http://3285.simasyo.com/e3/ 引き継ぎはリベラリズムを超えた!?

引き継ぎはリベラリズムを超えた!?

悩んでないで引き継ぎの激安をチェック

モノを書く、という手段がとても好きだ。

好きというよりはもう、これは魂に刻み込まれた、わたしの表現の軸だと思っている。

最初にモノ書きを始めたのは、中学の頃。どっかに書いたかな? 当時は少女漫画全盛期で、周りの女子はみんな漫画を描いていた。でも私は絵が描けなかった。

頭の中には壮大なストーリーだけは詰まっていたから(妄想癖)それを小説化した。

そうしたら面白くなって、すっかりハマった。

当時は手書きのみ、レポート用紙に書き溜めていた。B罫の行間が好きで、A罫だとうまくいかなかった。

暇さえあれば毎日毎日描いていた。だから腱鞘炎になった。授業そっちのけだった。

—–

余談だが私は今時珍しい「かな入力」の人だ。一番最初にパソコンで遊んだのが小学低学年の時だったから。

英語なんぞ知らんで生きていけた頃。だから「かな入力」で全てのキーボードの位置を覚えてしまったのである。

懐かしのFM-7よ…。

そして、ブラインドタッチは一切できない。完全オリジナルのキー打ちのまま、30年以上過ごしてきてしまった。おかげでスピードは尋常でない。しかし手の動きを見ると大抵の人に驚かれるのであった。

—–

話を戻そう。

そのまま、小説を書く→ワープロを手に入れる→ヲタク街道まっしぐらで、同人誌の小説を書く、オリジナルを書くという人生を送ってきて現在に至るが

ブログ

という文化、実は最初まっっっっっっったく馴染めなかった。

全然書けなかったのである。

ちょうどアメブロに移行して1ヶ月後くらいに一気に知名度が上がる出来事があり、そこから一気に「楽しくなったから」ブログが書けるだろうと思っていた。

だが、書けない。最初の頃は1記事に3時間、4時間かけていたのではなかろうか。

ひとりで朝から晩までカフェをやってたので、家に帰ってからのその時間がもったいなくて、ほとんど記事を書かなかった。

おかしいな。書くことが得意なはずなのに、なんで書けないんだろう。

その理由は、2018年に明かされた。つまりは、今年だ。

今年の念頭、1日5記事を目標にブログを書こうと決めた。

しかも「質のいい記事」だ。これはブログが苦手な私としては大変なチャレンジだった。

実際、5記事はとんでもなくハードルが高すぎて、一度しかクリアできなかったのだけれど、毎日3記事から4記事は書いていた。寒がりなのでね、冬の間はほぼ動かないんもんで、ひたすら家にこもってブログを書き続けた。

そして、ある時、ふっとタガが外れた瞬間がわかった。

表面張力でギリギリだった水面から水がこぼれ落ちるように、ブログへの抵抗が一切なくなったのだ。

私がブログに強い抵抗を持っていたのは「読者との距離が遠すぎる」ことが理由だった。

その証拠にLINE@はすらすらと書けるのだ。ブログを書いていない時期も、LINE@だけは毎日配信していた。

つまり、自分が重要視していたのは、読者との距離感だったのだ。

では、ブログでの距離感をどう縮めるか。

向こうから寄ってきてくれる仕組みではなく、自分から寄っていくようにすればよいだけであった。

よく「たったひとりのお客様に言葉を届けるつもりで書きましょう」って言われるよね。

あの意味がとんとわかっていなかった。

それは、量をこなしたからこそ、私の血肉となって体感レベルで実感できたのだ。

—–

思い出したが、リクルートキャリアに入社した頃、当時38歳。

引き継ぎ期間わずか3日ほどで、社内システム4種類と現在受注している案件全て(尋常でない量)、エントリーシートの取り扱いから担当部署、専門でやること、面接の手順から警備への手配などなど、大量の業務を一気に教えられた。

