ユノであらゆる困難と闘うページ
「あのっ、やっぱり下ろしてください」
「ん?無理」
無理、だなんて言うけれど僕だって無理だ
顔は見えないけれど、
ユノ先輩の声は嬉しそうに弾んでいる
どうしてそんなに堂々と出来るのか分からない
だって、周りのひと達は僕達をちらちら見ているから
空港の駐車場に着いたら
もうあまり時間は無かった
別れや余韻に浸る事も出来ず
早足で空港内に向かわないと…
なんて思っていたら、
「リュックを持つよ」
そう先輩は言ってくれた
その言葉に甘えて、画材の入ったリュックを渡したら
それを背負って更に…
「僕まで抱えるなんてお願いしてないです」
「だって捻挫しているから
包帯もしているし、誰も変になんて思わないよ」
「でも捻挫です
それに大の男が抱き上げられていたら、ほら…」
「ん?」
昆布刈石で捻挫をした後と同じように
所謂お姫様抱っこ、をされてしまった
絶対に周りのひとの視線を感じている筈なのに、
先輩はとぼけたように僕を見下ろす
「大の男だろうが30歳でも20歳でも
チャンミナは俺の大切なひとだから
恥ずかしかったら顔を隠したら良いよ」
「先輩…今…」
先輩の胸に顔を埋めるように俯いていたら、
頭に何かが触れて…
両手は僕の脚と背中を支えているから
それ以外、となるとキスされたのだと直ぐに分かった
「見られたらどうするんですか
ただでさえ目立っているのに…」
「だってもう、後少ししか居られないから」
そう言うと立ち止まったから顔を上げたら
2階の出発ロビーに向かうエレベーターの前だった
「誰に見られたって良いよ
ひとを愛する事は美しい事だろ?」
「でも、一般的には…」
絵画でも、きっと写真でも…
美大時代もそうだったけれど
様々なセクシュアリティのひとを見て来た
だけど、多くのひとは同性同士が『普通』よりも親密であるのを目の当たりにすれば、驚くものだって事は当たり前に分かる
「乗ろうか」
電子音が鳴ってエレベーターの扉が開いた
誰も乗っていないし
僕達の他に乗るひとも居ない
1階から2階に上がるのなんてあっという間
「ひとの視線の方が大事?」
「…そんな……あ…ん…」
僕のリュックを背負ったまま
僕を軽々と抱き上げてしまう先輩の腕は
きつく僕を抱き締めて…
唇が重なったら僕も他人なんてどうでも良くなって、
首に腕をまわして舌を絡ませ合った
「…っん…好き、ユノ…」
「…もっと呼んで
先輩、も良いけど…やっぱり名前が良いよ」
「ユノ…まだ慣れません…」
一秒が長いような短いような
エレベーターのなかのほんの…
きっと十数秒の時間だけれど
車を降りてもふたりきりになれた事は
何だかとても幸運な気もした
扉が開いたら、目の前には老夫婦が立っていて
僕達を見て少し目を丸くしたようにも見えたけれど、
ユノは微笑んで会釈してそのまま降りて擦れ違った
「羽田に着いたら連絡して
勿論着く前でも」
「じゃあ、ユノ…先輩も、
あの家に帰ったら連絡をください」
「あはは、こどもみたいだな」
「だって車だし夜だし危ないし…」
なんて言っているけれど、
抱き抱えられている僕の方がまるでこどもだ
先輩が厳重に包帯を巻いてくれたから
僕の右足首は重症に見える
でも、実際は痛みはあっても歩ける
「この捻挫が治ったらやっぱり少し寂しいかも」
「俺と過ごした証拠だから?」
「そうです、思い出みたいな…」
現実から逃れるように普通に話している
でも、先輩が向かう先に『保安検査場』の文字が見えて、現実に襲われた
「…ありがとうごさいます
何だかお世話になりっぱなしでしたね
先輩が都内に来る事が有れば僕がお世話します」
「本当?期待してるよ
カルボナーラ、次に食べられるのを楽しみにしてる」
先輩は僕をゆっくりと下ろして、
それから頬を両手で包んだ
