲げて絶対にクリアできない、というのが私のパターンなので、最初の時点でもうハードル高すぎて発狂しそうなくらいの目標を掲げる。

ブログ記事なら、1日3記事、質のいいものが書けたらサイコーと思うなら、敢えて5記事に設定。

7割クリアできたら最高、という位置で目標を設定している。

能力の限界値超えは、常に恐ろしいほどの負荷の上から生まれる。

幻冬社の編集者である箕輪厚介さんが著書の中でこう書いている。

「1年間で100の力が使えるとしたら、最初の2ヶ月で90を使い切ってしまうくらいの気合いで走るといい。そこにインパクトが生まれる。圧倒的なまでに量をやるとキャバシティが増えて、また100の力がプラスされる。中途半端ではダメだ」

私の周りは、圧倒的に量をこなしている人しかいない…。またしても変態しかいない証明だ。

私は人一倍プレッシャーに弱い。だからかけ方を工夫しただけ。

「できなかった」ことに逃げるのではなく、工夫しているだけ。

「質と量は反比例する」

それは人の常識にすぎない。そこにいたらいつまでも同じ世界しか見えないのだ。

「質も量も高めていく」ことで、見えて来る別の世界がある。

そのための記録に大変オススメなのが手帳である(笑)。

2019年は3冊併用。

定番ロルバーンとお初の。のシールを貼って愛用中。

そしてほぼ日手帳WEEKSになんと!! が出た!!

手帳の話は、また後日。

1,350円
Amazon

完璧な引き継ぎなど存在しない

モノを書く、という手段がとても好きだ。

好きというよりはもう、これは魂に刻み込まれた、わたしの表現の軸だと思っている。

最初にモノ書きを始めたのは、中学の頃。どっかに書いたかな? 当時は少女漫画全盛期で、周りの女子はみんな漫画を描いていた。でも私は絵が描けなかった。

頭の中には壮大なストーリーだけは詰まっていたから(妄想癖)それを小説化した。

そうしたら面白くなって、すっかりハマった。

当時は手書きのみ、レポート用紙に書き溜めていた。B罫の行間が好きで、A罫だとうまくいかなかった。

暇さえあれば毎日毎日描いていた。だから腱鞘炎になった。授業そっちのけだった。

—–

余談だが私は今時珍しい「かな入力」の人だ。一番最初にパソコンで遊んだのが小学低学年の時だったから。

英語なんぞ知らんで生きていけた頃。だから「かな入力」で全てのキーボードの位置を覚えてしまったのである。

懐かしのFM-7よ…。

そして、ブラインドタッチは一切できない。完全オリジナルのキー打ちのまま、30年以上過ごしてきてしまった。おかげでスピードは尋常でない。しかし手の動きを見ると大抵の人に驚かれるのであった。

—–

話を戻そう。

そのまま、小説を書く→ワープロを手に入れる→ヲタク街道まっしぐらで、同人誌の小説を書く、オリジナルを書くという人生を送ってきて現在に至るが

ブログ

という文化、実は最初まっっっっっっったく馴染めなかった。

全然書けなかったのである。

ちょうどアメブロに移行して1ヶ月後くらいに一気に知名度が上がる出来事があり、そこから一気に「楽しくなったから」ブログが書けるだろうと思っていた。

だが、書けない。最初の頃は1記事に3時間、4時間かけていたのではなかろうか。

ひとりで朝から晩までカフェをやってたので、家に帰ってからのその時間がもったいなくて、ほとんど記事を書かなかった。

おかしいな。書くことが得意なはずなのに、なんで書けないんだろう。

その理由は、2018年に明かされた。つまりは、今年だ。

今年の念頭、1日5記事を目標にブログを書こうと決めた。

しかも「質のいい記事」だ。これはブログが苦手な私としては大変なチャレンジだった。

実際、5記事はとんでもなくハードルが高すぎて、一度しかクリアできなかったのだけれど、毎日3記事から4記事は書いていた。寒がりなのでね、冬の間はほぼ動かないんもんで、ひたすら家にこもってブログを書き続けた。