しかも教えてくれた本人も、わずか1ヶ月で退社することになったため、わからないことが多すぎた。

全体像を掴んで分析していく私の手法は全くもって使えなかった。

文字通り尋常でない業務量。

仕事の終わりが見えないわ、締め切りに間に合わないわ、新しい案件が途切れずに来るわで、珍しくパニックに陥った。

後にも先にも職場で本気で泣いたのはあの時だけだった…家でもよく泣いていてJJに「こんな姿見たことない」と言われる始末。

同僚と上司に相談して、ちょっと仕事を減らしてもらって2週間後。

あっという間に慣れた。

その1ヶ月後には、部署内で一番多くの案件をこなせるようになった。

おかげさまで、辞めるときに月間MVP賞(社内で最も功績を挙げた人におくられる賞)をいただきましたよ。

それはやっぱり「一気に大量の業務をやってみた」ことと「慣れ」と「目的地の明確化」であったと思う。

—–

質より量、量より質、というが、それはアホみたいな話で私は「質も量も同時に一気に高めていけ」と思う。

大抵高い目標を掲げて絶対にクリアできない、というのが私のパターンなので、最初の時点でもうハードル高すぎて発狂しそうなくらいの目標を掲げる。

ブログ記事なら、1日3記事、質のいいものが書けたらサイコーと思うなら、敢えて5記事に設定。

7割クリアできたら最高、という位置で目標を設定している。

能力の限界値超えは、常に恐ろしいほどの負荷の上から生まれる。

幻冬社の編集者である箕輪厚介さんが著書の中でこう書いている。

「1年間で100の力が使えるとしたら、最初の2ヶ月で90を使い切ってしまうくらいの気合いで走るといい。そこにインパクトが生まれる。圧倒的なまでに量をやるとキャバシティが増えて、また100の力がプラスされる。中途半端ではダメだ」

私の周りは、圧倒的に量をこなしている人しかいない…。またしても変態しかいない証明だ。

私は人一倍プレッシャーに弱い。だからかけ方を工夫しただけ。

「できなかった」ことに逃げるのではなく、工夫しているだけ。

「質と量は反比例する」

それは人の常識にすぎない。そこにいたらいつまでも同じ世界しか見えないのだ。

「質も量も高めていく」ことで、見えて来る別の世界がある。

そのための記録に大変オススメなのが手帳である(笑)。

2019年は3冊併用。

定番ロルバーンとお初の。のシールを貼って愛用中。

そしてほぼ日手帳WEEKSになんと!! が出た!!

手帳の話は、また後日。

1,350円
Amazon

うわぁ~、引き継ぎの宝石箱

こんにちはオレンジですニコニコ

も、もう、5ヶ月です
早すぎます
会社の産休に入って
半年過ぎたなんて…
今でも
たまーに
引き継ぎした後輩から
仕事の質問がきています。
頼ってもらえて
嬉しいです
先月、
51歳のおじちゃま上司からも
○○のデータってどのフォルダにある?
なぁんてラインもきました。
まだ覚えていましたが、
だんだん忘れてきました。
この育休中に治療を再開して
連続育休を狙っていますが
それが叶ったら
復帰する頃には
うらしま太郎だと思います
頑張らねば
5ヶ月になった一昨日
息子が鼻風邪をひきました。
ずっと鼻がグズグズゴロゴロいってて、
くしゃみの度に
鼻水がドロッと出るようになりました。
口で吸うタイプの
鼻水吸引器で吸うと
しばらくは楽そうですが、
手や首がよく動かせるようになったので
嫌がって阻止されるので
やりにくかったです。
その夜、
鼻が詰まって寝苦しいのか
20時就寝で、22時、23時、0時、
1時、2時×2回、3時、4時、6時起床。
8回も起きました
私の睡眠時間は
40分+30分+30分+30分
+15分+15分+15分+30分+90分
=約4時間半
ううう
熱は無いし
機嫌も良いし
鼻水だけ大量。
病院に行こうかなと思い、
二児の母の親友に良いクリニックを聞いたら、
隣の市にあるオススメクリニックを
教えてもらいました。
熱ないし、
小児科は他の病気もらいそうなので、
耳鼻科がよいとのこと。




ただ、
オススメクリニックの先生は、
赤ちゃんはあまり薬を使いたくない方針で
鼻水だけで1日・2日という症状だと
様子見になるそうで
もう数日様子見てからでもいいかも
とのことでした。