「また会えた事も、何度再現しようと思っても再現出来なかったカルボナーラを食べられた事もまるで奇跡だ」
「カルボナーラばかりじゃないですか…」
照れ臭くて、それに少し巫山戯てみないと
涙が溢れそうだから、唇を尖らせて誤魔化した
僕が搭乗するのは羽田行きの最終便
出発時刻も迫って来てアナウンスも流れ初めている
直ぐ先にある保安検査場に向かうひと達がちらほら居て、やはり視線を感じる
好奇の視線で見られたら、
気持ち悪がられたら、
そうやって考えていた
でも、迷惑を掛けている訳じゃない
近くにはきっと僕達と似たような…
性別が男女なだけの違いであろうカップルが居て
同じように別れを惜しんでいる
僕達だって変わらない
気持ちの強さだったら負けない自信だって有る
「ユノ先輩」
「うん」
「愛しています」
後悔したくないから、
僕から最後にキスをした
だって、離れてもFaceTimeで顔を見て話す事が出来ても、やっぱり触れる事だけは出来ない
だから、先輩の柔らかい唇の感触を覚えていようと思った
「…愛してるよ、チャンミナ」
「両想いですね」
リュックを受け取って背負った
後はもう、泣きたくないから
口の粘膜をぎゅっと噛んで笑った
「じゃあまた」
「ああ、気を付けて」
振り返ったら前に進めなくなりそうだから
前だけを向いて歩く
包帯で膨らんだ右足首
靴は踵を踏んだままだから少し歩き難いけれど、
きちんと固定してもらったお陰で痛みはさ程感じない
検査場を越えて、どうしても我慢出来なくて
一度だけ振り返ったら…
「…先輩」
小さくなった先輩の黒い瞳
明かりのせいなのかもしれない
そんな風に見えただけかもしれない
だけど、きらりと光って見えた
大きく手を振って
泣き笑いみたいになって
今度こそ振り返らずに前へと進んだ
先輩の居なくなった時間はあっという間に過ぎていく
きっと直ぐに、先輩と過ごした時間よりも
先輩の居ない時間の方が長くなっていくのだろう
「…やっぱり星が凄い…
東京じゃ見れないよ」
離陸した飛行機、窓から空を眺めると
ついさっき、先輩の車の助手席から眺めた空を思い出す
「あ、そうだ…ムービーと写真…」
先輩がソフトクリームを買いに車から降りた時、
星空を撮影しようと写真と動画を取ったんだ
写りをきちんと確認していなかったから
イヤホンを装着して、フォルダを開いた
写真を見ると、少しは星の光もわかるけれど
やはり肉眼で見たようには捉えられて無かった
それでも思い出になるし
目にも焼き付けたから良い
ムービーならもう少し星も見えるかな?
そう思って再生したんだ
そうしたら…
「……これ…」
忘れていたんだ
ムービーを撮っていたら先輩が窓の外から
僕のスマホを覗き込んで来た事
少しおどけた表情でスマホを覗き込む
僕は驚いたから一瞬ブレて…
『写真?』
『ムービーです…それよりそれ…』
『ああ、一緒に食べようと思って
あと少しで空港だから…』
「…後少しで見えるのに……あ…」
隣のサラリーマンの訝しげな視線を感じて、
慌てて頭を下げた
ムービーには先輩の首元が映っていて
顔が映らない
その後は先輩が『止めないで』と言って
僕がスマホを腿の上に置いたから、
映っているのはやっぱり…
あの時思った通り、天井と、それから僕の顎だったり
あまり見たくないアングルの顔
だけど、そこにはずっと先輩の声も入っていて…
『大丈夫だよ、離れても好きだから』
「…っ…」
イヤホンを通して聞く声は少しだけ篭って聞こえた
だけど、離れても大丈夫だって…
先輩が確かに言ってくれているから
このムービーは何があったって、
絶対に消す事は出来ないと思った
『車内で撮っていたムービーに
たくさん先輩の声が入っていました
離れても傍にいるようで嬉しいです
先輩も家まで気を付けてくださいね』
メッセージを送信したけれど、