そして、ある時、ふっとタガが外れた瞬間がわかった。

表面張力でギリギリだった水面から水がこぼれ落ちるように、ブログへの抵抗が一切なくなったのだ。

私がブログに強い抵抗を持っていたのは「読者との距離が遠すぎる」ことが理由だった。

その証拠にLINE@はすらすらと書けるのだ。ブログを書いていない時期も、LINE@だけは毎日配信していた。

つまり、自分が重要視していたのは、読者との距離感だったのだ。

では、ブログでの距離感をどう縮めるか。

向こうから寄ってきてくれる仕組みではなく、自分から寄っていくようにすればよいだけであった。

よく「たったひとりのお客様に言葉を届けるつもりで書きましょう」って言われるよね。

あの意味がとんとわかっていなかった。

それは、量をこなしたからこそ、私の血肉となって体感レベルで実感できたのだ。

—–

思い出したが、リクルートキャリアに入社した頃、当時38歳。

引き継ぎ期間わずか3日ほどで、社内システム4種類と現在受注している案件全て(尋常でない量)、エントリーシートの取り扱いから担当部署、専門でやること、面接の手順から警備への手配などなど、大量の業務を一気に教えられた。

しかも教えてくれた本人も、わずか1ヶ月で退社することになったため、わからないことが多すぎた。

全体像を掴んで分析していく私の手法は全くもって使えなかった。

文字通り尋常でない業務量。

仕事の終わりが見えないわ、締め切りに間に合わないわ、新しい案件が途切れずに来るわで、珍しくパニックに陥った。

後にも先にも職場で本気で泣いたのはあの時だけだった…家でもよく泣いていてJJに「こんな姿見たことない」と言われる始末。

同僚と上司に相談して、ちょっと仕事を減らしてもらって2週間後。

あっという間に慣れた。

その1ヶ月後には、部署内で一番多くの案件をこなせるようになった。

おかげさまで、辞めるときに月間MVP賞(社内で最も功績を挙げた人におくられる賞)をいただきましたよ。

それはやっぱり「一気に大量の業務をやってみた」ことと「慣れ」と「目的地の明確化」であったと思う。

—–

質より量、量より質、というが、それはアホみたいな話で私は「質も量も同時に一気に高めていけ」と思う。

大抵高い目標を掲げて絶対にクリアできない、というのが私のパターンなので、最初の時点でもうハードル高すぎて発狂しそうなくらいの目標を掲げる。

ブログ記事なら、1日3記事、質のいいものが書けたらサイコーと思うなら、敢えて5記事に設定。

7割クリアできたら最高、という位置で目標を設定している。

能力の限界値超えは、常に恐ろしいほどの負荷の上から生まれる。

幻冬社の編集者である箕輪厚介さんが著書の中でこう書いている。

「1年間で100の力が使えるとしたら、最初の2ヶ月で90を使い切ってしまうくらいの気合いで走るといい。そこにインパクトが生まれる。圧倒的なまでに量をやるとキャバシティが増えて、また100の力がプラスされる。中途半端ではダメだ」

私の周りは、圧倒的に量をこなしている人しかいない…。またしても変態しかいない証明だ。

私は人一倍プレッシャーに弱い。だからかけ方を工夫しただけ。

「できなかった」ことに逃げるのではなく、工夫しているだけ。

「質と量は反比例する」

それは人の常識にすぎない。そこにいたらいつまでも同じ世界しか見えないのだ。

「質も量も高めていく」ことで、見えて来る別の世界がある。

そのための記録に大変オススメなのが手帳である(笑)。

2019年は3冊併用。

定番ロルバーンとお初の。のシールを貼って愛用中。

そしてほぼ日手帳WEEKSになんと!! が出た!!