なので昨日も様子見にしました。



乳を飲むとき
ズビズビ鼻が詰まって
飲みにくそうですが
グズることもなく
2時間おきくらいで鼻水を吸引。




昨夜は
21時就寝で、23時、0時、
1時、2時、4時、6時、7時起床。
6回に減りました




そして今日は
昨日よりダラダラ出てきません
少し良くなった気がします
このまま回復傾向なら
クリニックはいかなくてもよさそうです
これからだんだん
免疫が切れて
風邪を引くようになってくるので
ちょっとドキドキします
そろそろ離乳食を始めるので
お座り姿勢に慣れさせようと
借り物のバンボに
座られてみ…る…と…
キツっ
バンボを広げながら
無理やりハメてみると
ぴったり。
バンボから出そうと
息子を持ち上げたとき
足が抜けなくて
バンボ付きで持ち上がりました。
足の太さは
まだ太くなるのかな?
体が重いせいか
寝返りもしなくなってしまい
ずーっと仰向けでゴロゴロしてる息子




足がスリムになるのはいつかしら
もうすぐ旦那が帰宅します
息子が笑顔でおかえりできるように
しっかり寝かして
ご機嫌にしておこうと思います



ウェブエンジニアなら知っておくべき引き継ぎの3つの法則

モノを書く、という手段がとても好きだ。

好きというよりはもう、これは魂に刻み込まれた、わたしの表現の軸だと思っている。

最初にモノ書きを始めたのは、中学の頃。どっかに書いたかな? 当時は少女漫画全盛期で、周りの女子はみんな漫画を描いていた。でも私は絵が描けなかった。

頭の中には壮大なストーリーだけは詰まっていたから(妄想癖)それを小説化した。

そうしたら面白くなって、すっかりハマった。

当時は手書きのみ、レポート用紙に書き溜めていた。B罫の行間が好きで、A罫だとうまくいかなかった。

暇さえあれば毎日毎日描いていた。だから腱鞘炎になった。授業そっちのけだった。

—–

余談だが私は今時珍しい「かな入力」の人だ。一番最初にパソコンで遊んだのが小学低学年の時だったから。

英語なんぞ知らんで生きていけた頃。だから「かな入力」で全てのキーボードの位置を覚えてしまったのである。

懐かしのFM-7よ…。

そして、ブラインドタッチは一切できない。完全オリジナルのキー打ちのまま、30年以上過ごしてきてしまった。おかげでスピードは尋常でない。しかし手の動きを見ると大抵の人に驚かれるのであった。

—–

話を戻そう。

そのまま、小説を書く→ワープロを手に入れる→ヲタク街道まっしぐらで、同人誌の小説を書く、オリジナルを書くという人生を送ってきて現在に至るが

ブログ

という文化、実は最初まっっっっっっったく馴染めなかった。

全然書けなかったのである。

ちょうどアメブロに移行して1ヶ月後くらいに一気に知名度が上がる出来事があり、そこから一気に「楽しくなったから」ブログが書けるだろうと思っていた。

だが、書けない。最初の頃は1記事に3時間、4時間かけていたのではなかろうか。

ひとりで朝から晩までカフェをやってたので、家に帰ってからのその時間がもったいなくて、ほとんど記事を書かなかった。

おかしいな。書くことが得意なはずなのに、なんで書けないんだろう。

その理由は、2018年に明かされた。つまりは、今年だ。

今年の念頭、1日5記事を目標にブログを書こうと決めた。

しかも「質のいい記事」だ。これはブログが苦手な私としては大変なチャレンジだった。

実際、5記事はとんでもなくハードルが高すぎて、一度しかクリアできなかったのだけれど、毎日3記事から4記事は書いていた。寒がりなのでね、冬の間はほぼ動かないんもんで、ひたすら家にこもってブログを書き続けた。