なかなか返信は無かった
だけど運転しているだろうから…
本当は直ぐにでも話したいけれど
我慢しなければと思った
起きていたら感傷にふけって
涙を零してしまいそうだから、
後はもう、目を瞑って過ごす事にした
「…ん…」
着陸準備を行う、という機内アナウンスで意識が浮上して、眠ってしまったのだと気が付いた
直ぐにスマホを確認したら、メッセージアプリに動画が送られていた
差出人はユノ先輩
「…かっこよすぎます」
折角目を瞑って泣かないようにしようと思ったのに、
先輩が捕らえた星空には流れ星が確かに映っていて…
それを見たら涙が溢れてしまった
『これでいつでも願い事を掛けられるだろ?』
何百回、何千回でも見る事の出来る掌のなかの流れ星
僕達の願いを叶えてくれるなら
何だかとても都合の良い話
だけど、『願い』なんて大それたものじゃなくても
先輩が撮ってくれた夜空を、流れ星を見られるだけで
小さな願いが叶うくらい幸せになれるから、それで良い
………………………………………………
現実に戻ると日々はあっという間に過ぎ行く
都会は刺激も多くて
僕を成長させてくれるものも
僕を成長させてくれるものも
勿論たくさんある
素晴らしい才能を持ったひとがたくさん東京には集まっていて、運が良ければ雑誌やテレビのなかのひとと会う機会も有る
だけど、そうじゃなくても
今は電波が世界中を飛んでいて、
光の速さで距離を超える事が出来る
「ユノ、今日もお疲れ様でした」
『うん、チャンミナもお疲れ様』
「今日、また届きました
ユノは大変かもしれませんが…
凄く楽しみにしてるんです」
僕がそう言ったら、タブレットの画面の向こうの先輩は目を細めて、まるで少年のように笑った
『俺が作りたくて作ってるんだから喜んでもらえたら
こんなに嬉しい事は無いよ』
二三ヶ月に一度、まるで定期購読している雑誌のように届くのは、世界に一冊の…僕の為に先輩が作ってくれる写真集
初めは僕が北海道に来た時の写真を先輩が現像して、
本のように纏めてくれたものだった
それが凄く嬉しくて…
ふたり一緒に写っている写真や、
先輩が僕をこっそり撮った写真、
そして何より
先輩が切り取った景色が泣けるくらいに綺麗で…
興奮しながらそんな話をしたら、
それがいつの間にか恒例になったんだ
『チャンミナもそろそろ俺の絵を送って欲しいな
もう一年になるのに…』
「風景画なら送ったじゃないですか…」
『チャンミナが描いた俺を見たいの』
画面の向こうの先輩は
まるで駄々っ子のように拗ねた顔をする
勿論それは大袈裟にしているだけだと分かるけれど、
実はずっと見たい、と言われているのに
誤魔化して来たんだ
だって、ちゃんとしたものを仕上げたかったから…
「先輩」
『何?最近ユノって呼んでくれるから
久々に先輩って呼ばれてどきっとしたよ』
「そんな風に言われたら恥ずかしくなります…」
言おう、と思うとどきどきする
でも、知られる前に言わなきゃ、だから…
「あの、ネットで検索して欲しいものがあるんです」
『ん?何か有るの?』
「はい
僕の名前と、それから…」
いざ言おうとすると、とても恥ずかしい事に気付いた
だけど、そんなのもう今更
「…名前と、『僕の好きな先輩』
そう、検索してみてください」
先輩はスマホを取り出して、
目の前…いや、画面の向こうで
綺麗な指先を動かしている
僕はもう、心臓が飛び出そうなくらいにどきどきして…
「何か出て来ましたか?」
『…チャンミナ、これ…』
「絵のタイトル通りです」
『おめでとう、凄いよ…
俺だっていうのが恥ずかしいけど…
自分に嫉妬してしまうくらい、この絵のなかの「先輩」が作者に愛されているんだって物凄く伝わって来る』
「だって、物凄く愛しているので」
先輩は小さなスマホのディスプレイに表情された