手帳の話は、また後日。

1,350円
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引き継ぎは人々の関心を集めています♪

絵心がなくても絶対いい感じに

指で描く優しい色合いのパステルアート教室

あいアートcafeのAIMIです。
いつもイイね!読者登録ありがとうございます。
皆様より、暖かい応援のお言葉を頂き、
また受講者様の歓喜と達成感の笑顔に支えられる毎日を送らせていただけること、
心より感謝を申し上げます。
改めまして自己紹介をさせていただきます。
♡現在の教室(名古屋市中区)について
・4枚綴りの回数券の定期講座
を開催させて頂いております。
またポストカード、オーダーアート、も販売しております。
スタッフは私以外にもう一人。
ステンシルの製作及び全販促物の発送業務、オンラインサイトの運営などのお仕事をサポートしてもらっています。
(このスタッフさん、ものすごくできる人で、いつも支えてもらっています^^)
私の講座以外の業務は、
講師様からのご相談にお答えしたり、
の更新作業・バナーのデザイン、新規お客様からのお問い合わせ対応、
画材手配、オーダーアートやポストカードなどの製作、
そしてもちろん講座用の新図案作成、
こんな感じで1週間があっという間に過ぎていきます^^
♡生い立ち
※長いので興味のある方のみお読みくださいね^^
 絵については、実は幼い頃から学んできたとかではありません。
ただ昔から描きながら没頭し、のめりこむ時間が好きでした。
母一人子一人で大切に育てて頂きましたが、
大変なことも多く16歳からは母に金銭的にも頼る事なく、自分で働き一人暮らしをしてきました。
18歳、水商売でお店の1位になり、居場所がないと思っていた人生に、自分の居場所ができました。
偽りだらけの世界だったけど、私にも価値あるんだなぁ…なんて思ったりして(笑)
(ルックスがいい人は、私の他に山ほどいました笑。ただ助けてくれる方が多く、本当にありがたかった)
22歳、昼間は、一流ホテルで接客の仕事をしていましたが、
母がやっていたスナックが経営不振に陥り、急遽ママを引き継ぎ、お店を切り盛り、
全メニューを見直し、新たに女の子を雇い、営業活動に奔走して、経営を立て直します。
思春期に、夢にまで見た母との生活が、一緒に働くことで実現したようでした。
そこに通い詰めてくれたのが今の主人です。
結婚後、お店を閉め、出産。
不妊で四年通院歴のある私からは予想もしていなかった、三人の子宝に恵まれました。

主人は経営者ですが、結婚当初は金銭的にどん底の日々も経験(笑)
子供の重なる入院や、義母の介護などいろいろありましたが、
三男を保育園に入れてから
「自分の表現力の幅を広げたい」とデザインを独学で学び、上場企業に勤務。
チラシ、DM、地下鉄つり革広告、ビルの巨大横断幕等、
全国にリリースされる数多くのデザインを一人で担当させて頂きました。
上司からのパワハラや、女子社員からの悪質なクレームを浴びせられた事もあったけど、
いつも笑顔で乗り切ります(笑)
ここでレイアウト、配色について学ばせて頂いたことも今の私の財産になっています。
♡両親のこと
私が幼い頃、父のDVで離婚した両親。
詳しいことはわかりませんが、父は今も絵でご飯を食べています。(自称・画家)
日本画で、私とは比べ物にならないほど繊細な絵を描く人。
母は絵は下手なのですが…
幼い頃は、母に「上手だね」と褒めてもらいたくて描いては、常にけなされていました(笑)
ここで私の絶対に諦めない心が育まれます^^
♡現在
一年半前、パステルドリーミングアートと出逢いました。
「あいみ先生は元々才能があるから」なんて、たまに言ってくださる方もいらっしゃるけど、全然違うのです(笑)
サラッと素敵な絵なんて描けません。
陰でひたすら描いて練習してます。
それからは毎日、好きな絵を描きながら子供達と過ごし、忙しくも、とても幸せな日々を過ごしています。

頑張って生きているからこそ大変なことも、また理不尽なこともたまにはありますが、

でもその出来事全てが自分の次へのステップへの糧になる。< /p>

そう考えると感謝でしかない、そう思って生きています。

描きたいものをようやく描きたいように描けるようになってきた私…
ようやくスタートラインに立ちました。

今の幸せを、忘れたくない気持ちや大切な人への思いを絵に残したい、
このまま描きたいもの、自分の表現したいこと、追い求め続けていこう、そう思って描いています。
何はともあれ、皆さまも、
楽しむことが一番です。
一緒に描きませんか。パステルアート♡
描けないかも〜〜
下手だから〜〜
ホント絵心ないの〜〜
なんて、言わないで下さいね。私も、未だに納得いったものは描けていません。
だからこそ、必死で、でも楽しんで追い求めています。
確実に言えることは、ドリーミングアート協会があったからこそ、今の私の絵があるのです。
アートという曖昧な表現から、自由さばかりが目立ち、基本がない協会も多い中、
誰もが優しい絵を素敵に描く事ができる確かな技法があるドリーミングアート。
私はこれからもドリーミングアートの素晴らしさを多くの方に伝えていきたいと思っています。
あなたも描いてみませんか。 
どうぞお気軽に、遊びにいらして下さいませ。