そして、ある時、ふっとタガが外れた瞬間がわかった。

表面張力でギリギリだった水面から水がこぼれ落ちるように、ブログへの抵抗が一切なくなったのだ。

私がブログに強い抵抗を持っていたのは「読者との距離が遠すぎる」ことが理由だった。

その証拠にLINE@はすらすらと書けるのだ。ブログを書いていない時期も、LINE@だけは毎日配信していた。

つまり、自分が重要視していたのは、読者との距離感だったのだ。

では、ブログでの距離感をどう縮めるか。

向こうから寄ってきてくれる仕組みではなく、自分から寄っていくようにすればよいだけであった。

よく「たったひとりのお客様に言葉を届けるつもりで書きましょう」って言われるよね。

あの意味がとんとわかっていなかった。

それは、量をこなしたからこそ、私の血肉となって体感レベルで実感できたのだ。

—–

思い出したが、リクルートキャリアに入社した頃、当時38歳。

引き継ぎ期間わずか3日ほどで、社内システム4種類と現在受注している案件全て(尋常でない量)、エントリーシートの取り扱いから担当部署、専門でやること、面接の手順から警備への手配などなど、大量の業務を一気に教えられた。

しかも教えてくれた本人も、わずか1ヶ月で退社することになったため、わからないことが多すぎた。

全体像を掴んで分析していく私の手法は全くもって使えなかった。

文字通り尋常でない業務量。

仕事の終わりが見えないわ、締め切りに間に合わないわ、新しい案件が途切れずに来るわで、珍しくパニックに陥った。

後にも先にも職場で本気で泣いたのはあの時だけだった…家でもよく泣いていてJJに「こんな姿見たことない」と言われる始末。

同僚と上司に相談して、ちょっと仕事を減らしてもらって2週間後。

あっという間に慣れた。

その1ヶ月後には、部署内で一番多くの案件をこなせるようになった。

おかげさまで、辞めるときに月間MVP賞(社内で最も功績を挙げた人におくられる賞)をいただきましたよ。

それはやっぱり「一気に大量の業務をやってみた」ことと「慣れ」と「目的地の明確化」であったと思う。

—–

質より量、量より質、というが、それはアホみたいな話で私は「質も量も同時に一気に高めていけ」と思う。

大抵高い目標を掲げて絶対にクリアできない、というのが私のパターンなので、最初の時点でもうハードル高すぎて発狂しそうなくらいの目標を掲げる。

ブログ記事なら、1日3記事、質のいいものが書けたらサイコーと思うなら、敢えて5記事に設定。

7割クリアできたら最高、という位置で目標を設定している。

能力の限界値超えは、常に恐ろしいほどの負荷の上から生まれる。

幻冬社の編集者である箕輪厚介さんが著書の中でこう書いている。

「1年間で100の力が使えるとしたら、最初の2ヶ月で90を使い切ってしまうくらいの気合いで走るといい。そこにインパクトが生まれる。圧倒的なまでに量をやるとキャバシティが増えて、また100の力がプラスされる。中途半端ではダメだ」

私の周りは、圧倒的に量をこなしている人しかいない…。またしても変態しかいない証明だ。

私は人一倍プレッシャーに弱い。だからかけ方を工夫しただけ。

「できなかった」ことに逃げるのではなく、工夫しているだけ。

「質と量は反比例する」

それは人の常識にすぎない。そこにいたらいつまでも同じ世界しか見えないのだ。

「質も量も高めていく」ことで、見えて来る別の世界がある。

そのための記録に大変オススメなのが手帳である(笑)。

2019年は3冊併用。

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会社の産休に入って
半年過ぎたなんて…
今でも
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頼ってもらえて
嬉しいです
先月、
51歳のおじちゃま上司からも
○○のデータってどのフォルダにある?
なぁんてラインもきました。
まだ覚えていましたが、
だんだん忘れてきました。
この育休中に治療を再開して
連続育休を狙っていますが
それが叶ったら
復帰する頃には
うらしま太郎だと思います
頑張らねば
5ヶ月になった一昨日
息子が鼻風邪をひきました。
ずっと鼻がグズグズゴロゴロいってて、
くしゃみの度に
鼻水がドロッと出るようになりました。
口で吸うタイプの
鼻水吸引器で吸うと
しばらくは楽そうですが、
手や首がよく動かせるようになったので
嫌がって阻止されるので
やりにくかったです。
その夜、
鼻が詰まって寝苦しいのか
20時就寝で、22時、23時、0時、
1時、2時×2回、3時、4時、6時起床。
8回も起きました
私の睡眠時間は
40分+30分+30分+30分
+15分+15分+15分+30分+90分
=約4時間半
ううう
熱は無いし
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鼻水だけ大量。
病院に行こうかなと思い、
二児の母の親友に良いクリニックを聞いたら、
隣の市にあるオススメクリニックを
教えてもらいました。
熱ないし、
小児科は他の病気もらいそうなので、
耳鼻科がよいとのこと。