僕の絵を、タブレットの画面に見せてくれる
「ふふ、僕が描いた絵なので
見せてもらわなくても大丈夫です」
『あはは、そうか
何だか自慢したくなって…
これで金賞だなんて…恥ずかしいけど嬉しいよ』
目の横に笑い皺
それが本当に喜んでくれているのだと分かって
嬉しいのと、少し気が抜けてしまったのと、
これでやっと、という気持ちと…
「先輩」
『ん?』
「自分のなかで決めていたんです
名のあるコンクールで一番を貰えたら…
そうしたらユノの元へ行こうって
北海道の自然を描きたいって…
それが叶いました」
まさか一年で結果を出せると思わなかった
だけどそれはきっと、
ユノに再会して目的を持てたから
自分だけじゃなく、このひとの為に…
そう思えるひとがいつも心のなかに居たから
ずっと大事にしているスマホのなかの星空と流れ星に
願いをひっそりと唱え続けていたから
先輩と…ユノと夢を見たくて、
写真店のなかで大好きなカメラを覗いて優しく微笑む先輩の姿を、僕の今出来る全力で描ききる事が出来たから
『じゃあ店の物件を探さなきゃ
いや、まずは同棲の準備か…
チャンミナ、いつ来れる?
これからの事を話そう
ああ、違うな、俺が行くよ』
弾む声に僕の心も弾む
一度は諦めて、
諦めた事すら見ない振りをして過ごした
だけど、神様は僕達にもう一度チャンスをくれた
あの頃よりは僕達は少しだけ成長出来て
少し赤裸々にお互い本音を語る事が出来た
「ずっと一緒に居る事になれば…
嫌な面も見えて来るかもしれないです
それでも大丈夫ですか?」
『嫌な面って?
チャンミナが本当は治っているのに
北海道から帰って半年経っても
捻挫が治らないって嘘を吐いてた事?』
「それは…嘘じゃないです
痛ければ、治らなければ先輩と一緒に過ごした事を鮮やかに思い出せるようで…
痛いまま無理をして歩いていたら、
痛みが長引いただけです」
腕を組んで嘘じゃあ無いんだと抗議したら
先輩は嬉しそうに笑う
『いつもなら俺を心
配させないでくれ…
配させないでくれ…
そう言いたいところだけど、今日は幸せだから』
「僕もです
先輩が、ユノが好きです」
僕の好きな先輩、ユノと僕がふたりだけで作り上げる新しい道は険しいかもしれないし、今のように笑顔だけではいられないかもしれない
だけど、ユノ先輩となら乗り越えて行きたいと思う
「僕が移住するので…
金賞のお祝いに先輩が来てください」
『あはは、チャンミナも言うようになったな
何でもお祝いをするよ』
お祝い、なんてそんなのひとつしか無い
「早く先輩に触れたいです
…それがお祝いです、我儘ですか?」
『そんな訳無い、って答えになるって分かってるだろ』
あの頃よりも駆け引きも上手くなった
年も重ねているし、
出会った頃の先輩でも僕でも無い
だけど、変わらない事は
先輩を何より好きで、この気持ちは変わらないと…
この一年、ほんの数回しか会えなくとも確信出来た事
時間なんてただただ過ぎ行くものだと思っていた
だけど、先輩と再会して目的が出来た
これからの人生が、僕は楽しみでならないし
きっとユノ先輩もそうだって…
顔を見たら分かるんだ
ランキングに参加しています
最終話なので…
お疲れ様、のぽちっ↓をお願いします
読んでくださりありがとうごさいました
「傷心旅行」同様、Roadから広げた中編でした
どちらもMVの展開をなぞりたかったので、
前述のお話とリンクさせつつも
違いを出せるように出来れば…と思ってはいましたが、技量が伴わずもどかしかったです
ですが、思った最後に辿り着けてほっとしました
拙いお話ですが
お付き合いくださった全ての方に
心から感謝致します
最後なのでコメント欄を解放致します
お時間ございましたら、感想を頂けると
とても嬉しいです(でも、厳しい意見はそっと仕舞って頂ければ…)