販売〜講座まで現在募集中のメニュー

優しいアート技法をご希望のタイミング20時間で習得

※自宅教室は、名古屋駅から2駅!東別院駅徒歩6分

 (名古屋駅→金山→東別院→自宅教室)

  平日10〜12時/ 13〜15時

※自宅教室or名古屋駅カフェ

資格取得後の困り事、

図案もチラシもHPもサポート!

↑24時間いつでも簡単お申し込み

または080-6624-0374

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「あいアートcafe」から二個発売中♪

▼ 講師様図案通信講座&ステンシル販売▼

    

気軽に予約&お問い合わせ♪教室LINE@

  

登録後は、スタンプでお知らせ下さい。

  名古屋市中区・北区・中村区・緑区・天白区、昭和区、守山区、熱田区

愛知県尾張旭市・一宮市・江南市・春日井市・蟹江市・稲沢市・知多郡・清須市・岡崎市

岐阜県大垣市・高山市、三重県津市・伊勢市・名張市、兵庫県、鹿児島県から

お越しいただいております。誠にありがとうございます。

ドラマも良いけど、引き継ぎも良いよねぇ~♪

今日もブログを更新させて頂きますね。
お付き合い頂けると嬉しいです。
昨日は最近、仕事場を異動した友人と
食事をしていました。
印象に残る話だったので
そこから私のブログの内容が
思いついたのですが
少し面白い事を感じたので
その事について書かせて頂きます。
さて、私の友人が後任の後輩の女性に
引き継ぎの仕事を教えていた時
あまりにも態度が悪かったそうです。
・人のいう事を聞かない
・融通が利かない
・頑固
・細かい事に拘りが強く
 新しい事を覚えたがらない
・細かい事には気を使うが
 拘りがなくなると急に関心がなくなる
・強いものには弱く、弱いものには強くなる
・人を見下す
仕事で忙しい時に大切な事を友人が
「メモした?」と聞くと「メモしなくても
良いので大丈夫」と言う
・人のアドバイスは人を選んで聞く
などなど。
友人の話だけだと
「とんでもない!奴!」ですが
こういった「反骨者」タイプには
普通に対応していても
バカにされるか
ひどく腹を立てられ
激しく攻撃して来ます。
ちょっとした対応に気を付ける
必要があるのですが
長くなりそうなので
また明日に続きを書かせて
頂きますね!
楽しみにしていて下さいね。
メルマガをちょっと力入れて、書きました!
あなたのインナージーニアス
(天才性)が輝きます。
ご登録頂けると嬉しいですドキドキ

あなたのインナージーニアスが輝くメールセミナー始めました
「こうなったらいいな!
モヤモヤ、スッキリしない自分から
自分の理想に向かって迷いなく 行動出来る5つのレッスン」

人生が楽しくて、豊かになり、謳歌出来る人が 増えたら楽しいなあと思って
私の経験と学んだ知識を 注いで書かせて頂きました。
ぜひ、ご登録して頂き この機会に読んで下さいね。

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引き継ぎ 関連ツイート

@pspsNooa 睡眠不足から来る頭痛と騒音が響いて来る頭痛とのダブルパンチ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)

帰ろっていいたいけど
欠員出たら帰れんやつやん
僕も今してる仕事引き継ぎできる人居ないから帰れん(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)

顧客の引き継ぎ件数多いからしんど
RT @FlowerCompanyz: たくさんのいいね、ありがとうございます。残念ながら49 になりました。円熟味とは程遠い、ガムシャラドラムを引き継ぎ頑張ります!まずは明後日の下北沢。お時間ある方は是非に!
なんで引き継ぎの紙とか置いといてくれないかなああああ。爆笑

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