ただ、
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飲みにくそうですが
グズることもなく
2時間おきくらいで鼻水を吸引。




昨夜は
21時就寝で、23時、0時、
1時、2時、4時、6時、7時起床。
6回に減りました




そして今日は
昨日よりダラダラ出てきません
少し良くなった気がします
このまま回復傾向なら
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これからだんだん
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風邪を引くようになってくるので
ちょっとドキドキします
そろそろ離乳食を始めるので
お座り姿勢に慣れさせようと
借り物のバンボに
座られてみ…る…と…
キツっ
バンボを広げながら
無理やりハメてみると
ぴったり。
バンボから出そうと
息子を持ち上げたとき
足が抜けなくて
バンボ付きで持ち上がりました。
足の太さは
まだ太くなるのかな?
体が重いせいか
寝返りもしなくなってしまい
ずーっと仰向けでゴロゴロしてる息子




足がスリムになるのはいつかしら
もうすぐ旦那が帰宅します
息子が笑顔でおかえりできるように
しっかり寝かして
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引き継ぎ びっくりプリプリ!

モノを書く、という手段がとても好きだ。

好きというよりはもう、これは魂に刻み込まれた、わたしの表現の軸だと思っている。

最初にモノ書きを始めたのは、中学の頃。どっかに書いたかな? 当時は少女漫画全盛期で、周りの女子はみんな漫画を描いていた。でも私は絵が描けなかった。

頭の中には壮大なストーリーだけは詰まっていたから(妄想癖)それを小説化した。

そうしたら面白くなって、すっかりハマった。

当時は手書きのみ、レポート用紙に書き溜めていた。B罫の行間が好きで、A罫だとうまくいかなかった。

暇さえあれば毎日毎日描いていた。だから腱鞘炎になった。授業そっちのけだった。

—–

余談だが私は今時珍しい「かな入力」の人だ。一番最初にパソコンで遊んだのが小学低学年の時だったから。

英語なんぞ知らんで生きていけた頃。だから「かな入力」で全てのキーボードの位置を覚えてしまったのである。

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そして、ブラインドタッチは一切できない。完全オリジナルのキー打ちのまま、30年以上過ごしてきてしまった。おかげでスピードは尋常でない。しかし手の動きを見ると大抵の人に驚かれるのであった。

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そのまま、小説を書く→ワープロを手に入れる→ヲタク街道まっしぐらで、同人誌の小説を書く、オリジナルを書くという人生を送ってきて現在に至るが

ブログ

という文化、実は最初まっっっっっっったく馴染めなかった。

全然書けなかったのである。

ちょうどアメブロに移行して1ヶ月後くらいに一気に知名度が上がる出来事があり、そこから一気に「楽しくなったから」ブログが書けるだろうと思っていた。

だが、書けない。最初の頃は1記事に3時間、4時間かけていたのではなかろうか。

ひとりで朝から晩までカフェをやってたので、家に帰ってからのその時間がもったいなくて、ほとんど記事を書かなかった。

おかしいな。書くことが得意なはずなのに、なんで書けないんだろう。

その理由は、2018年に明かされた。つまりは、今年だ。

今年の念頭、1日5記事を目標にブログを書こうと決めた。

しかも「質のいい記事」だ。これはブログが苦手な私としては大変なチャレンジだった。

実際、5記事はとんでもなくハードルが高すぎて、一度しかクリアできなかったのだけれど、毎日3記事から4記事は書いていた。寒がりなのでね、冬の間はほぼ動かないんもんで、ひたすら家にこもってブログを書き続けた。

そして、ある時、ふっとタガが外れた瞬間がわかった。

表面張力でギリギリだった水面から水がこぼれ落ちるように、ブログへの抵抗が一切なくなったのだ。

私がブログに強い抵抗を持っていたのは「読者との距離が遠すぎる」ことが理由だった。

その証拠にLINE@はすらすらと書けるのだ。ブログを書いていない時期も、LINE@だけは毎日配信していた。

つまり、自分が重要視していたのは、読者との距離感だったのだ。

では、ブログでの距離感をどう縮めるか。

向こうから寄ってきてくれる仕組みではなく、自分から寄っていくようにすればよいだけであった。

よく「たったひとりのお客様に言葉を届けるつもりで書きましょう」って言われるよね。

あの意味がとんとわかっていなかった。

それは、量をこなしたからこそ、私の血肉となって体感レベルで実感できたのだ。

—–

思い出したが、リクルートキャリアに入社した頃、当時38歳。

引き継ぎ期間わずか3日ほどで、社内システム4種類と現在受注している案件全て(尋常でない量)、エントリーシートの取り扱いから担当部署、専門でやること、面接の手順から警備への手配などなど、大量の業務を一気に教えられた。

しかも教えてくれた本人も、わずか1ヶ月で退社することになったため、わからないことが多すぎた。

全体像を掴んで分析していく私の手法は全くもって使えなかった。

文字通り尋常でない業務量。

仕事の終わりが見えないわ、締め切りに間に合わないわ、新しい案件が途切れずに来るわで、珍しくパニックに陥った。

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その1ヶ月後には、部署内で一番多くの案件をこなせるようになった。

おかげさまで、辞めるときに月間MVP賞(社内で最も功績を挙げた人におくられる賞)をいただきましたよ。

それはやっぱり「一気に大量の業務をやってみた」ことと「慣れ」と「目的地の明確化」であったと思う。

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質より量、量より質、というが、それはアホみたいな話で私は「質も量も同時に一気に高めていけ」と思う。

大抵高い目標を掲げて絶対にクリアできない、というのが私のパターンなので、最初の時点でもうハードル高すぎて発狂しそうなくらいの目標を掲げる。

ブログ記事なら、1日3記事、質のいいものが書けたらサイコーと思うなら、敢えて5記事に設定。

7割クリアできたら最高、という位置で目標を設定している。

能力の限界値超えは、常に恐ろしいほどの負荷の上から生まれる。

幻冬社の編集者である箕輪厚介さんが著書の中でこう書いている。

「1年間で100の力が使えるとしたら、最初の2ヶ月で90を使い切ってしまうくらいの気合いで走るといい。そこにインパクトが生まれる。圧倒的なまでに量をやるとキャバシティが増えて、また100の力がプラスされる。中途半端ではダメだ」

私の周りは、圧倒的に量をこなしている人しかいない…。またしても変態しかいない証明だ。

私は人一倍プレッシャーに弱い。だからかけ方を工夫しただけ。

「できなかった」ことに逃げるのではなく、工夫しているだけ。

「質と量は反比例する」

それは人の常識にすぎない。そこにいたらいつまでも同じ世界しか見えないのだ。

「質も量も高めていく」ことで、見えて来る別の世界がある。

そのための記録に大変オススメなのが手帳である(笑)。

2019年は3冊併用。

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そしてほぼ日手帳WEEKSになんと!! が出た!!

手帳の話は、また後日。

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引き継ぎ 関連ツイート

一子相伝的な引き継ぎはやめてもらいたい
引き継ぎライブ終わってから情緒不安定すぎてやばい。
@pspsNooa 睡眠不足から来る頭痛と騒音が響いて来る頭痛とのダブルパンチ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)

帰ろっていいたいけど
欠員出たら帰れんやつやん
僕も今してる仕事引き継ぎできる人居ないから帰れん(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)

スマホを近々変えようかと思ってるのですが、ミニワールドの引き継ぎについてわかる方がいたら教えて頂けると嬉しいです(*・ω・)*_ _)ペコリ

可能であれば拡散もお願いします(´。✪ω✪。 ` )

#ミニワールド
#miniworld

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